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毎日出会う 
人 もの そして自分 
いいときばかりではないけれど 
いつも 素直な気持ちでいたい 
そんな思いを込めて 


01 Janvier 2004
気持ちも新たに
sinnen.gif(9130 byte)
ユトリロの世界
アパルトマンの窓から
いつも見慣れた景色も 雪で覆われ ユトリロの描いた 絵を思い浮びます
元旦の朝の セーヌ川
天気予報通り 朝から 降り続き 
Parisは 一瞬のうちに 真っ白の銀世界に
元旦 朝9時
あっけなく 終わってしまった 今年のお正月ですが、 皆さんは どんなふうに新年を迎えられましたか?今年は いえ!去年はでした・・ 年末に 身近にいた方が亡くなられ 一番仲良くしているフランスの友人が 無事女の子を 出産と 人生の絵巻図を見るような状態が 身近でほぼ同時に 起こり しみじみいろんなことを考えてしまう そんな新年を迎えることになりました それに 以前から 約束していた予定が 元旦に入っていたので(というか 実は 次の約束を 今度の木曜日にね!と言う言い方で別れたので それが元旦であることに気が付くのが 遅かったのもあります)休みもなく 余計に お正月気分にはあまりなれなかったのですが まぁそれはそれで そんなこともあるわな〜と言う感じ。知らなかったのですが パリは 大晦日の31日 17時から 元旦の昼12時までは地下鉄もバスも 無料なのです。これは 観光客にもありがたいですね。冬休みを利用しての 日本人観光客は ひときわ多く つい私も ガイドさんの説明を 耳をダンボにして 聞きながら こっそり観光をしたりしていました。大晦日の31日の 近くのスーパーは 夕方7時ごろは 人でいっぱい シャンパンの特設コーナーも ほぼ商品も売れ状態で フランスの年末のシャンパンの消費は ものすごいんだろうなと思いました。日本も同じでしょうが、最近は 出来合いのものでも それなりにおいしくいただけることもあって かなり そういうもので間に合せる家庭が多いという感想を持ちました。違うと言えば 男性群が 料理や パーティーの準備に一役買うといった風景が ごく自然なところが やはり 日本とは違うでしょうか。まぁ酒盛りが始まってしまえば どことも同じなんでしょうけれど・・。 せっかくなので 今日の写真は 綺麗どころで 留めておいて 明日あたり 飲み干したボトルを回収するためのゴミ箱の状態などを ご紹介しましょう。それはすごい量です。今 汗を書くと みんな酒くさいんじゃないかと 思います。今日あたり私は お酒をつけて ちょっといっぱいやろうかなと言う感じです。


p.s.
Topicsの表紙を作り変えようとしていて やっては見たのですが いまいち気に入らないので また変えようと思いますが せっかく 作ったので それまで 使うことにしました。
02 Janvier 2004
ゴミの山

冬場の 大きなお祭りは これで すんだわけですが さて これからは そのお片づけが 大変。綺麗に 飾りつけた クリスマスツリーも ものの見事に ゴミ箱入りになるわけで なんだか もったいないと言うか これを何かに使えないのかなとか いろいろ思ってしまうわけです。暖炉で使うには しばらく 乾かさなくてはいけなかったりするし それにしては 量が少ないし ちょっと もったいない気がします。そして 
今日 載せた写真のように 空き瓶の山 これも 半端ではありません。まだまだ リサイクルに関しての 感心が 高まらないのが フランスの現状と言えるでしょう。もっともっと 地球のこと 自然のことにも感心を持たなくてはいけないと 言い始めてからもなかなか手がまわらないということなのでしょうか。こうして目の当たりに 捨てられていくものを見ると 考えずに入られない気がしますが、これも 見慣れてしまうと どうでもよくなるのでしょうか。難しい問題ですね。せっかく 世界一の観光都市と呼ばれ 花の都とまで 言われるパリなんだから もう少し 何とかしようよ! 確かに 道を 普通に 歩いていても 犬の糞にしろ ゴミにしろ 美しいとは お世辞にも 言いがたい状況。相手が 向かってくるものに対しては 勢いよくつき返すパワーのあるフランス人も 相手が 何も言わない ゴミとあっては いまいちその 意欲を掻き立てるものに欠けるのか なかなか実行には 移せないようです。パリ市民の一人としては なにかできることは したいのですが 落ちているものを ゴミ箱に移す、煙草の ポイ捨てには 状況次第で 文句を言う、できるだけ スーパーでは ビニール袋を使わず大きなビニールカバンを持参するくらいなのですよね。

大きな行事は終わったと 言っても 今度は 公現祭(1月6日)がやってきます。早いところでは 年末から このお祭りに食べる 私の大好きなガレットが お菓子屋さんに並び始めます。黄金色に焼けた つやつやで パリパリのパイ生地に、中は しっとりのクリームをはさんだ おいしいお菓子。これからは しばらく パリの街には このガレットで あふれます。いっちょ いろんな店の味の食べ比べでも しましょうか??

