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27 Decembre 2008
 
暖かいスープで 幸せを味わう 

またまたご無沙汰をしてしまいました。一難去ってまた一難。話すと気が遠くなりそうにいろんなことに追い回されていた約2ヶ月でした。 クリスマスを挟んで、つかの間のお休みをいただき、やっと Topics に手をかけられる時間ができました。今日は、前回のお約束、お店でもお出ししている、超簡単スープのレシピをご紹介します。サイトのお料理のレシピの欄にも後々追加して載せるつもりですが、まずはこちらで。

用意するものは、
カリフラワー タマネギ 牛乳 水 塩こしょう バター これだけです。
                      (あれば、ブーケガルニ)

私も作ってみるまで、カリフラワーがこんな優しい味なんだということを見逃していたように思います。素朴さが何ともいえない幸せな気持ちにさせてくれるんですよ。離乳食の赤ちゃんにも、味をほんの少し和らげてあげると、いいんじゃないかなー。カリフラワー 1つに タマネギが大きめなら1つ、小さいものなら2つの量で、4,5人分というところでしょうか。分量は、かなり適当でも大丈夫ですから、是非お試しください。

 


 



      1. まずはタマネギを薄切りにし、少量のサラダオイルで色がつかないように、ゆっくりと炒めます。少し透き通ってきたくらいで、弱火にし、ふたをして3,4分もすればいいと思います。

      2. カリフラワーは細かめに房を切り分けておき、水で軽く洗っておいて、1.のタマネギに加えます。そのときに、牛乳と水をちょうどカリフラワーが浸る位を目安に加えます。水の方が少し少なめで2:1位で適当に。軽く沸騰するまで強火で、あとは蓋をして弱火で、約30分くらいくつくつします。あれば ブーケガルニをいれるとさらに風味がよくなりますね。でも、なくても大丈夫です。でも、間違っても固形スープなどは入れないように。カリフラワーの優しい味が飛んでしまいます。

      3. 十分い柔らかくなったところで、ブーケガルニを取り除き、ミキサーでなめらかになるまで混ぜます。

      4. もう一度、火にかけて、塩こしょうで味をして、味を見てください。ここで、味を見ていただきたいのは、バターというものが、どのくらいコクとうま味を加えているのかがよくわかるからです。それによって、自分の好みの味をつけてみてください。バターの分量は一人あたりの分量にスープに10g位を目安に加えます。バターを加えるまでの仕上げをしておいて、いただく直前に温め直すときにバターを加えるといいかもしれません。脂肪分が気になるという方が、家族におられる場合などは調節できますしね。


      5. はじめにも書きましたが注意する点があるとすれば、牛乳と水の量を多すぎないようにすること。濃度が濃すぎた場合は後で調節できますので。

 
 


10 Novembre 2008
 
お礼 そして お知らせ 

自分から発信しているサイトですから、当然のことかもしれませんが、Topicsで書きました、先日亡くなったMichkaのことでは、ほんとうにたくさんの方、それもお会いしたことのない方や、お店に来てくださるお客様、私のことはご存じないと思っていた人からも、たくさん優しい言葉をかけていただき、本当にありがとうございます。実のところ少々、驚いております。なかでも、お店に来ていただいたパリ近郊にお住まいの HIROMIさん、綺麗な愛らしい花束をMichkaちゃんにと、初めて

 

お会いする私に手渡していただいたときには、思わず涙が出てしまい失礼いたしました。自分のことのように思ってくださり、ほんとうに心に沁みました。こちらから上手くお礼を言うことができないままになり、失礼かと思いながらも、もしやこちらに来てくださるかもしれないと思い、ひと言お礼を書かせていただきました。いただいたお花、今日も綺麗に咲いています。ほんとうにありがとうございました。こういう風に癒されるとは思ってもいないことでしたので、ありがたいものだなと心から感謝するとともに、いつまでも悲しんでいてはいけないと自分に言い聞かせております。けじめというのではないのですけれど、たくさん写した写真を、整理するうちにアルバムにしようと思い、完成させたものが、応募したサイトで掲載されることになり、現在、こちらで、見ていただくことができます。タイトルは ”Ma petite Michka”です。上の画像の左上のが私の作ったアルバムです。(現在11月10日2008)、新着トップになっていますが、徐々に移動するともいます)よろしければ、ご覧下さい。それから、もしも、このアルバムを欲しいと思ってくださる方が間違って、もし、おられるようでしたら、こちらのメールへお知らせ下さい。約1ヶ月間増刷可能ですので、お分けすることができます。 詳しくはメールでお知らせいたします。

 

HIROMIさんにいただいた薔薇の一輪

 

 

 

 

 

今日、ほんとうは紹介したいと思っていた、お店でもお出ししているポタージュ。お知らせ事項が増えてしまいましたので、次回のTopicsで 是非紹介したいと思います。お楽しみに!

 


28 Octobre 2008
 
Opera Garnier 

 

     
 
 


パリ オペラ座へ ようこそ!

今日は指向を少し変えて、大きな画像をいれてみました。座席から天井を見上げて、首がねじれそうになりながら 撮影しました。大きすぎて限界です。(これがシャガールが描いたことで有名なパリ オペラ座の天井です)写真は当然、実物とは違ってしまうのですが、少しでも、そのすばらしさを伝えたいという思いを、先日見たパリオペラ座のバレエの舞台の感動と共に紹介したいと思います。このTopicsを見てくださる方にも、客席に座っているような臨場感を味わっていただければと思います。今回、私が見た舞台は、"Les enfants du paradis " 日本語では 天井桟敷の人々 で知られる、パリを舞台にした映画を、現在のオペラ座のエトワールダンサーであるジョゼ マルチネスが新しく手がけ、現在、注目されている作品です。このところ、いろいろなインタビューや雑誌の取材でよく目にすることで、その関心度の高さが伺えます。他にも同じくエトワールダンサーであるアニエス・ルテステュが、衣装のデザインを担当するなど、普段舞台で活躍するダンサーが作り手としての才能を発揮したとても興味深い舞台です。保守的になりがちな伝統の文化ですが、現在 オペラ座のディレクターとして指揮を執っているブリジット ルフェーブルは、伝統を守りつつも、こうしてダンサー達のさらなる才能を見いだし、新しい挑戦へ意欲的な発想を展開し、とてもすばらしい人物であると感じます。



席は前から2番目の中央から少し左に位置したとてもいい場所です。それと いつも感じる客層の広さです。やはりそういうところが、舞台芸術が育つ大きな基礎になっているのですね。
 
この作品は、一人の女性とその彼女を取り囲む何人かの男性との間を描く人間像が、主体になっています。フランス映画らしく、見終わったあとにおわった〜〜という開放感ではなく、じわーっとかみしめるものがあります。作品が劇中劇である部分を、あらゆる試行で観客までもその劇中劇に参加しているような演出があったりで、その斬新な発想に驚かされ、ひょっとしたら、これは演じている人が一番面白いのかもしれないと思わせる舞台でした。場面転換も、舞台裏のリアリティーをそのまま見せる演出で、本物の舞台裏の人間も混じっています。子役などはオペラ座のバレエ学校の子供ではない普通の子供を使っていたり、飲み屋のシーンやお祭りのシーンでもミュージシャンが舞台上に登場します。後半に入ると、私たちの見ている客席、バルコンに登場人物が現れる演出があり、はじめ気づく人が少なかったようすですが、気づいた瞬間のみんなの驚きも感じ取れて、それもまたニクイ演出。どこまでが作り物の世界で、どこからが現実なのか、その境界線を引くことの難しさを、舞台ならではの仕掛けで、楽しませてくれました。舞台のあらゆる可能性をふんだんに引き出して、360度そのまま劇中劇の中で見ていた印象です。思い出してもワクワクしますね。いつも感じることですが、とてもレベルの高い芸術でありながら、とても身近に感じることができ、高貴すぎて人を寄せ付けないような威圧を全く感じないことです。どこまでも、見てくれる人を楽しませたいという真摯で限りないやさしさを感じます。踊っているダンサー達にしてもおなじでエリートのもつ優越感のようなプライドも感じることがなく、私たちとなにも変わらない普通の感覚をも持っていることにもその奥深さを感じさせます。。
舞台のほんの一部が動画で見ることができます
(一定の期間のみ見ることができるものだと思われますので、ご覧になりたい方はお早い目に!)
バレエは見ての通り、体を酷使するひとつの表現であるので、人間としての成熟度と、体力のバランスがとれている期間というのは非常に短くなってしまうものだと思うのですが、今回、特に感じたのは、演じている人たちの成熟度がとてもこの作品の深みをだしていて、言葉がないことに不十分さを感じることなく、見ているものを引きつる魅力がとてもあったことです。

 

 
舞台前半が終わり、幕が下りると同時に、
天井から降ってきたチラシ

前半の舞台が終わり幕が下りると同時に、なにやら天井から降ってくるではありませんか。大階段で何かがある様子。ロビーにでると、ピエロ風の案内人が、私たちをどこかへ導いていてくれています。人の流れについていくと、正面の大きな大理石の階段で。目にしたのがこの左の写真の光景です。真っ赤なドレスに包まれた女性が階段で倒れ込んでいます。バイオリンの音色が響きはじめ、ゆっくりとはじまった ”オセロ”のワンシーン。 誤解が解けず、オットである オセロにころされてしまう妻のデズデモーナの踊り。演じるのは ミテキ クドー / アレッシオ カルボンヌ の二人。これは この天井桟敷の人々のなかで、なかなか巡り会うことのできない二人が、芝居 オセロを 見に行くことがきっかけで再会をする場面があり、こういう演出で見せてくれたわけです。10分位の作品でしたが、これはしっかりと ビデオに収めましたよ。大理石の階段に、艶めかしいばかりの深紅のコスチューム、その妖艶さと、その切ない思いをバイオリンの音色が色を添えます。・・・・・・・そして、後半の舞台の始まる合図が聞こえます。

