私は 今までに ”偶然” という形で 何人かの 有名人(こういう言い方は好きではないのだが)に 出会っている。ほんとうに それは 予期せぬ出来事で どちらかというと その人たちの 限りなく素顔に近く 普段 仕事で 人から注目されて 本人が 意識している場面ではなく ごくごく 普段の状態というのが 共通している。不思議なのだが そのほとんどが この
Paris という場所であることも 偶然かもしれない。なので 相手の反応も ごく普通に帰ってくるという状況。ここだけをとっても
Paris という街は 自由で 彼らが 普通に 行動できるところと とれるかもしれない。(日本だと 有名人は なかなか 普通に行動しにくい らしいから?? ) これは 自慢なのではなく ある意味の才能に花開いた 彼らと 実際に接したことによって 見えてくる 魅力のその奥にある プラスアルファのようなものを 垣間見たことは 今の私に どこかで 大きな影響を 与えているという気がする。その魅力が 外見という 平面ではなく その背景にあるものを加え 立体化され ああー だから それが魅力として まわりの人々には 写るんだろうなという目で 見るように なっている。その何人かの 人を まとめて言うのは 失礼なことだけれど 共通して 言えるのは とても 繊細であること と 芯の強さ です。この相反するような 部分が すでに 違う気がする。そして いつも
戦っている それも まわりというよりも 自分と戦っている そんな 印象を 受ける。決して 有名になりたい!というのが 彼らの望みではないことも 同じかもしれない。自分を表現できる手段を 選んだら こういうことになっただけ という風に映り そういう意味では ごく普通の 人であることも 私には 新鮮に感じられるところ。だから まわりの批評に 振り回されることも 多少あっても そこで自分というものが 簡単に変えられないことも わかっているから そういうところで 練られて 芯の強さに 磨きがかかる。見られて注目される職業は 羨ましがられるほど 居心地のいいものではないだろう。自分には こうしか出来ない!というものと まわりから見た魅力が 一致したとき ある意味の チャンスを掴んだことになるのかもしれない。才能はあっても タイミングが悪かったり きっかけがなかったりすることも きっと たくさんあると思うけれど そういう人たちは 有名になることが目的ではないから そのチャンスがないことを 言い訳にしたりもしないのだろうけれど。そばで見ていると 本当の自分と まわりがイメージした自分の間で 葛藤しているように思えた。
そのうちの一人とは 25年前 パリに バレエを勉強するために 住んでいたころ 私の 習っていた先生の 同じクラスを 彼が 受けに来たという状況だった。はじめ見たときは まさか!!! そんなはずがない! というほぼ 人違いだと 思い込んでいたときに 先生が 私に 「君は彼のこと知ってる? 彼は 有名な俳優だよ!」というので 人違いではなかったことがわかった。何でここに?? 当然ながら 驚いてしまたっが 以前から よく受けに来ているらしかった。。私の年代の方なら 思い出していただけるでしょうか。あのウエストサイド物語 の映画のなかで プエルトリコ移民のシャーク団の ボス ベルナルド役をしていた 彼 だったのです。
映画で見た姿と 比較すると もちろん 歳はいっているけれど 今もなお きちっと クラスをうけて 自分をコントロールしているのには 頭が下がりました。そのクラスは 私と 彼を除いては 皆 フランス人で、そのころ 私はフランス語も たいして話せるわけでもなく 英語と 同じようなレベルだったこともあって 動きの確認や昨日の復習を クラス前や後に 2人で よくするようになっていました。映画で演じていた役柄とは程遠く 控えめで 物腰の柔らかな ジェントルマン そんな印象でした。今日は 休みなのかな? と思ったら その日の夜のテレビに 出演していたりということもありました。そう こんなことも。 私が
Bejart のカンパニーのオーディションを シャンゼリゼ劇場で 受けることになっていた前日の稽古の日、一人 残って 最終調整をしていた私が 着替えて 稽古場をでると 向かいにあるCafe(いつも 立ち寄る場所)で その彼が さりげなく 待っていてくれて 明日 上手くいくように 祈っているよ!と ひとこと 。これには ちょっと驚いてしまいました。きっと 彼はこんな経験を 山ほどしているはず。私は 初めての経験で ただごとではない 緊張で 張り詰めていた気持ちが ふと なにかに 包まれた気がして 束の間でしたが そんな安らぎを感じさせてくれたのでした。それよりも 心に残っているのは 後日 稽古場で 会ったときのこと。気にかけてくれていたんだから 何か言わないといけないと思っていたのですが 取り立てて その結果が どうであったかということは 彼のほうからは聞かず そのあたりの 心遣いも 信じられないほど繊細で かえって 心が痛いくらいでした。もちろん 結果が 上手くいっていたら 私のほうから 話しているだろうということでしょう。何もいわないということは・・という判断で いつもと変わりない会話で たんたんと クラスを受けていたのを思い出します。(そのオーディションは 100人以上のダンサーが 受け 私は 10人ほどの最終審査まで 残りましたが 残念ながら 選ばれませんでした)
その後 日本にもどってから なにげなくつけたテレビで 彼の出演する映画をやっていて その中で いつも彼が 着ていた ダッフルコートをその映画の中でも 着ていたのが 妙に懐かしく これ 自前なんだ!と そんなところをみていたりして 不思議な感じだったなー。それからも 彼は 何度か 来日し そのたびに 懐かしい再会をしました。ちょっと 感動したのは その後 日本のドラマ(NHKのドラマシリーズ 日本の面影 のなかで)で 小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)役で 出演した時のこと。むずかしい日本語の台詞を使いこなし 見事に演じていた彼の姿は Parisで 同じクラスを受けていた 彼そのもので それらが二重写しのように見え 今も ずっと 心に残っています。
今日の 上から2枚目の写真。去年 11月に 日本からいらした 友達のご両親と はじめて お会いしたときに そのお母様が 私のために 心を込めて 作ってくださったお人形です。古い着物の生地を 組み合わせて作られたもので 一針一針 に ぬくもりが感じられ いただいたときは ほんとうに 胸が いっぱいでした。それ以来 私の 大切なもの に なりました。愛くるしい 後姿が どことなく そのお母様に 似ている気がします。初対面にもかかわらず たくさんいろんなお話をさせていただいて 楽しい時間を 過ごしました。また いつか お会いできるでしょうか? この 人形を 見ながら いつも 思っています。
写真 その下 3枚続きで サロンドテ
Angerina に 行った時のもの。日本から来た 友人のリクエストで 私も 噂には聞くけれど 行ったことがないのでと 即決定 即行動。場所がパリの 中心といううこともあって 観光客が 多く まわりから いろんな国の言葉が聞こえてきました。たまには こんな贅沢いいものですね。念願の モンブランを 食べ終わった友達 甘さで 頭が ギンギンしていると 一言。しばらく モンブランは いらないとな・・。でも お土産には マロンクリームを 買って帰るそうです。