では 明日は この お菓子についての お話 しましょうね   
今年も焼いたよ だし巻き卵
嵐のあと1
これは 空き瓶回収用のゴミ箱
駅近辺などの 人通りの比較的多そうなところに 設置されています。丸い黒っぽく見えるところから 空き瓶を 入れます。このときに 中で 瓶の割れる音が かなり激しくひびきます。この緑の 大きな容器の中に入りきれない空き瓶が このように あふれています
嵐のあと2
そして ここにも あそこにも
どこでみても こんな状態!
03 Janvier 2004
Galette des Rois



昨日の お約束で 今日は 1月6日に いただく ガレットと言うお菓子についてのお話です

■ガレット・デ・ロワってどんなお菓子?
去年も このお菓子を紹介したと思うのですが あらためて ご紹介しましょう
ガレット・デ・ロワ 訳すと「王様たちのガレット」。このケーキを食べるのは1月6日の「公現祭(エピファニー)」です。 イエスの誕生を祝いに東方の三聖王(アラビア王:メキオール、エチオピア王:ガスパール、カルデア王:バルタザール)がイエスの元に訪問した日です。 公現=ギリシア語の"出現"が語源「επιψανεια」←ギリシア語なので自信ナシ イエスキリストがはじめて異邦人(異教徒)の前に現れた、ということです。クリスマスと同じくらい昔から祝われてきました。 が、教皇ユリウス2世が公現祭と特定の日を決めるまでは、ノエルといっしょくたんに扱われていたみたいです。 言ってみればクリスマスも正確にはイエスが誕生したと「定めた」日なわけで、本当の日付なんてわかんないわけですから・・・
フランス北部はパイ生地とアーモンドクリームのガレット、南部はオレンジフラワーウォーターでブリオッシュ生地に風味をつけ、ドライフルーツやオレンジを飾ったリング状のものを食べるそうですが、最近ではガレットが主流になりつつあるようです。
アーモンドクリームのつまったパイというシンプルなお菓子ですが、エピファニーの頃になるとケーキ屋さんやパン屋さんではこのガレット・デ・ロワが山積みになり、みんな買い求めます。

■ガレット・デ・ロワの楽しみ
この写真(上)は 去年 我が家で買ったもの 下は さっき 買ってきたばかリのものです。おいしそうでしょ?(写真も 上手く撮れました) 出来たてです。これで 6ユーロ (700〜800円)です。店の人に 2人用と 頼むと 直径18cmくらいでしょうか こんなサイズのものを くれます。もちろん この紙でできた 王冠も 一緒に 袋に入れてくれますよ
ガレット・デ・ロワの楽しみはフェーブ(空豆)が仕込まれていることです。もともと乾燥した豆を使っていたのでそう呼ばれているそうですが、今では陶器製のかわいい人形が使われています。
切り分けたガレット・デ・ロワの中からこのフェーブが出てきた人は、王様(女王様)になれるのです。ガレット・デ・ロワに王冠がつきものなのはそのため。王様(女王様)になった人は王冠をかぶってその日一日みんなから祝福されます。家族や友達と集まって一年のはじまりにフェーブをめぐって大騒ぎ。フランスではこれを食べないと一年がはじまらないとまで言われるほどです。
さぁて 今年の フェーブは どんな形のがでてくるでしょう?
それは また 明日のお楽しみで〜す。



■フェーブのいろいろ
かわいいフェーブの形は様々。ディズニーあり、楽器あり、ケーキやパン、家、王冠や王様、東方の三賢人、動物などなど・・・コレクターがいたり、フェーブの専門店もあるほどです。のみの市でレアものを見つけたり、コレクターの間ではフェーブ市が開かれるそうです。ケーキ屋さんやパン屋さんもそれぞれにフェーブには工夫をこらし、オリジナルのものを作ったり、有名店はデザイナーにデザインを依頼するほど熱を入れています。



そして 忘れてならない この 6日 は 大切な日
お母さんと お兄ちゃんの 誕生日です
あぁ めでたい!めでたい!
2人の分も 食べとくからねーー!
04 Janvier 2004
昨日に引き続き・・・