公演後半、客席に戻ると、すでに、幕が上がり、ダンサー達のリハーサルが始まっています。今回振付にあたったジョゼ マルティネス 本人が 普段着のまま、ダンサーのリハーサルをしています。そして、あらためて 始まった幕開きは、ガラッと雰囲気を変えたこれぞバレエ!という、短い作品が軽快に始まります。それまでの作品の少しどろどろした人間関係を描いたものと打って変わって、踊り手達のすばらしい動きと技のオンパレードです。それまでは、踊りよりもドラマに引き込まれていたので、確かに、物足りないという部分がなかったわけではないので、なかなか 悪くない構成です。そして、場面が 一気に あれから数年後、という設定に戻り話はクライマックスへと展開します。ここで全部話してしまうと、これからこの舞台をご覧になられる方の楽しみがなくなりますのでストーリーの展開はご想像にお任せしますね。そうそう、忘れてはいけない今回の衣装。これがまたとても良かったです。モダンなタッチが、上手く取り込まれていて、悪目立ちせず、しっくりと馴染んでいて、なんと言ってもその品の良さに目を引かれます。でも、お金かかってんなーー そう思わずにいられませんでした。
実に、この舞台の制作には、約2年もの歳月が費やされたと聞いています。記念すべき、この初演の彼の作品を 見ることができてとてもうれしく思うと共に、これからも またの再演を願っています。

これからは もっと 舞台をたくさん見なくちゃ! と 思った一日でした。


追伸

天井の絵の中に、きっと Michkaがいる気がして、ふと探している自分がいました。

 

20 octobre 2008
 
 Adieu ・・Ma petite Michka
 
安らかな眠りを願って

お花でいっぱいにしてあげたくて買い込んだ花

 

Michkaがお星様になって、7日が過ぎました。どうやってこの1週間を過ごしたのか、恥ずかしいですが、あまり自分でも記憶がありません。もう大丈夫!と思っても、何気ない瞬間に、いたたまれない気持ちに逆戻り、ついつい泣いてしまう毎日でしたが、どうやらその山場も超えたように思います。
Michkaが自分の様態に異変を感じ始めたのか、不安げな鳴き声で訴えかけるようなまなざしを向けるようになったのが、ちょうど2ヶ月ほど前でした。それからしばらくすると、あきらめたのか、その変化を受け入れている様子で、よく見ると今までしなかったことが増えたり、していたことができなくなったりするようになりました。それでも、いつどんなときも私が顔を近づけ、体を撫で、そばにいると、ずっと ゴロゴロとのどをならし、うれしそうな表情を最後の最後まで見せてくれました。。そんなに反応しなくていいよと 思うくらい健気な仕草が、かえって辛く、どうか苦しまないで欲しいと それをばかりを願いました。主治医の先生はとても信頼できる優しい方で、ちょうどその週半ば、これ以上の手当はできないだろうという覚悟のもとに伺い、あと長くて1週間、4,5日くらいかもしれないと言われていました。人間ならとうに亡くなっているだろうという話とともに、Michkaの生命力の強さを褒めて下さいました。そんなことでしたのでいろんな覚悟はしていたものの、私たちが仕事で留守をしている時間がほとんどなので、ひとりぼっちで逝ってしまわないで欲しいと祈る思いでした。

 

仕事も順調にすすみ、1週間の疲れもピークに達した先週の日曜、今日は何にもしない!Michkaと一緒にいる!と決め込み、彼女の様子を伺いつつ、気が付くとカメラを向け写真を写す。ご飯を食べなくなって5日、今日もそっぽむかれるのかなと思いながらも、ご飯を口元に持っていくと、自分の空腹を思い出したかのように、私の手のひらから直接食べる。こんなことは初めてのような気がする。食べたい!という気持ちがあることに、心なしかほっとし、静かにその様子を見守りました。ごちそうさまの合図は、いつもどおり舌を大きく動かして口のまわりをなめ、そのあと、顔を洗う仕草、右の手を大きく動かし顔を洗う仕草、左に手を移し替える動作に少しぎこちなさがあったけれど、無事左側も綺麗に洗って、満足げにその場でしゃがみ込み、うとうと・・。食べるというと行為を久しぶりに見て、素直にうれしかった。お天気が嘘のように暖かく、日の光の当たる寝室の片隅にお気に入りの毛布を移動させ、日向ぼっこできるようにしてみたら、ゴロゴロいいながら、機嫌良く静かに眼をつむっていた。日に日に弱っていく様子は、その彼女のとる姿勢に一番よく現れていた。肺ガンが要因だったので、肺から鼻口に向けての通り道に圧迫感が起こると息がしにくいらしく、横になった姿勢がどんどん見られなくなり、眠くてもまっすぐにしていることがほとんどになった。それでもそばにいるとちょっと私に寄りかかるようにほんの少し体を傾けられるのが、うれしい様子でした。私もお昼寝しよーっと横になるとすーっと近寄り、仰向けの私の胸元に連れてくると、全身を委ね、顔をすり寄せてくる。愛おしさが込み上げる。私も仕事の疲れがかなりたまっていたのか、そのまま気が付くと眠っていました。どのくらいだったのかな、10分が15分くらいかな。のどかな日曜の午後。少し部屋の掃除をしたり、片付けものをしたり、だらだらしながら過ごすひととき。でも、それが最後になってしまいました。 日が落ち、夕食も終え、一息ついて、もうそろそろ寝ようと思い始め、ふと、明日からの仕事を思うと、Michkaのことが気がかりで、やっぱり私がそばにいて最期を看取るのはむずかしいかもしれないとまた不安な気持ちが襲う。そう思ったのとほぼ同時くらいに、私の枕元にいたMichkaの様子がおかしい、今までとは違う。ランプをつけると、今日久しぶりに食べたご飯を少しもどし、今までと表情が明らかに違っていた。大声でオットを呼ぶ。その声でその事態を察したようすのオットが飛んでくる。苦しそうに咳き込んだかと思うと、立ってることができず、私の枕に倒れ込んで時間にしてどのこらいだったんだろう、1,2分だったのかもしれない。でも、もっと長く感じた。かぼそい呼吸を2,3度、私は彼女の耳元で、もういいよ!よくがんばったよ!Michkaのおかあさん 待っていてくれるよ お母さんのところに行くんだよ! ほんとに いっぱいありがとう。何とか言えたのはそれだけだった。呆気なかった。想像していたよりもっと、呆気なかった。オットと私の間にも言葉はなかった。Michkaが苦しみから解放されたのだからと自分をなだめようとしても、どうにもならない。悲しみは、静かにじっと受け止めるしかないものだとその時思い、ぐっと堪えた。その夜は、籐の籠に彼女のお気に入りの私のストールにくるみ、暖炉の前で静かに眠らせることにしました。小さなろうそくをまわりに灯し、1輪のバラの花を添えました。まだ、暖かい体を何度も撫で最後の別れを惜しみました。

かわいがりすぎたかな・・ 
でも、かわいくて かわいくて 仕方なかったんだもん・


オットと私の手にうずくまるMichka

頭のところに手を持っていくと、手のひらにうずくまるように、顔を寄せてくる。何かを予感しているような仕草が私の心をしめつけはじめました。お互いに離れがいたい思い 1秒の重さがどんどん貴重なものへと変わっていく瞬間でした
 


ずっとずっと これからもずっと一緒

動物を人間のような見方をするのは、おかしいけれど、最後まで、投げ捨てて弱気になることもなく、淡々と自分の寿命を全うする姿に、心打たれる。この翌日 息絶えるとは知らず、しっかりとした目線で見つめる瞳
 

ほどよく日の差す庭の一郭
まわりも花をたくさん植えました。いつまでも私たちのそばで眠っていてくれると思うと、心が和らぎます。パリではなかなかできない幸運なことですね。

翌日、いつも通り仕事に向かう。誰にも、このことは話さず、普段のまま過ごす。オットと話し、うちの庭に埋葬することに決め、昼の仕事のあと、ふたりで庭の陽の当たる一郭を決め、名残を惜しみながら、作業を進めました。この日は日が暮れても20度を超すお天気で、これも何かの力なのかと思うような不思議なお天気でした。仕事帰りにとりあえず、両手にいっぱいの花を買ってきたので、庭が一瞬に鮮やかになりました。オットは最後まで面倒を見ていた私に、すべての決断を委ねてくれ、君のしたいようにするからと、言ってくれました。悲しかったけれど、これ以上のことはできないと思えることに心の区切りをつけ、最後に私がMichkaに宛てた小さな手紙を手に持たせて、お花を一輪、そして静かにお別れをしました。そのあと、オットとふたり、庭で、お酒を飲みました。こういう時のお酒は、確かに緊張が少し和らぎ、楽になれるのはありがたいものです。庭があるお陰で、私たちのそばでずっと眠っていてくれることができ、寂しさもほんの少し和らいでいるように思います。これでよかったのですね。きっと。
オットは私より長く彼女と過ごしていたので、もちろんその悲しみはさらに深いものであっただろうと思うけれど、私がとてもかわいがっていたことを察してか、私の周りの人たちに、私の悲しみをそれとなくつたえてくれていたようで、普段となにも変わらない中にみんなの思いやりをたくさん感じることができました。仕事に来るのが遅くなっても気にしないで、ゆっくりしておいでと声をかけてくれたり、取り立てて細かいことを聞くこともなく、ただ静かに見守ってもらっていたのがよくわかり、心にしみました。自転車での帰り道、出会った友人は、”僕 猫の生まれ変わりだよ〜〜” 道の向こう側で声をかけてきました。ああ みんな知ってるんだ このこと。でも、ほんとに優しい。こんな時にとっさにこんな冗談を言うなんて、悲しかったのにこのときはほんとに笑ってしまいました。日本なら、こうはいかないな きっと。

