2009 Topics | 2008 Topics | それ以前の Topics はこちら から | Aujourd'hui hier |
![]() 12 juillet 2018 |
![]() |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||
![]() |
![]() |
![]() 30 janvier 2012 |
![]() |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||
![]() |
![]() |
![]() 11 mai 2011 |
![]() |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||
変な言い回しになるけど、「あたりまえのこと」とは、そのことを話している環境において、あたりまえのはずのことがあたりまえでなくなったときにその意味が深まるのだと思う。これからどうなるんだろう・・なんて、誰でもがふと思うことなのに、今はその緊迫感は 明らかに違っている。こんな大きな出来事が日本に起こり、いいことも悪いことも明るみになって、「生きていること」をいろんな意味に受け止めて、「私と家族」であったり、「私と社会」「私と夢」みたいなもののリアルなイメージを書き直している気がする。ついさっき、「地震から2ヶ月」というサブタイトルで こちらフランスの テレビ放送があった。はっきりと 外から見た人間が映し出す映像が、私が約1ヶ月半日本に滞在して目にしていたものとは、違っていた。当然と言えば当然かもしれない。日本では淡々と起こっていることの事実を伝えているのに対して、かなりドラマチィックなつくりかたで 興味深かった。日本では放送しないだろうと思われるシーンもたくさんあったりする。こんな書き方をすると日本にいる人は見てみたくなるかもしれないけど、見なくていいと思う。ほんとうのことはその場所でしかわからないものだと思う。日本にいた私がフランス人の中で感じることと、東北で被災した人が 被災していない人に対して思うことは同じだろうと思う。ただ、ものごとを解決して行くには、その場所にいる人間だけでは冷静に判断しきれない問題がたくさんあって、まわりの力が本当に必要になってくる。小さな夫婦喧嘩でも、同じようなものかもしれない。日頃から「考えること」と「行動」のバランスがとれていないと、冷静さというのもはなかなか保ちにくいものなんだろう。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||
4月に入っても、寒い日が続き、例年より遅めだった桜も滞在中に拝めた。思い立って、最近知り合った方が老舗のうなぎ屋を淀屋橋の川沿いでされているので、両親と一緒に行くことにした。ここの鰻は関西には珍しく江戸前の蒸してから焼く方法で、鰻のうまみを充分に閉じ込めながらも脂っこさがなくふんわりとしていて、ほんとに美味しいのだ。来年、米寿を迎える父と4歳下の母も、普通に電車に乗って外出できることに感謝せずにはいられない。中之島公園に咲く満開の桜を楽しみながら、しばしの散歩。そして、待望の鰻重を堪能した。昔、南で一人住まいをしていた頃には、自転車でよくこのあたりを散策したものだ。懐かしい。あまり長時間二人を連れ回すのも気が引けたけれど、ちょうど、淀屋橋から出港している大阪城のお堀を回る観光船が頃合いの時間にあったので予約を入れておいた。これが、思いの外楽しかった。父は大阪生まれの大阪育ちで、昔の大阪のことはもちろんよく知っているらしかったが、それほど細かく話を聞く機会もなかったのが、船からの光景を見て、父の口から出てくる話はどれも知らないことばかりで、昔の記憶が次々とよみがえる様子だった。なぜか、私は人の幼かったときの話を聞くのがかなり好きなようだ。言葉や話している表情を掛け合わせて、その人の「その頃」を想像してみる。その人にしか話せない目に見えない世界を垣間見ることができる貴重な感じが、どんなに小さなこと、いや 小さいな何でもないことであればあるほどその刺激が私には大きく感じる。たとえば、そのとき母親が自分の右側にいたとか、何色の服を着ていたとか、そんなことがすごく刺激的に思える。思い出話に夢中になっている時のその人には、聞いた話や読んだ話にはない「本物」の香りが漂っている。その空気を一緒に味わえるのが好きなんだろうな。やっぱりちょっと変わっているのかな、わたし。 |
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||
![]() |
![]() |
![]() 14 Mars 2010 |
![]() |
||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
|
|||||||
|
|||||||
![]() |
![]() |
![]() 06 Mars 2011 |
![]() |
||||||||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
|
|||||||||||||||||||||