昨日に 引き続き 今日は クロワッサンについてのお話を 載せてみました

■意外な生い立ち
クロワッサンが始めてフランスの宮廷にお目見えしたのは1770年のことですが、その本当の起源は1683年、トルコ軍によるウィーンの攻囲戦まで遡ります。このころ、オーストリア=ハンガリー帝国は強大なオスマン帝国に立ち向かわなければなりませんでした。トルコ共和国の国旗といえば、赤地に白の月と星。クロワッサン「三日月」はオスマン・トルコとイスラム教双方の象徴でした。ある日の、夜中(早朝?)パン職人たちがパン生地をこねていると、何やら怪しげな物音が地下からしてきます。「こんな時間にしては不自然だ」と思い軍隊に知らせると、なんとその物音はトルコ軍が攻め込むために地下道を掘っている音だったのです。つまり、パン職人のおかげでトルコ軍の攻撃が阻止できたのです。ポーランド王のヤン・ソヴェスキはウィーン全都のパン屋及びお菓子屋に褒美として、オスマン帝国に対する勝利を祝うために三日月型のプティ・パンを焼く許可を与えたのです。こうして クロワッサンは 誕生したのです。そして その後およそ1世紀を経て このクロワッサンは18世紀に王妃マリー・アントワネットによって宮廷にもたらされました。彼女は、オーストリアからフランスヘお嫁入りをする際に、さまざまなプロフェッショナルをお供に選んで連れていきました。クロワッサンが大好きだった彼女は、その中の1人に優秀なパン職人を選んで連れていったというわけです。でも当時のクロワッサンは三日月の形はしていましたが、味や製法は今とは異なる甘い菓子パンのようなもの。現在のように発酵生地にバターを折り込むスタイルになったのは、さらに時代が下って1906年になってからです。パリの菓子職人、オギュスト・コロンビエは自分の「ブルジョワ風菓子店」で本物のクロワッサンを作り始め、その後に多くの職人たちが続いたのです。昔からあるように思われるこのお菓子(パン)は実はまだ百年も経っていないのです。

今は 日本人にも 普通になじんでいるパン そして たくさん種類のあるフランス菓子も 紐を解いていくと こういう歴史が あるのですね。去年通ったフランス語の学校でも いろんな 食文化と言葉と言うような エピソードも 聞かせてもらえて 勉強をすることが 楽しくなった気がします。というか 根が 食いしん坊なので こういうところから つながりがあると 楽しく勉強できるという単純な例かもしれません。


■これは 昨日紹介した ガレットで 今年のガレットに入っていたフェーヴです

あひる? ディズニーかなんかのキャラクターのようですが 名前わかりません 結局 今年ゲットしたのは オットでした。特別 それで王様 気分にならなくても普段から それに近いので 別に関係ないかなという感じです。そんなことない! って 反論するかな?