Michkaは たくさん 私たちを 優しい気持ちにしてくれました
そしてこれからも 彼女の存在は これまでと同じようにやさしさと共に 生き続けるんだと思います。 ほんとうにありがとう。

 


29 septembre 2008
 
境界線 
裏切らない味

これ、グレープフルーツのタルトでもそれだけじゃないんです。下の方に、バジリコのゼリーがほんとに上品に入っているがポイント。絶品です。このお店、ごめんなさい 教えません。どのお菓子もすごいんです。青木貞治さんのお菓子に対抗できるレベルのお店で、奥様がお店で、お客様の相手をされています。それがまた綺麗な方でして、ご主人のお菓子を、心を込めて、説明してくださって、感動してしまいます。きっと、そのうちに有名になると思うので、今は、教えません。すみません。

 

”流行に流されない”というのが、この世界の流行の先端といわれるパリ・フランスの女性のおしゃれのポイント。さすがだと思わせるところ。自己中心という感覚も取り違えると、わがままになってしまうが、こと お洒落に関しては、それでいいんじゃない? と 深く共感を持ってしまう。だから、普通に歩いていても、いろんな個性が見えて楽しい。自分が楽しんでいる というのが見て取れるのは、普通レベル。自分をどう見せたいかを考えて、自分の好みだけに没頭しない、ちょっとランク上のレベル。それらのポイントのひとつは、金銭感覚。こんなことを書くと日本の若い女性に反感を買いそうだけれど、歳相応で、できれば、安いものを自分で着こなしでみせるテクニックがお上手。若い人が高価なブランドものを持つのはもってのほか。それにブランドものを買う人は、メトロになんか乗らない。自家用車かもしくはタクシー。ブランド名の入った紙袋を自慢げに手にしている人をメトロで見つけると、それは日本人観光客であることがほとんど。それでもたまにいるのは、本物の貴族令嬢。本物のお金持ち。そこまで行くと、やっぱり育ちが身についてるのか、10代でもそれなりににあっているんだから、嘘はつけない。日本の雑誌で頻繁に取り上げられるパリジェンヌのおしゃれ、生活の記事。とりあえず、そう言う見出しをつけると売れるのかして、目にするけれど、内容も底がついて、マンネリ状態。私も何度となく同じようなことを書いているが、そのくらい外から日本を見ると、不思議で滑稽に思えてくるのです。人間関係にしてもしかり、お洒落にしてもしかり、自分をそのまま表現することに抵抗を感じたり、浮いてしまうことを恐れたりすることのほんとうの理由は何なのかなとつくづく思ってしまう。自分の中を自分で探ることよりも先に、まわりの目に対しての反応に敏感になりすぎて、自分を追求することがその時点で終わってしまうんだろうか・・。個性はなにかのうえに上乗せされて存在するものではなくて、その人の根底にあるものだとしたら、そこに目を向けない限り、自分は出てこないかもしれない。そう言う意味では いろんな壁にぶち当たることは、自分と向かい合える良い機会になると思う。もっと、想像力を養いたいものだ。最近読んだあるサイトを見て知ったが、同じ踊りでも日本舞踊は、鏡を使わずに、自分でイメージをして動きや形を作り上げていくそうだ。西洋の踊りは、鏡を使って練習することが多いが、確かに そこで違いが出てくるものがあると思う興味深い話。日本の文化には、誰にも見て取れるようなものよりも、粋と呼ばれるようなものを見て感じ取れる習慣を身につけることでセンスを磨く、本来、日本には地味かもしれないけれど、すばらしい文化が存在していると思う。西洋には真似のできない文化がある。確かにフランスで見る アジアの文化に対する興味やあこがれが、本来の形を無視して外見を真似した摩訶不思議なものへ変化しているのを見るのもどこととなく悲しかったりする。見た目を真似るのではなく、なぜそう言う美が生まれたかを知ることによって、流行に流されないお洒落も成り立つんじゃないかと思う。日本人もそう言う情報に振り回されず、そこから脱皮できるようになったころ、お洒落上手といわれるようになるんだろうか。  

今日、昼の仕事が終わって休憩で家に戻ったら、小さい郵便物が届いていて、開けてびっくりです。知ってそうな人だと言うところまではわかったものの、はっきり思い出せず、とりあえず、開けてみることに。あぶり出しのように、徐々に記憶が蘇ってきました。先週、最近、常連になりつつあるお寿司屋さんのカウンターで、まったりと過ごしておりましたら(もちろんひとりです)、ご主人が厨房に消えていったかと思うと、にんまりした顔で、私の前に小鉢を置かれます。そこにあったのは、薄切りにした大根の上に凜とのせられた”からすみ” それも 一切れではありません。8切れ(ちゃんと数えている自分が怖い) 思わず ”ご主人! これもう少し薄く切ってもいいんじゃないですか?” といってしまったくらい大胆な厚みで、これじゃー飲まないわけにはいかないでしょー ってな ノリです。そこをすかさず ”無理にね 飲めとはいってないからね ははは・・” 痛いところ突かれます。案の定、お酒がすすむこと。もったいないのでちびちびやって、最後の一切れを残し、楽しみにとって置いたところ(いじましい・・)となりに 女性が これまた一人で 入ってきたのです。常連さんらしく、ご主人と会話されていました。その人の目に一切れ残した”からすみ”が目にとまったわけです。からすみは ヨーロッパでも確かイタリアなどで食べると聞いたことがあったのですが、彼女はレバノン人だといってましたが、彼女の国でも食べるらしく、一目見て、何かわかった様子でした。同じカンターで一人で来ている女性客の一人に出して、もう一人に出さないわけにもいかないので、ご主人同じものを彼女にもサービス。ひたすら おいしい〜〜といいながら一緒に食べていると、これも悪くないけど 私の国の”からすみ”は もっと美味しいと言い張ります。ご主人と私は、冗談交じりに日本のが最高!ってな具合に、笑いながら、お互いのお国自慢をして面白がっていたんです。
そう、その郵便物とは、その彼女が世界で一番美味しいと話していた”からすみ”だったんです。飲んだ席での勢いで、もちろん本気にしていなかったことなので、ほんとに驚いてしまいました。気っ風のいいお姉さんさんだ!っていうか、私が得をしてうれしいという意味ではなくて、そう言う粋なことをしてくれる心気に、やられたなという感じ。それでも、やっぱり私は日本人なのねーー お礼 どうしよう?って 反射的に思っています。この場合、あなたの言うとおり あなたの国の”からすみ”のほうが美味しかったわ! って 日本ならお世辞でも言うんでしょうけど。それは食べてみなきゃわからないことなので、正直に感想をいうとして、ほんとにどうしたものでしょう。なにか粋なお返しがしてみたいです。あなたなら どうします?

 
 


24 septembre 2008
 
残された日々 

8月の休み中は、雨が多かったり曇りがちだったりで、ヴァカンス気分になれないまま終わってしまったのですが、このところ、夏が戻ってきたような陽気です。風は肌寒いのですが、気持ちのいい日が続いています
今日は、残念ながらちょっぴり辛いことを書かなくてはいけません。このところ前ほど外出もしなくなり、元気がなくなっていたMichkaなんですが、7月に病院で検査をして、しばらく様子を見てから、また検査しましょうとのことで、9月10日に先生に診てもらいに行きました。10日ほど前から、今までとは違う咳き込み方をしはじめ、それがひどいので、私なりにもいろんな覚悟をしていたのですが、レントゲンを前に先生からの説明で、明らかにガンであることが、わかりました。偶然にもこの日はMichkaの誕生日だったりしたので、複雑な気持ちでした。それ以来、今もいろんな気持ちが私の中で行き来していて、辛いです。できることは、苦しみを少しでも和らげてやることしかないようです。それほど遠くないいつか、遠くにいってしまうんですね。最後を見守る。動物に限らず、人間も最後にできるのはそう言うことでしかないのかもしれません。出してもらった薬が効いているのか、弱ってはいるものの、食欲も少し出て、咳も少なくなっています。といっても、治るわけではないので、症状が厳しくなっていくとは思うのですが、ずっと、そばにいて今まで通りにと思っています。こういうことと向き合うことで、また、なにか大切なことを教わっているきがします。逃げずに、ちゃんと向き合ってね。動物とは話はできないけれど、間違いなく信頼感が深まっていくつながりというのは、感じられるものです。人同士とは違って、逆に言葉がないことで複雑な心理はなく、ダイレクトに受け止められるものがあったりします。私がフランスに来てから、今までずーっとそばにいてくれたことが、どれだけ慰められ、助けられたかと思います。オットももちろん表面的には平気そうにしていますが、やっぱり同じ気持ちなんでしょう。今週はお天気も良さそうなので、庭で一緒に日向ぼっこできるといいな・・。