|
レストランから退き、次の仕事をみつけないといけない焦りもあるけど、夫婦して働きづめだった7年間、どことなく気の抜けきらないヴァカンスしか過ごせなかったので、このときとばかりにほんとに、何にも考えずに本能だけで、過ごしている。オットが留守と言うこともあって、気の抜けようが半端ではない。どこまでだらしなくできるものか。 もうそろそろ これじゃ いけないモード に 入りそうになってきた。(危険! ではあるものの これはこれで ちょっと 楽しかったりするのがいけない)夫婦で生活をしていて、どっちでもいいなと思う選択は、ほぼオットにあわせていたらしく、あえて一人ならばこっちを選ぶ ということが 明るみに出てきた。朝は エスプレッソコーヒー じゃなくて、紅茶。寝る前じゃなくて、朝風呂。夕食 夜8時には済ませる。これは 明るみに出たと言うより、日常的に私を深く悩ませていることといったほうがいい。この食事する時間が私には一番大変。そのときにならないと、わからないと言い切るオット。食事をする時間を生活の中に組み込むことしない。だから納得するのは、時間がなければ、食べないでもいいんである。何時だから食べるという習慣が全くないのも困ったもの。対照的なのが 私の父親。時計に合わせて食事をする。規則正しい(時計の目盛りと カラダの目盛りが同じかどうかは疑問であるが)生活をかたくなに守っている。きっと、オットには耐え難い習慣であろうと思われる。だって、おなかがすかないんだもん! なんて言われると、でも、時間だから食べなさい!とも言えなくなってしまう。作り置きして、暖めてチン! できる献立を考えていれば、そうもするんだけど、いつもいつもそうはいかない。ちょっと たばこを買いに行ったら友達にあって、アペリティフをしているくらいなら、その後家でご飯かと思ったら、友達と延長でどっかで一緒に食事にいくと連絡が入ったときには、ほとんど事後承諾に近かったりする。こういう低いレベルの「言い合い」に労力を使うのが情けなくなる。もう早くこんな問題から抜け出したい と 真剣に思う。 |
||||||||||||||||||||
|
|
||||||||||||||||||||
![]() |
![]() |
![]() 28 Fevrier 2011 |
![]() |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||
![]() |
![]() |
![]() 10 octobre 2010 |
![]() |
||||||||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
|
|||||||||||||||||||||
|
|
||||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||||
![]() |
![]() |
![]() 04 octobre 2010 |
![]() |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
最近のフランスのテレビ番組は、視聴者が主体になるものが目立つ。特に 料理番組の多さには目を見張るものがある。多くの希望者の中から選ばれた人たちが競い、最終的に残った人が栄冠を得る。審査を担当する超一流のシェフ達が見守る中、次々と与えられる条件をそれぞれのアイデアで工夫をし、料理を仕上げなければならない。素人ならではの大胆さも審査をする側にはおもしろいところのようですが、要求される難度は決勝戦に向かうにつれ、本物の料理人レベルのものを要求されていきます。ちょっと行き過ぎじゃないの?と思う場面も多々あって、悔し涙を流す場面は普通になってきている。どの出場者も、ちゃんとした職業を持った料理好きなのだけれど、目的として、本気で職業を変えるつもりで具体的な今後の自分の計画もその審査の条件に入っているらしく、ただ勝った負けたというものではない真剣さがあるので、見ている方もつい真剣になってしまう。これだけたくさんの人の関心を呼び注目される「料理」には、本当にいろんな要素が詰まっていると思う。本物の料理人でさえ、素人のすること と 甘く見ていると中にはとんでもない素人がいたりするものだから安心できない。私はどういうわけかその料理の世界に足を突っ込んでしまっているのだけれど、本業が踊りなので、つい置き換えてしまうのだけれど、この番組が踊りと言うことになると、まずは不可能だろう。実際のダンサー達が競うならわかるけれど、ただの踊り好きというのでは、基本になるベースがない。その点、料理は 作れなくても 美味しいかまずいかを感じることは人間誰しもしていることだし、生きていくことと「食」は切り離せない分、身近な題材になるのは当然だと思う。それだけに 料理の中に存在する「魔法」、同じ素材 同じ調理時間で、こんなにもまずく作ることもできるという理論を目の当たりにすると、その奥深さを感じる。でも、ある種、究極に追い詰められた状況を見続けると逆に、「そんなことにこだわってばかりじゃ、なんにもできない!」どうでもいいっていえばどうでもいい というような気持ちにもなってしまう。