05 Janvier 2004
ペール ラシェーズ
ちょっとした きっかけで 最近 知り合ったばかりのドイツ人の男性の 家のお手伝いをすることになり わずか 2ヶ月 あまり。残念ながら 治療の甲斐なく 彼は 半年前に 発病したという病に 勝てず クリスマスを待つように 静かに 息を引き取りました。今まで 人の 死に 接する機会が あまりなかったこと、つい 最近 知り合ったばかりだということ、そして 身内の次に 一番 身近に接していたことなどが重なり 自分も 想像以上にショックを受けてしまいました。身内の方から あなたにも 最後のお別れに 来てもらえないかと 言っていただき 1月3日 は その方の お葬式に出席することになりました。3年近いフランスでの生活で 初めての出来事になりました。今日は そのことを 書いておこうと思います。
式の始まる 昼の12時少し前、ペールラシェーズの チャペルには すでに 50人近くの人が 集まっていました。聞こえてくるのは ドイツ語と 英語が ほとんどで フランス人は ごくわずかのようでした。もちろん 東洋人は私一人。少々浮いた存在に写ったことでしょう。ほとんど 待つことなく、棺が 4人の男性によって チャペルに運びこまれ 続いて 私たちが 中へ。 大きさこそ 違うけれど 元旦に 立ち寄った パリのノートルダム寺院同様、中へ入ると 何かに包み込まれるような暖かさが 感じられる。 正面に 祭壇 その後ろの高い位置から 女性が 男性を抱きかかえ天を見つめるような 美しい彫刻 その上から 光が差し込むようなつくりです。 それに ロウソクの 灯りが さらに 暖かい 雰囲気を感じさせます。 私たちが 席に着く場所の 真上は ガラス張りの天井になっていて 太陽の光が 差し込みます。 この時間あたりまでは かなり曇り空だったのが  徐々に日が差込、美しい青空が 見ることができました。 入り口をはいって 右に パイプオルガンが 置かれて 皆が席につくまで 静かに演奏が 続きます。 中央通路 ちょうど 祭壇の正面に  ボルドー色の 大きな布でおおわれた 棺がおかれています。 木のイスが 数にして約6,70くらいでしょうか それで だいたいいっぱいになる広さですから それほど 大きくはありません。 私は 左の後ろ側の席につきました。 棺の上には  私が 一番印象に残っていた 彼の帽子が 置かれていて それを見ると 胸がいっぱいになってしまいました。 演奏がやみ、 牧師の お話が始まります。 思ったよりも お話しは 長く 途中に パイプオルガンの音楽が 2回ほど入り 続けられました。 彼の死が 病であったことなどから そのような話の 組み込まれた内容のようでしたが 詳しくは わかりませんでした。 生と死について 友情について 人間とは・・・。 中の一説には 星の王子様の話を 話されたり、 所々ですが わかる部分は やはり 興味深く感じました。 なにげなく ほかに目を向けると そこに 彼と同じ目をした女性を見つけ、 初めてなのに 初めてではないような 不思議な感じがしました。 牧師の話が終わると 若い 一人の男性の メッセージが読まれました。 フランス語で ドイツ語で 話させてくださいと断りがあり 後の内容は わかりませんでした。 一番 最後に 親族の 挨拶。 でも 悲しみのあまり 言葉にならないという状態で  最後に聞こえた アデゥー という響きが いつまでも 耳に残りました。 それから 全員 席を立ち それから 日本で言う お焼香でしょうか  親族が 一番に 祭壇を背に前の棺に向かって そばに用意された 棒の先に 球の形の物がついたものを(きっと名前があるのでしょうけれど)  器に入った水につけから 棺に向かって 正面・左・右と 3方向に 水をかけていきます。 彼に続いて 全員が 同じように 列になり 一人づつ 最後の儀式です。 それが済むと チャペルの 入り口近くで 記帳をし 用意された 赤いバラを 皆受け取り チャペルを出ます。 牧師さんに続いて 棺が はじめと同じように 4人の男性によって 運び出されます。私たちの見守る中、 棺は 車に移され 今度は 埋葬する場所へと 移動が続きます 。車が 一番先頭を ゆっくりと 進み バラの花を持った私たちが 後に続きます。 墓地についた 12時前には すでに たくさんの観光客が ここを訪れているのに 出会ったのですが、 こうして 私たちが 花を手にし ゆっくりと移動するところに 出くわした 観光客は  一瞬 驚いた表情で 私たちが通り過ぎるまで 待っていてくれるということが 何度かありました チャペルから それほど遠くなく 高い位置で パリ全体が 見下ろせる場所に 彼は 眠ることになりました。 用意された場所に 静かに 棺が 中に 下ろされます。 皆が それを囲むように 位置し、そこで 先ほど 彼に似ていると思った女性が 紙に用意した 文を読み始めました Mon Petit frere、モン プティ フレール から始まる文章で 彼女は 彼のお姉さんであることが わかりました。そして 彼女も 流暢なフランス語で ドイツ語で 話させてください と それを読み始めました。 きっと 皮肉った 面白いエピソードが 話されたのでしょう、 親族も 苦笑い まわりも ちょっぴり笑い声の 聞こえる場面がありました。 そして あの帽子が 投げ込まれ 続いて一人づつ が薔薇の花を 投げ入れていきました。 ある人は 立ち止まり 彼に 話し掛けるように 話し始めたり ある人は 最後の花を 投げ入れるまでに  しばらく 立ちすくんだりと 一人一人の 彼に対する思いに ここで あるけじめをつけなくてはいけないと 言い聞かせるような場面でした。 年が明けてから 続いていた 雨もやみ 私の好きな パリの青空に なり 無事に 式が終わりました。
あとで 親族の方から 聞いたのには 30年近く前に このペールラシェーズを訪れた際に 死んだら ここで眠りたいなぁ〜と 彼が 冗談交じりに 話していたそうです。フランスのお墓事情も 日本と同じで いろいろと大変なようですが、そういう意味では 彼は 夢が叶い こんな素敵な場所で 眠ることができて 幸せだなという気がしました。
合掌。

■ 今日は 少し長くなりますが ここで 少し このペールラシェーズについて ご存知のない方も たくさんおられると思いますので、少し 書き加えておきます。 。 

ペールラシェーズは パリ20区にある パリで一番大きな墓地として知られています。その 美しさにおいても 有名で どの季節も 観光客が耐えることなく 訪れることでも知られます。墓地には パリの街同様 道に名前と番地があり、2ユーロをだすと 地図を手に入れることができます。知られるところ、作曲家では まず ショパン、ロッシーニ、ビゼー、画家では モディリアニ、マリーローランサン、歌手では、エディットピアフ、マリアカラス、イヴモンタンとその夫人の 女優 シモニュ シニョレ などが 眠っています。美術館さながらの 美しい彫刻がみられ おおよそ 日本の墓地のイメージとは かけ離れたものがあります。興味をお持ちの方は ぜひ 下記のページへどうぞ シュミレーションで 訪ねることができます。先ほど 試してみましたが かなり精巧にできているので ほんとうに その場所に いるように 体験できます。