身だしなみ

仕事が仕事だけに、お洒落をしたいと思ってもできない!というのは、言い訳でして、やっぱりちょっとそう言うことにも、気を配らないと、反省しまして、久しぶりに化粧品を買いました。清潔感が第一、シンプルで機能的、できれば小物や色づかいで、個性を出したい。思ってることはそれなりにありますが、実行が伴っていません最近。年配の女性のおしゃれに関しては、残念ながら日本ではあまり刺激を得ることはあまりないのですが、そこはParis の 魅でもあります。お勉強させてもらいます。
 

 

 

 

 
 


7 septembre 2008
 
繰り返される試練 

順調に再開した仕事、やっと、私の思う展開につながっていきそうだと思ったのもつかの間、今日、ちょっと残念なニュースが入りました。相棒の料理人が一身上の都合で1〜2ヶ月パリを離れなくてはならない状況になったようです。フランスのことですから、いずれは戻ってくると口で入っても、実際のところそれはあまり期待できないと思っていたほうが良さそうな雰囲気がします。彼のお姉さんのご主人はナントで小さなレストランを営んでおられるそうですが、その義理のお兄さんが体を悪くして、手術をしなくてはならないらしく、術後もすぐに仕事に復帰することは難しいと考えると、2ヶ月くらいは必要になると話。やっぱり ちょっと ショックだなー。ぼんやり 空を眺めてしまいました。でも、またそれで 違う出会いもあることだし、あんまり深く考えないで今まで通りで、いこうと思います。いけると思いますっていったほうがいいなー まっ 一人じゃないんだし なんとかなるわい!
話は変わって、私の中学生3年の時の 同窓会が今度の日曜にあります。もちろん日本でなので、出席できません。何とか取りつないでくれている数少ない友人の一人が、早くからその予定を知らせてくれていて、その頃に日本に戻ってこれない?と言われていたのですが、日々こんな状態ですから、たとえ日本にいるとしても難しいスケジュールです。同じクラスで勉強して卒業をしてから、40年近いんですから、再会することの緊張はただならぬものがあります。変わった人、全然変わらない人、よく覚えている人、覚えていない人、しまいには、先生だったか同級生だったかの区別ができないなど最悪状況も考えられます。電話で、他の人達の近況を聞かせてもらうと、錚々たるメンバーが揃っているらしく、医者やパイロット、大学の先生、政治方面で活躍している人など、へぇ〜〜〜 と 驚くばかり。話を聞かせてくれたその友人は、もうじき孫ができるんだとさ。ますます、すごいことになっています。同窓会というのは、このくらい期間が空くと面白いものかもしません。わたしはその頃学校では”バレエをしている子”程度で、特に目立つ方でもなかったので、珍しいケースとして、話のネタにあがるんでしょうね。どうも、パリなんかに住むと雰囲気だけはうらやましがられるんですけれど、今も中学の頃のように毎日辞書を開いて、フランス語と格闘している絵は描きにくいんでしょうか。どこにいても現実は厳しく、壁がいっぱい。そのあたりのことは、「若さの秘訣は この緊張感」、ということにでもしてもらえるとうれしいなー。彼女と約束で、その同窓会にメッセージを書くことになっています。ああーー 書くだけでも緊張するなー。

一目づつ

先日から編み始めた友人の子供のマフラー。来年の4月で2歳。わたしと誕生日が1日違いです。柔らかい手触りに仕上げたくて、選んだのは細めのアンゴラ入りの糸。こんなに細かい編み物は初めて。心込めて編む。うれしいものですね
 
裁縫箱

ソーングセットというより裁縫箱の方が暖かさが感じられる、手の込んだ贈りもの。もう早20年近くになるかもしれません。教え子のお母様が私のために作ってくださり、ずっとずっと大切にしているもの。いつでもどこでも大活躍です。

裏側のモチーフ

糸と針のパッチワーク
使う人の気持ち

ちょっとしたアイデアが使う人の気持ちをくすぐる。真ん中に糸のコマが通せるようになっているので、糸を取り出すときもこのままくるくる回りながら出てくるようになっているのが、すばらしいアイデア。ピンクッションもパッチワークでできています。私の秘密の道具がいっぱいなのよーー
 


 

 
 


2 septembre 2008
 
滑り出し 好調! 

店が再開し、金曜土曜とたった2日仕事をしただけなのに、この日曜はもうぐったりモード。普段より、初日はどうしても仕込みが多いので仕方がないけど、あーーやれやれって感じです。そして、昨日の月曜、9月1日、いきなり、昼のサービスは、大入り満員、さばいてもさばいても、仕事が流れてくる。活気のあるお客様の話し声やナイフとフォークがお皿に触れる音が聞こえてきます。これだけ準備すれば大丈夫だろう思っていた料理は、ぎりぎり。夜の分の仕込んだ料理を急きょ登場させるなど、危機一髪はらはらしながら無事に皆さんのおなかを満タンにできたようです。8月にパリ情報の日本語サイトで紹介いただいたので、その記事を読んでパリ在住の日本の女性の方お二人もお越しいただきました。なんとか喜んでいただけたようで良かったです。で、今日火曜日、昼のサービスが終わって家に戻り只今、休憩中、これが疲れがたまってくるとお昼寝の時間になります。でも、休み中にサイトの更新をしてあらためて、書くことが自分にとっていろんな整理ができて、いいのだと心底思ったので、がんばって書いているところです。今日の昼は、昨日思いついて試作した前菜の一品を、メニューに加えたところ、評判も上々。ときどきメニューに加えようとオットからお許しがでました。仕込みに時間が多少かかっても、注文が通ってからの時間さえ短くできて、味見た目も良ければいいわけです。今回のはいつも出しているサーモンのタルタルステーキ(生の鮭を包丁でたたいたもの)を 山羊のチーズをクリームで伸ばして軽く仕上げたものそれにハーブさらに、加えたのが青リンゴのみじん切りです。薄いクレープ生地を小さな器に見立てて、カリッとオーブンで焼いたものに盛りつけます。手でつまんでポイッと口に運べる軽い前菜です。組み合わせは思いついても、この配合が結構難しく、あれこれ試して完成しました。でも、楽しい〜〜! 言わば、お客様は私の実験台になるわけです。それも、残り物を利用して、できるとさらに満足感があります。さぁ〜 ちょっくら 昼寝して 仕事に行くことにましゅ。

万華鏡
観光客なら誰でも、カメラを向ける被写体。ギャラリーラファイエットの天井。今の時代にはこんなことできないんではないでしょうか。昔の人はすごかったんですね
木のぬくもりと光

8月中にクラスをしていたスタジオ。パリで一番有名なダンススタジオ。様々な種類のダンスのクラスがあります。空きがあれば簡単にレンタルができます。
 
ここはどこ?

通りかかったパリ18区の画廊で目にしたものは・・・御堂筋線 心斎橋からの2区間チケット。あまりにも見慣れているものを、意外なところで目にすると、どうして? と 言いたくなります。このチケット 縦50cm よこは1mくらいの強大なサイズです。

 


上の写真、天井部分は、手書きの細かい絵が施されています。聞くところによると、ナポレオンの時代よりもさらに古いんだとか・・

気になって、今調べてみたら、建てられたのは1617年 資料に残っていないものも含めると、おそらく1600年から 進められていたとされています。そんな貴重な建物を市民に自由に使わせるところは、太っ腹です。修繕して欲しいなと思うところはないではないですが、この重厚な趣は、今の時代に作ることのできないものです。

 

 

   
 