番組をおもしろくして行くには、そういう非日常みたいなところも必要になるのもわからないではないけれど、ついて行けないと思っている自分もある。料理の手を上手に抜くこととがどこかで食を楽しむことにつながっていることもあればそれはそれでこだわりと言えるだろうし、食べることに関心がない、極端な言い方かもしれないけれど 生きていくことに前向きになれないことの現れになっていることもあると思う。「食」と一言で言っても、人それぞれの位置づけがあることは事実だし、自分の価値観で人をはかることはできない。私はそんな番組を見ながら、料理そのものよりも、「人」を見ているような気がする。そして、人に料理を作ることで、ホッとしてもらえたり、元気になったり、そんなことが 一番 うれしいなと思う。 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||
同じような視聴者番組で、お掃除のエキスパートを名乗る2人のマダム(おばさん)が、依頼のあった人の自宅に訪れ、まずはその見事に放置され手に負えなくなったという部屋を観察分析を行い、ここに至るまでの本人の生活状況などを質問していく。自分で手に負えなくなった荒れ放題の家の中を番組上のこととはいえ、テレビにさらけ出す勇気があることにはじめは驚き、この番組 この時点で日本では実現しないだろうなと思った。それがどううまく表現したものか難しいのですが、この番組、見終わったときにすごく素直に、自分にもできるんだ!という自信のかけらがその本人の表情から伺えて、うれしい気持ちになったりする。まずは そのエキスパートのおばさんのキャラクターがとってもキュート! ちょっぴり 厳しくいうことはあっても、本人にいろんなことを自覚させる手段が、なかなか すばらしい。「綺麗好き」と一言で言っても、かなり度合いに差があるものだと思う。私自身、人がいつ来てもとりあえず大丈夫かなというのが基準と言う程度の綺麗好きで、そのときの優先順位で、手抜きをしているときもあるわけで、外見的にはきれいでも、収納の中には仕分けできずにほりこまれているだけの「にわか綺麗好き」もいれば、きれいには見えないかもしれないけれど、どこに何があるかは明確な「自称整理魔」も存在する。ものがたくさんあると安心できるタイプや、ものが外に見えると片付けたくなると言うタイプもみんなその人が基準な訳なのだ。不衛生でバイ菌に侵される可能性が出てくる場合までいくと、問題が違ってくる。この番組に出てくる人たちはこのケースになる場合がほとんど。一応にいえるのは、本人達が自分に自信がなくなっていること。人から見放されていることも気付いていて、孤立している。片付けが苦手な人と言うよりは もっと 精神的な部分に大きな原因があるように思える。整理整頓が苦手だというのは、結果なのであって、うまくできない理由がほかにあるような気がする。「やるき」がないからじっとしているのではなくて、ほんとうは じっとして行動を起こさないから「やる気」が出てこないのと同じようなものかもしれない。人間って やっぱり弱いものだなと思う。本当に真剣に自分の問題に一緒になって考えてくれる人がいると言うだけで、彼らの目線が変わっていく。そして素直にそれまでの自分を戒め、自分を一から作り直そう! 自分が変われるうれしさとともにアクティブになっていくさまが、画面からも伝わってくる。誰にだって あまり自慢にできない欠けたところはあっても、取り立てて人に言うことでもないとなると、そのままになってしまうもの。この番組ではそれを公表する勇気を持っている分だけ、彼らの得るものは大きいかもしれない。最近の日本のテレビはよくわからないけれど、番組を作る時点で、たくさんの制御が施されていそうな印象があるのと比べると、かなり そのままの状態が映し出されてるという臨場感があって、自然な感じがする。まー単純な話、この番組を見終わると、掃除がしたくなり、自分の家まできれいになっちゃう! そんな効果のある現象が只今継続中であります。(汗・・・) |
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||
![]() |
![]() |
![]() 29 août 2010 |
![]() |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||
プロとアマチュアの違い というのを あらためて気付き、なるほどなぁ〜〜 と思ったことがあった。経験をつむことで、身についてくるときと言うのは、もちろん結果にそれが表れてくるんだけれど、実際に作っている瞬間と その前後が、ちゃんと読み取れていて、成り立っている。どんなことで それに気付いたかというと、料理の盛りつけの時のこと。同じようにしているつもりなのに、なぜうまくいかないんだろう?と できる人と できない人を 注意深く観察すると、お皿に置く前に、もうすでにできあがりのかたちができているか、かたちをお皿の上で作ろうとしているかの違いがあるようだ。今までは、ただその光景を見ていただけだったのだけれど、画面には見えないものが、ちょっとした動きの間や、素材を置く瞬間の動きをよく見るとそういうことが見て取れるようになるのだ。