http://www.pere-lachaise.com/
ペールラシェーズ1
パリの北の高台になったところに位置し、
パリが 一望できます
ペールラシェーズ2
ペールラシェーズ3
これが 全体の 地図
07 Janvier 2004
そして 誕生!
今日は オットの 誕生日。昨日は 母と兄。そして 今週の日曜は 父と 誕生日ラッシュであります。昨日の話題と打って変わって 毎日 ほんとに 賑やかであります。年末押し迫ること30日の夜中 予定日の一日遅れで 仲良くしているフランス人の友達が 無事 女の子を出産しました。日曜は 二人で 病院に 初対面に行ってきました。ネットの情報などで 調べてみると 日仏国際カップルの場合、出産するなら フランスがいいというのをよく聞くのですが どうなのでしょう・・。病室に入ると やはり 彼女 かなり疲れている様子。 おとなしくしている彼女の横で スヤスヤと 赤ちゃんはおやすみ・・。こう言っちゃ悪いが 彼女は 日ごろ かなり 物事に 口うるさいタイプなので 申し訳ないけれど このままいて欲しい感じ。弁護士と言う職業柄もあってか 物事の 筋道を立て 理論付け 結論と言うような 思考回路が なんでもない出来事にも ごく彼女の中では あたりまえのこととして 習慣付いているのに対して まわりが いい加減すぎることもあるのかもしれないけれど、時には あなた!そんなに 物事 計算通りには行かないわよ! と 思ってしまうこともよくある。今まで 私は 心のどこかで ひょっとしたら この人 私苦手かもしれないと 思っていたけれど、それが 少しづつだけれど なんだか違う気がしてきた。こうして お互いに いろんな切羽詰った状態を 見せ合っていることで 今までとは違う 信頼関係が 知らない間に できてきているのかもしれないと 思い始めている。これは 今までの私には 考えられない種類のものなのです。もともと私は 一人で過ごすのが 好きなのですが それも 勝手なもので 自分ひとりで できないことが 世の中いっぱいあるのですから 実に いい加減なものです。それで 今 私が感じている 今までにないという点は、きっと 親しいと言う 結びつきの中に感じられる 日本にありがちな 義理人情、縁、情がうつるといった 逆に離れられなく 拘束されるようなイメージが そこには 感じられないというところかもしれない、そんな気がする。だから 今までは 考えられないという言い方になってしまうのかもしれない。そういうふうに考えてみると 面白いものだなとという気がする。・んなことは ともかく どうぞ 健康で 健やかに のびのび育っていって欲しいものです。(もう3,4年もしたら 私より フランス語が話せるようになってるんだろうな・・・ いや 負けては いられないぞ!がんばらなくっちゃ!) 
今のところ 眠れる森の美女?
ほとんどが睡眠
あたりまえか!
私の撮った5日目の写真 
アレンジして プレゼントしました
08 Janvier 2004
お誕生日 おめでとう
昨日の オットの誕生日は 親しくしているシェフが 
特別メニューを 考えてくれるということで ちょっと いつもよりおめかしして 出かけてまいりました。
日本でも ご存知 雑誌ELLE で レシピを紹介 していたりする 
今注目の シェフの 用意してくれた メニューとは?
画像が多いので こんなふうにまとめてみました。