28 aout 2008
 
明日から店、営業開始 

明日の29日金曜から、店が通常通りの営業に戻るので、今日はその準備で仕事に入っています。仕込みましたよ。デザート:フォンダンショコラ 30人分、バナナのパンナコッタ20個、洋なしのタルト、ラザニア、18人分、人参とココナッツミルクのカレー風味スープ、10人分、赤ピーマンのマリネいっぱい、魚料理用のソース、チーズを使った前菜10人分、 鶏のもも肉を捌くこと25本、トマトソース5キロ、お客様が入っている訳ではないので、サービスに追われることなく、自分のペースで作るのは、楽しい。相棒の料理人は、普段しっかり働いてくれているので、週明けの月曜からなので、今日は私一人。明日からは、新鮮な気持ちでお客様を迎えられそうです。休み中オットは、店の外観に手を入れ、傷んでいたところを修繕したあと、思い切って色を鮮やかな赤一色に塗り替えました。今まで少しわかりにくいとご指摘をいただいてところにも今度はしっかりとアピールできそうな仕上がりです。また、写真に納めてこちらでも紹介しますね。
それにしても、休み最後の日となった昨日は楽しかった。すばらしく天気が良く、さわやかで思いついて、自転車でリュクサンブール公園まで走って、泉のほとりのいつもの場で、のんびり本を読んだり、ものを書いたり、それほど長い時間ではなかったのに、ゆったりした気持ちで過ごせたせいか充実感がありました。ちょうどうちからは、パリの中で一番長い通りで知られる、vaugirard 通りという名の道をただ一直線に走るだけで、着きます。途中にはかかりつけの病院があるので、定期検診の予約を入れました。病院の受付では9月新規から仕事に入る研修生が、先輩の付添で受付の実習中です。普段よりも少し時間がかかりましたが、無事に予約の確認をすませました。新しい仕事に就く人の緊張感が伝わり、少し引きしまる思いがしました。公園までの道のりには、様々なお店が建ち並び、普段は時間がなくて通り過ぎてしまうお店にも足を止めウインドウショッピング。こういうときやっぱり パリは素敵!とおもちゃいますねーー。一番感じるのは色づかいの豊かさでしょうか。常に新鮮に感じるのも、パターン化したものが少ないんでしょうか。今年の秋冬のテーマカラーが、それぞれのお店のウインドウを飾っています。まわりの美しさに対して、近頃の私は、お洒落どころではなく、気が付くと飛んでもない格好をしているで要注意です。これから60代に向かっては、華やかさも残しつつシックな装いの似合う、素敵なマダムになる努力を少しづつしていかねばなりません。う〜〜〜ん がんばらねば。しっかりとお手本になりそうな素敵なご婦人もたくさんおられることですし、お勉強させていただきますよ。こういうとき、お店に来られる素敵なマダムを相手に、話を聞き出すのがこれも、楽しいものです。自分で言うのもなんですが、結構、自分より年配の方のお話を聞き出すのが上手いようです。おだてたりしている気はないのですけれど、やはり熟練された人の言葉には説得力があるので夢中になってしまいます。それに相手がほんとうに自分の話を聞いてくれるとわかると、どんどんうち解けてくれるんですね。どちらかというと若い人よりも、年配の人の方が話がしやすいとよく思います。まーそんなことですから、私もそのうちに素敵なマダムと呼んでもらえるように磨きをかけましょう。やることがいっぱいあって ほんと 忙しいこと!!

 
見上げると夏の名残、
視線を落とすと秋の気配


昨日のリュクサンブール公園の様子です。まだ観光客がたくさんいる中で、一人静かに過ごしている人がたくさんいました。泉のほとりは、静かに水の音が聞こえ安らぎます。大きなマロニエの木が泉を囲み、木漏れ日が水面を照らし、キラキラと揺らぐ水面を、鴨の家族がスーイスーイ、となりでは若いカップルが幼いときに歌った歌を思い出しながら口ずさんでいるかと思うと、向こう側では、デッサンをしている人、難しい面持ちで新聞を読んでいるムッシュ、孫娘にお話をしているおじいちゃん、かと思うと、かくれんぼをしている子供達が、そこかしこを走り回ったり、もう様々。豊かだなと思います。  

何かの壁にぶつかったときに、理解できない、わからないといってひと言で終わらせない習慣を持てるようになったことを幸せに思う。そうしていく中で、出会うものが私の好奇心を掻き立て、新しいものに触れたとき、ほんの少し自分の世界が広がった気がします。私はあるとき、あー 自分の本質は変われないものだとはじめて本気で受け止めることができたときから、自分をもっと知ってみようと思うようになった。そうしたら自分の思いこみがいろんな道をふさいでいることに気づき、なにも変わらないのに、楽になったりした。本質は変わらないんだろうけど、ものの受け止め方や見る角度を変えると、自分の意識は変わっていけるんだと思う。その頃から、今は変わらない。私は宗教を持たないので、その類の知識には欠けるけれど、自分以外の何かの力が自分に働きかけていると信じている。期待するのもではなくて、支えてくれるものだと思っている。禅の教えの一節などを目にすると、自分の中で感じ取っていた漠然としていたものが、言葉に表現されていて、あー それほど私は間違っていないのかもしれないと思いまた少し楽になる。これからも、自分をもっとわかってあげようと思う。やっぱり自分にしかわからない自分がいるから。

 
 




27 aout 2008
 
彩りの秋 
並んだ 桃

以前から、買いたかったレンズを休み中に買いました。身近なものを撮るには、十分の明るさと背景のぼかしのバランスがこのレンズのおすすめです。評判通り、安いのに良くできたレンズです。こうやってカメラの被写体にしていても、プンプンいい香りが漂っています。今日は食べ頃、今夜 ゆっくりいただきましょう

夏休みも終わりとあって、大きなスーツケースを転がしながらヴァカンスから戻ってくる人で、駅はごったがえしています。パリの街の賑やかさが戻ってきました。とはいっても、私は8月のパリが好き。のんびり田舎町のようなゆったりした流れに変わり、せかせか歩く人もいないですから、ほんと気持ちいいんですよ。
いつもこの休みの後半に目にとまるのは、八百屋に並ぶ色とりどりの野菜果物たち。農産物の豊かな国の象徴です。フランス人がグルメになるのもわかります。9月に入って仕事に追われるようになると、そんな風にも見ることができなくなってきそうですが、しばしの間、なにも考えずに野菜達を眺めていたいです。


この休み中には、生徒からの要望があり、少人数のクラスを週に2回程度ですが、指導をしていました。今日はその最終日になりそうです。普段はものすごく大きなスタジオで 、大人数なので一人一人に対応できる部分がどうしても少なくなってしまいますが、今回はそう言う意味で、じっくりとその人のスピードやレベルに合わせながら、そしてみんなでわいわい言いながら楽しいクラスになりました。練習というものはいくら好きといえども、たいへんなもの、いかに苦手なものに興味を持たせ、やってみたくなるような刺激をあたえて、自分に自信をつけてもらえることができれば、それほどうれしいことはありません。時々フランス語をみんなから教わりながら、脱線もしたりの楽しいクラスです。昨日も書きましたが、普段の生活と仕事の区別は時には確かに大切だと思うのですが、特に指導をしているときには、頭で理解している部分プラス、大げさかもしれないけれど、私の生きている姿勢というのがそう言うところにも反映していると思うのです。誰にでもいろんな事情や難しさがあり、それでもなお何かに引かれて続けていることにいは、深いものがあります。私がお手本になることはありませんが、そう言うときに私がどういう風に考えて、進んでいるかを素直に伝えることはできそうだと思うのです。むずかしいことですが、それなりにやれるかなと思っています。きっと、料理の仕事も同じような観点で考えられるようになって、ずいぶん楽になりました。あまりにも違う職種なので、切り替えがいるのですけれど、こういう風に考えれば、どれもおなじだと思えるのですね。
休みが残り少なくなり、やっぱり短かったなー と、すでに、そう感じています。また、普段の生活に戻ります。 ちょっぴり残念。。

偏見というのは、どういう風に生まれてくるのかと、こうして、いろんな国の人が混じり合って生活をしていると、たびたび思うものです。外から見ると、それは偏見だと見えても当の本人にとっては、自分を守ろうとする一心になっているだけのようにも思えます。偏見がいけないというよりも、なぜそう言う偏見を持つのかをお互いに理解してみることの一歩があれば、それらは違う形になることで、摩擦をすくなくすることができないのかなと考えます。理想を言っても仕方がないけれど、ね。なぜこういうことを書き始めたかというと、きっかけは、養子縁組 こちらでは Adoption といいますが、あたりまえのように普通に受けて止めていて、日本で言うそれとは、かなり印象が違い、私自身も日本にいた頃の受け止め方に何の根拠もなく敬遠しがちな受け止め方をしていたことに気づいたからです。家族のあり方、社会のしくみなど、細かく関わっている部分があるので、その国によっての事情は確かに違うものだと理解をしたとしても、まずは、養子縁組を考えている側よりも、それとは無関係なまわりの受け止め方が、大きく違っていることに疑問を感じるようになりました。以前の私のように何の根拠があって何となく敬遠しがちであったかはよくわかりません。そこで、思ったのは、日本人の中にある本物志向というような部分で、混じりけのない純粋なものという捉え方が強いかなと思うのです。純粋に混じりけがない貴重さも、混ざり合うことで生まれる調和の貴重さも、どちらもおなじくらい大切なことだと思うのです。しいて言えば、混じりけのない純粋さを保つために守ることだけに集中するがあまり、他のものを受け付けない危険性があるし、混ざり合うことで生まれる調和には、本来の姿を隠蔽するという目的にすり替えられてしまう危険性が、それぞれにあると思う。「フランス人って どうして 何でもかんでも混ぜたがるの?」と、つい厨房で口走ってしまう私。日本料理を作るときとなにが違うって、素材の良さを最大限に生かすという方法でさえ、こんなに国によって違うものなんだと、納得させられてしまうのです。混ぜることにはそれぞれの質をどう生かすかという深さを誤解すると、混ぜてしまえばわからない という風になる危険性はあって、その境目が微妙なんだと思う。話は料理になってしまったけれど、書き始めて、自分の考えがまとまるわけでもないのですが、また、折を見て考えてみたいなと思うことです。

分身

ある親しい方に私の幼い頃、初めて着せてもらった着物のはぎれを差し上げたら、こんな素敵にしてくださいました。ふっくらと綿が詰めてあるので、ふんわりと風合いまでがその方のお人柄がそのままです。愛着を感じる大切な宝物 和紙のはがきが台になっていますので、大きさが伝わるかと・・

小さな器の大きな世界

これは左よりもさらにうんと小さい布で作ったお弁当 鯛の尾頭付きにお寿司いろいろ 縦が4cm 幅は3cm ほどの小さな竹の皮にのっています。これは、日本に帰ったときに器を買ったお店の飾り物だったのですが、あまりに見とれてしまった私にそれじゃどうぞお持ち帰り下さいといただいたもの。