料理を置くだけではなくて、それをどう盛りつけして、人がどう食べるかと言うことまで、丁寧に思いを込めることで、盛りつけるという作業に、大きな違いが出る。付け合わせとメインの料理の分量の割合、温度、食べる人の年齢や 食欲の度合い、飲み物の種類、などなど、厨房では、様々なものを把握しながら、その仕上げをする。作る側の主張と食べる人の状態のバランスを考える。家庭ではそこまですることは少ないけれど、暑い日が続くと、それなりに食欲をそそる、栄養のあるもので、作るのに手間のかからないものという風に考えるのと同じようなこと。それまでの私は、お皿の上で盛りつけをしようとしていたのですが、それでは、遅いのです。ということは、盛りつけのイメージができていないところで、お皿の上に乗せはじめていたと言うこと。確かに、きれいにできるときは、できあがりのイメージがすでにあるのだ。これが踊りを例に取ると、まさに同じ。つま先で立つ瞬間に何かをするという感じなのが、初心者で、慣れてくると、自分の中の分身の自分が、すでに次の動きを把握してかたちを作り始めている感じなので、読みが早いのです。料理の仕事していても、こうやって 本業の踊りのことと照らし合わせると、すごくおもしろい。どういう風に見せたいとか、どういう風に食べるとおいしいとかが、ちゃんと順を追ってイメージされていて、そういうことがかたちにするときに自然に指先や足先に伝わり、ものを置く と言う作業につながっていく。そうやって置かれたものは、崩れにくく、シンプルでいて、潔さも感じられて、気持ちがいい。さかのぼれば、日本のお作法というようなものは、そういうことを突き詰めてできあがった美しく無駄のない仕草という感じがよくわかる。知っているからできるというものではなくて、身についているかということ。そこには奥深い思いやりの気持ちや、感謝 のようなものもがその奥底にあって、自然に見えていくんだろうな・・。難しいけれど、自分が思った分だけ、そういうことがちゃんとおもてに、あらわれてくるんだなぁー。そう思うと、楽しいね。 |
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||
![]() |
![]() |
![]() 26 août 2010 |
![]() |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||
案の定、日本から戻って踊りから、一転して厨房での仕事に早変わり、めまぐるしい日々を送って、やっとの思いで 夏休み。その休みもまわりの人達に比べると控えめな休みの上に、私はこの時間を利用して、フランスでの生活をはじめて約10年、その間に増えてしまった書類を整理し、パソコンのデータとして保存できる限りのものを変換して、紙の処分に、時間を費やし、情報整理に励んでおりました。幸い、比較的過ごしやすい涼しい日が続いたので、ありがたかったです。毎年同じような会話を聞くけれど、今年こそは本当に日本は例年にない猛暑のようで、日本から離れると今はその暑さも思い出して想像はするけれど、きっと 想像以上なんだろうと、生活をしている人たちのことを案じています。こういうときは、必要以上にエネルギーを使わずに、おとなしくしている方が無難なのでしょうけれど、私の記憶では、踊りをしている人は、そのなかでも練習を同じようにしているのですから、ほんとになんと言ったらいいのか、ほんとに頭が下がります。フランスでは、基本的には8月はみな練習はせずにお休みというのが一般的で、パリに居残っている人は、オープンスタジオでちらほら、代行の先生が指導しているようなクラスを受けているくらいでしょうか。9月に入って クラスが再開し、徐々にエンジンを掛けて、10月くらいには調子が戻って、そうこうしていると、もうクリスマス! ほんとに そんな感じです。競争意識も日本ほどなく、マイペースなのがいいのか悪いのか、気がつくと時間がたっている、やっぱり 心のどこかに、時間を無駄にしているのではないかと、ふと思っているようなところが未だにあるので、この日本人気質というのはきっと直らないんだと思う。この歳になって言うのもおかしいけれど、暇なときにしたいことと言うのが、結局、頭を空っぽにするのではなくて、集中して勉強できないようなことを、心ゆくまでしたくて、それが人から見ると、勉強しているみたいになっちゃうんだけど、それが うれしくてたまらない。中学生くらいの時にこの感覚に目覚めていたら、きっと 勉強できたんだろうと思う。あのころは授業中に何を考えていたんだろう。授業で学んだこともそのときに考えていたことも、ほとんど記憶にない。そんな私が、学校の 健康優良児 に 選ばれて 表彰されたりしたもんだから、そのギャップが未だに 自分でも理解しずらい。そのころから、学校の勉強だけが人のすべてではない!みたいな 開き直りや、成績の善し悪しに興味を持っていなかったかもしれない。そう思うと、ちょっと生意気な感じだったのかな。いろんな人がいるものだなーと、友達や先生を眺めていた記憶だけはある。やっぱり、ちょっと まわりとは違っていたかもしれない。 |
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