こじんまりした このレストランは 同じ15区にあり 落ち着いた雰囲気で センスよくまとまり フランス料理レストランにありがちな堅苦しい ものはなく 人のお宅に呼ばれたような 気さくなもてなしで ホッとさせてくれます。(この写真 左が Restarant Bélisaire の Chef)
まだ 30歳少しと言う若さ( あたまは 薄めですが・・)の このシェフは 経営も 料理も こなせるタイプで ほんとうに料理が大好き。厨房に いつも 気軽に 入れてくれて 内緒で 味見までさせてくれたり 作り方も 教えてくれ 私の相手をしながらも 同時に 次々と 料理が 出来上がっていく。まるで魔法のよう! 作るのが うれしくて仕方がないという表情が さらに 私たちを 楽しませてくれる。材料を無駄にしないという彼のポリシーから 土曜は 昼間閉店 夜のみの営業で その1週間の材料を使い切る 特別メニューを 仕込むという アイデア。もちろん それらは 残り物!ではなく そこから生まれる 即興的 発想が 彼の腕の見せ所と それを楽しみに通う人が たくさんいます。今日は テーブルについても 何も注文しなくていいからと 言われているので 私たちは ゆったりと アペリティフをいただきながら 時間を過ごします。はじめの スープ これは 本当に絶品でした。もう少し食べたいと言う量まで 計算されているようでした。牡蠣でとったスープを セロリなどの野菜と一緒に 裏ごしした ポタージュです。次は 季節の 生牡蠣。あしらった シブレット(奴ねぎなどよりもずっと細い 細ねぎ)と 赤の粒胡椒が 見た目にも楽しく 味のアクセントにもなって 一味違う牡蠣のいただき方を 味わいました。次は 私が 日本人であることから 発想したと言う一品。うれしいですね 世界にひとつと言う感じがして ドキドキ。お寿司のように 重ねると言う感覚で 下に トリュフの 入ったリゾットがありその上に 新鮮な帆立貝を軽くソテーしたもの そして 彩りを添えるように スモークサーモンがのっています。とろけるような下触りが たまりません。次のメイン料理は 日本ではかさごと呼ばれる種類の魚で カリッと焼いた香ばしいお魚の 下は ポトフのような 温野菜が彩りよく並べられ、2つの違う食感が 楽しい一皿でした。次は スライスしたバゲットの上に はちみつを塗り その上に やぎのチーズをのせて オーブンで 焼いたもの。それに サラダが 添えられています。はちみつの甘さが 口に広がり ため息がでます。そして デザートは オットは ガトーショコラ 私は フルーツにクレームアングレーズをかけて 焼いたものに ひとくちシャーベット。オットのケーキには花火がついていて そこにいる人たちも おめでとうを言ってくれます。ガトーショコラは フォークを入れると なかから チョコレートが 流れ出るタイプで またまたため息。 こんなにいただいたのに もたれていないことに驚き シェフに そう伝えると かなり喜んでくれたようで、自分は そこを 一番いつも どうしたらいいかと思って 作っているんだと 話してくれました。ですから 野菜の使い方が ほんとうに上手いなという感想を持ちました。その彼は 今年4月に パパになるそうです。ますます がんばってお料理にも 気合が入るんじゃないかと 言う気がします。  
ちょうど 帆立貝の 料理に トリュフが 入っていたことで オットが おもしろい思い出話を 聞かせてくれました。昔 パリ郊外に住んでいた 若かりしころ、カフェで 一杯やっていたら パリに トリュフを売りに来たという ものすごい体格の男性と 気が合い 話していたのがきっかけで 腕相撲に勝ったら トリュフを くれ!僕が負けたらウイスキーをおごるよという話になり、戦いになったそうです。それで 勝ったのは もちろんオット!その男性も まさか こいつが 自分に勝てるわけがないと 思っていたのでしょう 仕方ない 一番大きな トリュフを くれたそうです。そして そのときに その男性が いい事を教えてやると 話してくれたのには このトリュフを 卵と 一緒に一晩つけて 置いておけ!と言うのです。そうすると 卵は 一晩のうちにトリュフの香りを含んで この卵で 明日オムレツを焼くと トリュフの味が 楽しめるんだ!と 教えてくれ やったそうです。それが 言われるとおり ただの卵が トリュフの味に 変身し 驚いたと言う話し。これを聞くと 私のオットは やっぱりフランス人と思ってしまうのです。
09 Janvier 2004
でんでんむしむし エスカルゴ

最近 カタツムリの話を 友人と話し それから 気になって仕方がありません。 海でもないのに どうして 貝殻の家なの?どこからきたの?君は。少し 調べ始めたら かなり奥が 深そうなんです。誰か ご存知です?

■ネットで調べて わかったこと
かたつむりは陸にすむ貝で、陸貝または陸産貝と呼ばれている。海にすんでいるサザエやハマグリのような海産の貝と同じ仲間です。 海産の貝は「えら」で呼吸をしますが、かたつむりは「はい」で呼吸します。かたつむりの1年間の生活は、冬眠→めざめ→交尾→産卵→幼貝→成長 と四季の変化に応じた生活をしています。一般に、かたつむりは雌雄同体です。 かたつむりには、殻が右巻きのものが主ですが、左巻きの殻をもつ仲間もいます。右巻き・左巻きは、殻頂を上にして、殻の口が手前になるようにします。こうしたとき、殻の口が向かって右にくれば「右巻き」、左にくれば「左巻き」としています。現在、世界に約11万種類の貝類(軟体動物)がいるといわれますが、腹足類といってサザエやかたつむりのような巻き貝が全体の84%を占め、その巻き貝の中で約40%が海水域に、11%が淡水域に、33%が陸上域に生活しています。ナメクジは殻をもっていませんが、かたつむりと同じ陸にすむ巻き貝のなかまです。こうした巻き貝が、世界の貝類の約1/3を占めています。