25 aout 2008   (今日2回目)
 
再起動準備 
ランチの一品

肉料理にバラエティーを増やそうと作ったのは、まずまかないで、スタッフにつくった牛肉のオイスターソース炒め。これが意外にも好評でお客様にもお出しすることにしました。赤・緑・黄色のピーマンを彩りに艶よく仕上げます。いつも悩むのが付け合わせるもの。はじめは躊躇したんですが、イタリア麺タリアテッレを合わせています。このあたりの大胆さが、家庭的と受け取ってもらえるといいのですが。個人的には違和感なく食べられる組み合わせかと思っています。
付け合わせ

Flan フラン メイン料理の付け合わせに時々作るものです。作り方は至って簡単。キッシュの中身といえばいいでしょうか。メインの料理の味を邪魔しないように素材を選びます。きのこやタマネギなど大抵の野菜なら大丈夫、ベーコンも少し入れると風味がでます。先にソテーして火を入れます。このときに出る水分を十分に切って卵、生クリームなどと混ぜ合わせ、型に入れて オーブンで 15分も焼けばOK!熱々よりも 人肌くらいに温めるとベスト

サイトの更新で、思わぬ不手際に手間取ってしまいご迷惑おかけしています。最近ブームの「ブログ」を利用すると、こんな面倒なことにはならないんでしょうけど、これも仕方ありません。こつこつ手作りしているサイトなもので、うまくいかないこともあるみたいですが、どうかおつきあい下さいますよう。

さぁて 北京オリンピックもたくさんのエピソードを残し閉会しましたね。スポーツという形で順位を争いながらも、見え隠れするその人の微妙な表情、テレビの画面からも最新の技術が手に取るような臨場感でもって伝わってくるのは、ものすごいものです。とりわけ、カメラのアングルがすごいスピードで選手達追い、時には目眩を感じてしまうほどすごい瞬間があったりもしました。まず、驚くのは名前の知らない国がたくさんあること。世の中、変化し続けているんですね。まぁいろんな旗があること! 見ている側にすると、最後に表彰台にあがった選手達がライバルという立場から離れ、心からうち解け、この瞬間を共有できたことへの喜びを分かち合う姿は、何よりうれしいと感じます。いろんな思いで競技に挑んだことでしょう。悔しさを隠しきれない姿も、そっと見守ってあげたい気持ちにさせます。自分の極限へ、自分を押し出すエネルギーは、どこかに使命感を感じさせます。
少し前に、人との会話で、
Chouchouさんのなかでの プロフェッショナルとはどういうことですか?と質問されて 答えたのが、そう言うことでした。
自分で自分を追いやることのできる人 その時答えた私の言葉です。
焦りは禁物ですが、そう言う気持ち、持ち続けたいと思います。
そんななかで、仕事と普段の生活を区別することは、私にはとても難しいです。教えるという仕事も踊ることも料理を作ることもどれもが、私の生活の中から生まれてきます。区別とは逆に、裏表がなく素のままでいることが、自分らしさの表現につながると思っています。不器用なのかもしれないけれど、それを器用に操れることがいいとも思わなくなっていますね。どれも自分が望んで選んだことですから、どこかで重なり合ってきます。欲張らないことですかね。もう既に、欲張っている気もしますが、どうも、好奇心が強いことは、そう言うところで弊害があるようですね。


思いつれづれ その四

<目にとまったあるサイトの一節>

感動とは、三人称で感じる感情ではないと思う。
自らが当事者として行動して、主体的に一人称として感じる感情だと思う。
感じ揺り動かされるではなく、感じ揺り動くであってほしいと思う。
人生には物語にありがちな起死回生のホームランもなければ、ドラマチックな逆転タイムリーもない。
でも遠くを見ながら日々を雑に送るのではなく、つまらないかもしれない一日一日を丁寧に大切に送り続けた人には、その長さに比例して素晴らしい日が訪れるのも紛れのない事実である。
そしてそこに感動する、その人だけのそれぞれの価値ある物語がある。

 
思いつれづれ その五
今書こうとしている内容は、バレエをご存じでない方には少々、わかりにくい話題かもしれませんがあしからず。昔からどうも気になって腑に落ちないんです。バレエの古典作品の Giselle という物語です。どんなドラマも三角関係からドラマが生じる。このお話もそんな感じです。

ジゼルは、身体は弱いが笑顔を絶やさない踊り好きな娘だった。アルブレヒトは貴族である身分を隠し、名をロイスと偽って彼女に近づく。二人は想いを通わせるが、ジゼルに恋する村の青年ヒラリオンには面白くない。彼はアルブレヒトが普段の衣装や剣をしまう小屋を見つけ、村の青年ではないことを暴く。裏切られたショックで気が動転するジゼル。ある時、ジゼルの村に貴族が狩の途中に立ち寄ると言う。それはアルブレヒトの婚約者バチルダだった。ヒラリオンはアルブレヒトの剣を持ち出し、ジゼルの前に婚約者バチルダと公爵を連れて、その身分を暴いてしまう。もはや言い逃れのできないアルブレヒトは、婚約者バチルダの手にキスをする。それを見たジゼルは気が動転し、髪を振り乱して錯乱し、母の腕の中で息絶えてしまう。

この時点で、ジゼルは アルブレヒトに裏切られたともとれるのに、いきなり二人の真実の愛という展開に持っていくところに無理を感じる。婚約者と信じていたバチルダにとっても青天の霹靂だったことには間違いない。ただ、ジゼルが死んでしまったからまずい。 私が腑に落ちないのは、ヒラリオンという男性の存在があまりにも気の毒でならない。ジゼルのことを思えばこそ、アルブレヒトが、まー言う二股をかけていることで、彼女が傷つくことを防ぎたかった気持ちはよくわかる。たとえ、アルブレヒトの存在が面白くなかったにしても、真実のことを伝えようとしたことがそれほどいけないことだとは思えない。もしもこのときにヒラリオンが真実を暴かなかったとしても、バチルダとジゼルの間になにも起こらないはずがない。もしも、ジゼルが死ぬところまで行かなかったとしたら、一番追い詰められるのは、ヒラリオンではなくて、アルブレヒトだろうから。ただ一人、ジゼルの母親が息を引き取ったジゼルに近寄ろうとするアルブレヒトを払いのけ怒りの目線でにらみつけるところは、非常によくわかるし自然だと思う。なにがいやって、ヒラリオンの役の設定が単純に悪者扱いなのがどうも納得いかない。こんな話、今の時代でも十分にある話じゃないですか。最終的には、ジゼルとアルブレヒトの真実の愛を貫けなかったのは彼のせいだと、次の場面で、ジゼルの墓に許しを請いにやって来たところを沼に追いやり、殺されてしまいます。そんなかわいそうなことってねー  それよりも、アルブレヒトが、いくら真実の愛を誓っていたとしても、なんか自立できてないなーって 思うんです。婚約者がいることに対しても、中途半端だし、親に反発できないマザコンお坊ちゃまってね、いう風に見えてしまって。バレエの構成や動きなどすばらしい作品なのですが、大抵は、アルブレヒトを演じる人はルックスがよくて、ヒラリオンは、無精ひげ面であらわれて、ワンランク下という演出が多くて、やり過ぎ!と思ってしまう。できれば、アルブレヒトヒラリオンは同レベルの男前でかっこいい人がやって欲しい。こうやって書いていても、なんだかねーー。ヒラリオンのお墓があったら お参りしたいわって 思うんです。ついつい面白がって物語をリアルに考えてしまうので、こういう場合、割り切った方がいいでしょうね。バレエの舞台は、物語といっても、少々のマイムは入っても、誰が見てもわかりやすいというところも必要になってくるので、そう言うものかもしれませんが、白鳥の湖の作品にしても、白鳥と黒鳥の間で、揺れているジークフリード王子も、なんか頼りない気がして大家の王子様ってみんな、だめじゃん!もっと しっかりしないと。王も王妃も、自分の息子しっかり育てて欲しいって、その時代って、子供の面倒なんか自分でしてないのよね。まーいずれにしても、あんまり私のタイプじゃないってこと、こんな閉め方でいけないかなーー この話。熱く語ってしまったなー。つきあっていただいてありがとう。でも、書いてすっきりしたーー。

 


25 aout 2008
 
休みも早 後半
お久しぶりです

17歳なので、人間にするとかなりのお歳になりました。以前にも増して睡眠時間が一日のほとんど、お散歩も天気が良ければ、少し程度。見た目は変わりませんが、ちょっとづつ無理ができなくなっているのがわかります。ほんとのところの会話はできないので、願うだけですが、Michkaにとってもここにいることが幸せであって欲しいなと思います。 パソコンの前にいるときは、こうしてとなりの椅子、私の膝の上を 行ったり来たり、これを書いている今は、この椅子の上で丸くなってお休み中です。

久しぶりに Topics の 雰囲気変えてみたんですけど、いかがなものでしょう?ほんとうは、もう少し手を入れたいのですけれど、焦らずにやろうと思います。
これまでのTopicsへも リンクできるようにします (言い切ったけど、実は希望。できるかなーー)皆さんのパソコンで 見ると、おかしいぞ! 変だぞ!というときには、どうぞ BBSの方へ ご一報ください。これも、シンプルに見えてる割に、手間かかってんのよねー。色だとか、サイズのバランスとか、でも 近づいてみたり、離れてみたり、いろんな風にしてみると、面白い。それほどかわりばえしないけど、まー気休めです。ホッ!