話は違うけれど、今年の里帰りで、私を大いに驚かせくれたこと、それは 父親が料理にはまっていることだった。はまっているというと大げさかもしれないけれど、なにやら、いろいろ試行錯誤をしながら作りあげている様子で、なかなか頼もしい光景でありました。母からも聞かされていた、ヒット作のサンドイッチを、しっかりご馳走になった。日頃は、母親の分とあわせて2人分のところ、私が加わるので3人分になるところが、いつもと勝手が違う様子で、いろいろと工夫をしている様子。昼の12時にできあがることを計算して、11時過ぎには台所にスタンバイ。こっそり、覗くと・・。ちょっと見たことのないような父親の姿が・・。それが なんだか楽しそう!私もそうだけれど、食べてくれる人がいると、厨房でも張り切っちゃう!気持ちは同じ。結構、父は外に出かけたついでに外食をして、いろいろアイデアを膨らませていたと見える。中の具の組み合わせがバラエティーに富んでいて、しかも 具に絡ませるソースも1種類ではない。主張しすぎない量の加減が、全体の味に奥行きをつくり、塩味、酸味、甘みのバランスが 取れているのだ。母親は、そのサンドイッチを上手に褒め称え、うまく食事の手抜きをするコツもつかんでいるようで、万々歳。85を過ぎても、衰えることのない食欲と想像力、あーあー 私は やっぱり この二人の娘だなーーと、妙に納得できるそんな時間でした。
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||
![]() |
![]() |
![]() 11 mai 2010 |
![]() |
||||||||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
|
|||||||||||||||||||||
|
|
||||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||||
|
実は、明日、楽しみにしていたお客様が来られます。彼女も本業は別の仕事なのですが、今は、そうではなかったはずのことが、本業になりそうなそんな展開をされています。お互いになかなか忙しくて、ゆっくり話すことがなかったのですが、自宅に来ていただけるので、くつろいでゆっくり話ができそうです。手軽にできる料理もいくつか考えています。で、話がちょっと飛んでしまうのですが、前から買い換えて欲しい〜〜と頼んでいた冷蔵庫を買い換えいることになって、つい今さっき1時間ほど前に届いたところなんです。わぁぉ〜〜〜〜〜 うれしいぞ!!オットは有頂天になっている私に驚いているようですが、なんと言っても台所は私のお城ですからね、これが喜ばずにいられない訳で、興奮状態の私を追いかけてまわるLunaも、なぁ〜んだかいつもじゃない空気を感じているようで、さんざん走り回って疲れたのか只今、パソコンの横のプリンターの上で爆睡中。明日用に買い出しに行ってきたので冷蔵庫の中は、はっきり言って、もう ELLE とか クロワッサン とかの雑誌に出て来るようなとても素敵な状況なんです。気がつくと、つい、にやっとしている 私。張り切りすぎて、失敗なんってことにならないように・・。結構、そういうことになりやすいタイプなので、「平常心、平常心!」と、言い聞かせてます。 |
||||||||||||||||||||
![]() |
![]() |
![]() 09 mai 2010 |
![]() |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||
![]() |
![]() |
![]() 08 mai 2010 |
![]() |
||||||||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
|
|||||||||||||||||||||
|
|
||||||||||||||||||||
![]() |
![]() |
![]() 15 mars 2010 |
![]() |
||||||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
|
|||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||
![]() |
今まで、本当に辛いときと言うのは、辛いって言ってしまうと、その瞬間に、なんとか取りつないでいた細い糸までが、プツンと切れてしまいそうで、言えなかったし、言わなかった。それはほんと。でも、今ちょっと違うかな、辛い・・。って、言ってしまうと、それはそれで、現実なんだし、辛い自分に対して、ちょっと優しくなれる気がする。別段、それほどの違いはないようですが、温度が違います。言葉に出して言ってしまうって、自分で思う以上に、はいってくるものがある。余裕というのでもないのかな? うん、ちょっとそういう系統のもののような気がします。あとになって、あのときなぜ言えなかったんだろうということも、誰しも経験のあることでしょう。いろんなことを含めて、生きていてよかった そんな感じです。 |
|
![]() |