で ■私が 一番気になること

 貝はどうして 成長していくのか?はじめに どこで 見つけるのか もしかして 自分で 作っている?のか そのあたりが わかりません。でも 説明を 見ていると ナメクジと 同じ仲間と聞くと ちょっとねぇ〜 私 エスカルゴ って 好物なんです。   
うちの近所のチーズ屋さん
あたりまえだけどチーズばっかり 
12 Janvier 2004
Lumière (灯り)




昨日の日曜、ごろ〜んと畳の部屋で 寝転んで 天井を見上げて 何の気なしにとった部屋の灯りの写真が 思ったより上手く撮れて うん!これ 載せよう!と思ったのが 左じゃなかった 右の写真。それで 今日は 灯り そして 光のこと。
日本でも おなじみのものですが、フランスでも この種類のものは まず 買っても持ち帰りが楽なのと なんと言っても価格が 安いと言うものあって よく見かけます。うちは 2年程前に 偶然安くで 畳が手に入ったので 寝室は 日本様式になっています。これにあわせて 今まで 椅子にかけて使えるように高くなっていた 机も ひとつはこの部屋ように 足を短くカットしてもらい ちゃぶ台に変身し 私は 時々ここで 書き物をしたりします。不思議なもので こうなると 紅茶ではなく 日本茶が ちゃんと欲しくなります。ここまで来ると こたつが欲しくなってしまうのですが それは無理です。

灯り
なんということはないですが寝室の照明です。
畳がひいてあるので 同じような和風です。
和風の部屋
広くないので全体の雰囲気を 一枚の写真に収めるのは苦しいのですが こんな感じ。以前はサロンに飾っていた法被を こちらに移動
この照明は 拾ったものでオットが作ったもの
笑ってしまうほど簡単なつくり
見た目よければ 気にしない!気にしない!
手作りの暖かさ
知り合いの奥様は インテリアデザイナー 
この照明も 彼女の作品
  



絵を習う機会ができたことで、勉強になったのは 光を読むと言う作業です。先生が始めの頃 ここは 緑、こっちは赤に光の色が違うのが わかりますか?と 聞かれたとき 実は 全部同じにしか見えていなかったのです。そうやって 訓練することで 次第に 見えるようになるものだというのを 知り 驚きました。写真も同じですが、意外と 普段これは 色だと認識しているもののなかには 実は 光だったりすることがあるようです。だから 部屋のカラーコーディネイトを 考えるときに その部屋の日当たりを まず見ると言うのは 大切なことなのですね。当然 朝の日差し 夕方の日差しの色は違ってきますし 季節によっても 変わってきます。家を 寛ぐ場所として考えるならば 大切なことなのかもしれませんね。
光と遊び心
これも左と同じ方の作品
照明に関してはかなりこだわりのあるフランス人
さすがにバリエーションも豊富です
13 Janvier 2004
昨日の続きのお勉強


なぁ〜〜んて 私って 勉強熱心なんでしょ。(自分で 言ってどうする!)
昨日の 光と 色について 調べたら 簡単に こんな説明がありました



で、こんなお絵かきもしました(が、決して 暇ってことではありません)
■光と色
人間の目に見える光は、電磁波と呼ばれる 波動のごく1部だけです。この目に見える光 と色は、密接な関係にあります。 光は空気中をくねくねと波のように進みます。 ちょうど、縄跳びの「へびへび」のように。 そのくねくねした波の山と山(あるいは、谷と 谷)との長さを波長といい、波長の長さにより 特徴や性質、働きが異なっています。 人間の目には、そのうちの380〜780nm(ナノ メーター:100万分の1mm)だけが見えるので す。これを「可視光」といいます。 可視光の内、波長が短いものは紫に見え、 波長の長い光は赤く見えます。 紫と赤の間の光は、紫→青紫→青→青緑→ 緑→黄緑→黄→橙→赤 というように見えま す。そう、虹のように連続して変化しています。 これを「スペクトル」といいます。 先に「光と色は密接な関係にある」と言ったのは、つまりこういうことです。 物体に光があたります。光の内一部は吸収さ れ、他は反射します。そして、反射された光が どの波長の光であるかで、その物体の色の 見え方が決まるのです。 短い波長の光を反射する物体は紫に見え、 長い波長の光を反射する物体は赤に見える。 というわけです。
■色がない
実は、物体にはもともと色がありません。 暗闇のなかでは、色は見えませんね。これは 見えないのではなく、存在しないのです。光の ない所では、色は存在しないのです。 私たちは、物体にあたった光が反射した光を 色として見ているだけなのです。   えっ。色がないですって? このことを始めて知った時、本当にびっくりし ました。 色の研究は古くからなされていました。 ピタゴラス・アリストテレス・ニュートン・ゲーテ までが、その研究に取り組みました。 中でも、ニュートンの発見は、とても大きなもの でした。 ニュートンはプリズムを通して、太陽の光のス ペクトルを発見しました。屈折率の違いにより、 太陽の光は、赤・橙・黄・緑・青・藍・紫(菫)の 7色に分けられると考えたのです。 それぞれの物体は、反射する波長や吸収する 波長、それぞれに特徴があります。例えば、 りんごは赤系統といった長波長を多く反射し、 青や緑といった短波長を吸収します。それで 赤く見えます。