でも、時間があるって ほんと楽しい。
普段できない、写真の撮影とかいろいろ引っ張り出してやってます。結局、ボーッとなにもしないでいることは、ほとんどないんだけど楽しいからいいんだ!

 

 

 

思いつれづれ その弐

力を入れることと、力を抜くことは、相反した動作のように思えるけれど、少し違う。力を入れることは、目的として行う動作で、力を抜くことは、ある状況がもたらす結果という違いがある。なので、難しさが違うんである。眠ろうとすることを意識すると眠れないという例が一番わかりやすい。夜、寝るときにはいつも、フランス語の文法の本を広げて、チェックをするが、ものの5分もしないうちに、眠れる。よく眠れるが、上達はしない。あれ?

思いつれづれ その参

ふとしたときに、そう言えば・・・と 思って気づいたんだけど、人のことをうらやましいという感情で見ることが少ない。もちろん ”ええなーーー ” というのは、いっぱいあるんだけど、うらやましいのとは少し違う。自分に自信があるからというのでもない。負けん気が強いところは、自分以外のものと比較して生まれる感情であるものの、結果的には自分が悔しいので、誰それには負けたくないという発想ではない。
「うらやむ」を広辞苑で引くとこうある。

 うら‐や・む【羨む】

〔他五〕(「心(うら)病む」の意)

(1)人の様子を見て、そのようにありたいと思う。古今和歌集(序)「花をめで、鳥を―・み」

(2)人の境遇・資質などが自分よりよいのを見てねたましく思う。ねたむ。推古紀「嫉妬(うらやみねたむこと)有ることなかれ」。「他人の幸福を―・む」

広辞苑 第六版 (C)2008 株式会社岩波書店

どうも、嫉妬するという感情が苦手なんだ。おなじことでも受け止め方が違うと、うらやむ、ねたむ感情へむき、自分がどうありたいかよりも、他人が基準になり、その先は人からどう見えるかが基準になってしまう。こうして考えてみると、日本ではそう言う基準がフランスに比べると多いような気がする。フランスでは自分に自信のある人が多すぎて、かさが高いけれど、他人のことは他人のこととしてあまり関心を持たないところがある。それはそれでもう少し人のことも見るといいのにと思うことはあるけれど、陰湿な感情は少ない。私にとっては楽だといのはいえそうだ。わかった風に書いてはいるけれど、正直、常に複雑な感情を割り切れる訳ではないのも事実、年齢と共に、自分なりの割り切り方を身につけているのかと思う。自分が変わっていけるなら、いやなところにも目を向ける勇気がいるものだ。でも、ほんのささいなことだったりするけれど、自分を変えることよりも、なぜそうしてしまうのかを観察して、そう言う自分をまず知ると、ああ自分は今こう思っているんだというようなことが少し客観視できて、受け止められるようになると思う。そういうとことろから少しづつ変われるかもしれないと思う。だから、成功したとかできないとかいった結果を照らし合わせた見方とは違って、充実度みたいなものかもしれない。自分でもわかっていて、どうしようもない というのが、自分そのものなんだろう。まっ それはそれで いいじゃないかと思う。この4月に日本に帰ったときに、久しぶりに会った友人と話が弾み何度となく彼が言葉にした「切ない」という言葉の響きが、今までになかった受け止め方をしている自分がいた。言葉は知っていても、自分が使うには取るに足りないレベルといったらいいだろうか。だから、体を通して感じている生きた言葉になっていて、とても新鮮だった。もっと歳を重ねていくと、こういうことも少し増えていくのかもしれないとおもうと、うれしい気がする。

いつも一緒 ずっと仲良し

そうそう 書き忘れないうちに 少し前まで表紙に使っていたこの写真は、サイトがきっかけでお友達になったイギリス在住の日本の女性が撮ってくださったもの。こうしてMichkaと一緒に写しているものは皆無と言っていいくらいなので、すごくうれしい。御本人に許可を得られたので使わせていただくことにしました。
久しぶりの会話

休みにならないと、ゆっくり会うことのできない友達をうちに呼んで食事をしました。この日の前菜盛り合わせは、生ハムメロン、山羊のチーズ包み焼きハチミツがけ、プチトマト(なにもしないでそのままで、とっても美味)茄子の中華風マリネ お庭で シャンパンを開けて、乾杯〜〜 
リクエストにお答えして

なにが食べたい?と 聞いたら 天ぷらがいいなー ということで、用意しました。大人数だと天ぷらは大変ですが、少人数のときは、その場で上げるだけで、ご馳走に思ってもらえるので、かえって楽に思えます。海老、さつまいも、クルジェット、赤ピーマン、茄子、用意した掻き揚げは、ちょっと多かったので、食事が終わってから、ゆっくり揚げて お持ち帰りいただきました。翌日に 天丼風にして食べるといいよ!とおすすめしました。

異文化の調和

ウインドーショッピングというのも久しぶりです。買うわけでもなくいろいろと見て回ると、フランスのデザイナーの和をイメージした食器です。なかなか日本人が見ても違和感のないものというのは少ないのですが、これはとてもいいバランスでいいなと思いました。値段?もちろん見てません。きっと かなりお高いでしょうね

食べることから見える奥の深さ

こちらもそのシリーズ。フランス人にとって一番ためらう動作とは、お茶碗のように直接食器に口をつける習慣がないことです。器を手にとって口に運ぶというのは、飲み物以外ではすることがないのですね。食べる姿というのはどうしても素になりがち。楽しんで食べることが一番ですが器を持つ手、お箸の使い方も綺麗に越したことはありません。できるだけ、日本料理を美しく食べる姿もさりげなく、見せることで日本文化を伝えたいもの

 
 






19 aout 2008
 
休日3日目
夜の遊園地

休みのパリはたくさんの観光客で賑わっています。チュイルリー公園の遊園地も夜遅くまでたくさんの人 人で賑わいますいます。この下にある写真が遠くから全体の様子。でもよく見ると手の込んだ綺麗な絵が施してあります。こういう細かいところにフランスらしさが感じられますね

怖い 楽しい 異空間

大人子供を問わず人気の乗り物 大きなブランコが 微妙に角度を変えながら 旋回します。高いところが苦手な私にはあまりうれしくない乗り物です

 

どっちがいい?
便利になるのと 面白くなるのと どっちとる?
便利になるということは いろんな統計を取って統一化されることなんだとすると、例外や 予想外なこと そこにしか存在しないような物事が どんどん少なくなって そのものらしさとか 言葉にできないような微妙なものがなくなっていくんだろうか。フランスに来て、楽になったもののひとつにお中元お歳暮のシステム。感謝の気持ちをどうやって伝えるかの部分を追求する前に、感謝=品物=パンフレット=送料無料 などど、どんどんお得感の強いものへ、感謝の気持ちが変換されて、でも、まっいいかってことになる。今の時代 感謝の気持ちは 別にお中元お歳暮の時期にしなくてもいいと思う。きっとその方が、みんな考えるから、感謝の気持ちが伝わると思う。どうでもいい話かもしれないけど。外国にいると特にそう言う国の習慣とかが形を変っていってるんじゃないかと思えるんです。売る側は売る側で売らないとどうしようもないし便利にするために、違うところでどういうんだろう、矛盾が起こってる。便利は適当に止めないと、流行という乗りに変わっていくところがないだろうか。自分自身が 普段こんなものがあったらいいなと思っていたところで見つけたものは、きっとすごく価値があるけど、便利というのはとても騙されやすい。だって、便利な気がするもの。フランスに来て、魔法瓶とか(この呼び名って古いの?)家庭にないし、不便だと思ったこともない。こういうことも、また少しづつ変わっていくんだろうけど。ヨーロッパはユーロに変わって確かに旅行するのも楽になったし便利になったけど、その国にしかないお金を触っただけども、ちょっとドキドキして使っていたのは、悪い思い出ではない。今はマグドナルドが世界中にあるし、手軽だし、安いし、でも、便利は適当にしないといけない。本来 人間に備わっている感みたいなものも 鈍くなって みんな同じになってしまうと その先は どうなるんだろうか 不便さは大変だけど 程度を越すと笑える。それなりに 解決していくしね。今の便利さは、人の本来持っている感を鈍らせるし、自分が変わっていけることの面白味に欠けると思う。
無理に便利にすることもないと思う。どこまでが便利かという判断をするかも、それぞれ違うと思うから 難しいことだけど、適当に面倒なことがあっていいと思う。便利になって 面倒になることもあるわけだから みんな お互いの顔や声や いろんなものをかぎ分けて 理解し合うのが いいような気がする ちょっと お酒飲んでるけど 結構真剣にそう言うことを考えている
もっといろんなこと 書きたい
眠くなってきたーー
きっと あと 10年もしたら 時間ありすぎるんだろうなーー
バランスとるって難しいね
奥が深いよ!
どうしたいのがはっきりしないと バランスとる意味ないしね。やっと 夏休みなのに テンションが妙にシリアスで ダメだなー。フランスは もうじき 秋って言うか冬に近いよ
どうするの?
かき氷とそうめん
さすがに フランスでは 食べたいと思わないなー

オリンピックの使用言語
お気づきの方もおられると思いますが、現在開催中の北京オリンピックでのアナウンスされている言葉は、まずフランス語なんですね。私も知らなかったのですが、その由来については 上のオリンピックの使用言語 上の文字をクリックして見てくださいね


それと ちょっと面白いサイトを見つけて あなたの絶対味覚度をしらべますというのがあって、やってみたんですけど。興味のある方是非やってみてはいかがでしょう。 こちらをクリックしてみて下さいで、私の結果を参考までに どうぞ。

あなたは 絶対味覚度79 %です

レベル5。(ちなみに 最高レベルは 6)
一流シェフ級です。
旨いものを食べるのも作るのも大好きなあなたの食へのこだわりはなみなみならぬものがあります。
男性の場合、経済的に余裕がある場合は、料亭の常連客となり、料理人を呼んで「今日は堪能させてもらったよ」などと言う好々爺になるでしょう。
女性の場合、料理研究家になったり、創作料理を他人に教えたりするでしょう。社交性がない女性の場合は、家庭内でこだわりの料理を作ります。お客さまへのもてなしが無上の喜びとなるでしょう。
これからも研究を重ねて食通の道を進んで下さい。

はい、わかりました!

 

真夜中のエッフェル塔

6月から6ヶ月間フランスが EU議会の議長国を勤めるのにあわせて、6/30~8/30の期間限定でエッフェル塔がEU連合の国旗の色、青色にライトアップしています。深みのあるブルーで 内側から照らされているので立体感が強調されてとても美しいです。



17 aout 2008
 
そして もう 今は 夏

自分でも予感していたもの、厨房の仕事は、今まで普通にこなしていた他の作業が、全く手につかなくなってしまうほど、生活のリズムが変わってしまうもののようです。でも考えてみれば、家庭で家族の食事の支度を朝昼晩と一日に3回する作業も同じことで、気が付くと一日中料理をしているような気になったりするんだから、そうなるのも無理のないことかもしれない。日本での充実したワークショップを終えてパリに戻って、2日後にはフル回転の仕事が待っていて、それがやっと昨日、ヴァカンスにはいり、自分だけの時間が過ごせるようになりました。休みとは言っても、4月を中心に日本で行ったワークショップの細かい事務作業や、お世話になった方々へのお礼の手紙も書けないままになっているし、今後の展開にあたっての資料を整理したいし、パリでも踊りの仕事が展開できそうな状況になってきているので、普段厨房にいるときにはできないことが、山ほどあって、手放しで”休み”というわけにはいきそうにないのですが、朝 目覚ましをかけずにいられることぐらいが、なんとなく休みという感じでしょうか。気が向いたら、このTopicsに書こうと尻切れトンボになっている文章が細々あるのを、ランダムにこちらにアップしようと思います。少々支離滅裂なまとまりになりそうですが、そういう事情ですので、お許しを!


休みに入った昨日は、うちの店でもコンサートとして演奏に来てくれたミュージシャンが、チュイルリー公園の横に特設されている遊園地のテントの中で夜演奏するというので、オットと友人達と行ってきました。ジャズマニューシュというジャンルの音楽で、ギターの音色が独特の哀愁漂う魅力のある演奏です。皆さんも きっと耳にすると あっ、あの音楽と思われるんじゃないかと思います。実はオットと彼らのつながりは20年以上になるらしいですが、彼らの魅力をなんとか伝えたいとオットがその頃仕事をしてた店に演奏を呼びかけたのがそもそのもの始まりだそうです。今では インターネットで Jazz Manouche と検索すると Moreno彼の名前がさっと出てくるほど 知る人ぞ知るという存在で、三宅一生や山本耀司 アニエスベーなど、デザイナーたちのコレクションの際には、演奏 兼 モデルとしてもその舞台で顔を披露するなど、一緒に話をすると、いろんなエピソードがどんどん飛び出します。ついこの間は 東京バレエ団がベルサイユ宮殿の庭園で踊りを披露した際のレセプションでも招待されて演奏したんだそうです。どんなに有名になった人でも、はじめからということはほとんどなくてそう言う時代があって今があるということですね。オットがその火付け役になったといっても過言ではないようです。今はギャラもかなり高いそうだけど、その頃は、おなかをいっぱいにしてあげるからという交換条件でもちろんタダで演奏をしたんだそうです。日本流にいうと”おなじ釜の飯を食った”とでもいえるような関係は話もいい格好ができないので、逆にぶっちゃけたはなしができるので、聞いている方はなかなか面白いものです。ちなみにオットはこういったミュージシャンを発掘して彼らの演奏の場を作って広めるというようなことを好きでずっとやっていたようで、かなりたくさんのミュージシャンとの交流があります。興味がなければふ~んというだけのことなのかもしれませんが、心底好きという気持ちは人の心を動かすものだなと、傍目ながら感心してみています。現在 彼らは4人でグループを組んでいて、メインのギターがMorenoで、奥様が歌を歌われます。ハスキーでダイナミックな歌声はなかなかのものです。夕べは見に来ていたお客さんの中で誕生日のお祝いに集まっているグループがいてそのメインの男性が3年前までBejartのカンパニーで踊っていたというダンサー。演奏される音楽が人族舞踊の独特のテンポがどんどん速くなっていくのりに即興で踊り出して、それがおおいに盛り上がり、売店のおばさんや他のお客さんまでが踊り出すという生ならではの楽しい夜でした。

 

ちょうどそのMorenoの演奏している映像を見つけたので、紹介します。この映像はかなり前のものと見られますので、現在はもう少し渋めのいい雰囲気がプラスされています。

思いつれづれ その壱

人はいったい なにをどのように見ているんだろう。
視力で計る見る能力とは別にその人の価値感や好みなどの個人的な要素が加わって見る動作が成り立っているように思う。ただ何となく眺めているときと、その表面より深いところまでを想像しながら見るのとでも、ずいぶん違うんだと思う。思いこみが入りすぎても、ものは見えにくくなるものだし、実に微妙だ。
「あの人 誰それに似てる!」って言う会話で、同じ人を見ても全然似ていないと思う人もいるし、似ていると思う人もいるし。他人の目に変わるってあり得ないけど、興味がある。どんなことでも続けていると、はじめ見えなかったものが見えてくるものだ。見えるものもその時の状態で少しずつ加わるんだろうか。それとは別に、第一印象が 当たってるということも良くあると思うけど、見たことと脳の中での何かの情報が響きあって、何かの手応えをつかみ取っているような感覚。そういうのも面白い。初めて目にするものをさっと第一印象で捕らえるのは、簡単そうだけど 意外と難しいと思う。自分には見えるのに人には見えないものを伝えるのは、すごく難しいし、逆に相手が見えてみるものを想像から観点を変えて、違った見方をしてみるのも、簡単ではない。いずれにしても、見るということも、人それぞれみんな違っているんだと思うと 結構複雑なんだなーー。でも だから 人と話をすると面白いのかもしれない。人それぞれに興味の持ち方が違うから、情報として 目に入ってくるものの質と量が当然違ってくるわけで、一番に好きなものの情報は多くなるだろうし、当然、微妙な違いが感じ取れるようになる。例えば、黒っぽい服が好きな人は、そうでない人から見るとみんなおなじに見えるものも、その人が見ると全部違うんだよな、きっと。こだわりというのは、見え方も聞こえ方もみんな変わっていくんだよなーー。でも 一人で楽しむ分には全く問題ないことだけど、それが人と関わってくるようなもののなかで、それらがマニアックになっていくと、少し人との距離があいてしまうかもしれない。だから、人と人がお互いに理解し合おうとするとき、相手の見えているものを理解してみる柔軟さはどんな歳になっても大切だろうと思う。難しいけどね。考えがこう進むと、俳優って言う仕事のおもしろさもわいてくるなぁ。違う自分になってみる。これって すごい経験だよなーー


話題を少々変えまして、つい最近、パリ情報のサイトでうちの店を取材していただく機会があり、その記事がそちらのサイトで、紹介されています。たくさん書いてくださっているので 是非 ご覧下さいね

 

南部鉄

最近は 朝一番にコーヒーを飲んだあとは すっかりお茶党になっています。こちらでも手に入りますが、日本から来てくださる知り合いの方々からも、たびたび良いお茶をちょうだいするので助かります。気に入っていた急須が修繕を繰り返しくたびれてきたので、一度使ってみたいと思っていた南部鉄のものを買いました。これなら割れないぞ!というか、これで 他のものが傷ついてしまうことがなきにしもあらずですが、シンプルなデザインが気に入りました。調べると、それなりの使用手順がありまして、それからして 風格が違います。良いものを長く大切に、それと、忙しくても 少し落ち着いてゆったりとお茶をいただく、そういう心持ちを失わないでいたいという思いを込めて、今日も一服、ほうじ茶でも入れましょう

最近のお買い物

 

ワイングラスは定番で使っているシンプルなものがあるのですが、お手軽な価格で 風合いが気に入り買ってしまいました。一脚が600~700円ってところでしょうか 買ったのはいいけど どこにしまおう・・

上の写真 お店でお客様に見せるメニューです。 フランス語を話すことができても、なかなか書くとなると面倒なんですが、うちの男性従業員に日々変わるこのメニューを書かせると言っちゃー悪いが不揃いすぎてせっかくの料理の印象がまずいんじゃないかと、買って出ました。”私がやる!”これも慣れるのに少々時間がかかりましたが、ずいぶん早く書けるようになりました。昼と夜 毎日 書き換えます。フランス語のお勉強を兼ねて一石二鳥!って、またしても 自分の仕事 増やしてんのよねーー