        

ね?すごいですよね もっと ちゃんと勉強していたら・・なんて こんな言い方間違いですね。 きっと こういうこと 先生は 教えてくださったんだろうけど 右から左だったのでしょうね。実際に こういう現象が起きているということを 昔すでに 研究した人がいるのもすごいことだし こういうことには終わりがなくて どこかで研究しつづけられているんだろうなと思う。何でも 磨きをかけて 感覚を身に付けるというのは 努力がいるんだと思うけれど 人間は自分の知らないうちに いろんな影響を受けているのだと思う。この色というのは 私がものをみるときに 一番に反応をしているようだと言うことに ごく最近気がついたのですけれど、フランスに住むようになって それは 今まで以上になったような気がします。街の建物に使われる色の制限に対して 人々が 着ている服装の色合いも さまざま。普通に歩いていても パリの街には 四季折々に たくさんの色を楽しむことができます。服装で言えば 制服と言うものが 日本ほど多くないし 身なりに関して 日本ほど 男女 子供年寄りみたいな 見方をしませんしね。個人の好みを尊重すると言うのはあると思う。また時間を見つけて そんな色のこと勉強できたらなと思っています。

雑誌の広告
はじめ気づかずにいたものですが 
これは フランスのある家具メーカーの広告です。日本の昔のお化粧法を 用いて アレンジしたもの。下の写真は わかりやすいように 拡大したもの
雑誌の広告(拡大)
こう使うか!と言うような アイデア
日本人には 思いつかない発想かもしれません
14 Janvier 2004
ABRACADABRA


このベルベットのような表紙の本。苦労して手に入れ 今は もう手に入らないとか。
アブラカダブラ・・・ 
そう これは おまじない の本です。と言っても おまじないの仕方 そのものも面白いのですが、中の写真や 色づかいが素晴らしく美しくて 時々こうして 開いて みるのです。この間から なんだか 色が気になるみたいなのかな?

たとえば・・・・・

あなたがその相手と 言い合いをして以来 
お互いの関係が 長い間  滞ったまま 
そして そのことを 忘れてしまいたいとき・・・・

■用意するもの

カノコ草の根っこ
ローズマリーエッセンス
薔薇水
2枚の紙 ( 自分と相手の名前を書く)
小さな入れ物 ガラス瓶かもしくはプラスチックのようなもの 
はちみつ 
くまつづらの葉
冷凍庫

本を開くと・・・
はじめの儀式
ほんとうにあなたが 心から その気持ちに変わりがないなら 
まず お風呂に入りましょう
湯船にたっぷりお湯をためたら 
スプーン1杯の 
と カノコ草の根っこ 
ローズマリーエッセンス をそそぎます。
そして 静かに湯船につかりましょう。
どうして そういう気持ちから開放されたいのかを 
声を出して 話して下さい。
湯船から 上がったら 薔薇水 を手になじませましょう

これで 準備は 整いました。

自分と相手の名前を書いた2枚のを重ね 
それを用意した容器 に入れて下さい。
何枚かのくまつづらの葉 も一緒に入れ 
そこに蜂蜜 を入れます。そして そのとき 自分の願いを 思いやり込めて 
相手に やさしく 語りかけてください。
自分の手を 3回 優しく撫でるように合わせ 
輝く光が 互いの頭上で 包み込んでいるのを想像してください。
そして 最後に その容器を 冷凍庫 の 奥にしまい 
もう 二度と触れずにいましょう。

しばらくたつと あなたは 自分自身に美しい輝きを感じることができるでしょう。
21 Janvier 2004
日本のこころ
                (今日のは長編です)


首を長くして 待っていた 映画 「ラスト サムライ」 が 公開になり 行ってきました。それも 2日続けて。 一日目は 一人で 2日目は オットと 一緒に。一言でこの映画を語るには 自分自身の 今の環境や 精神状態 いろんなことを含めて 客観的に 捕らえることが かなりむずかしく そういう意味では わずか3年とはいえ 日本を離れて 異文化に溶け込もうと それなりに一生懸命 努力しているつもりの私にとっては、複雑に入り乱れる自分の感情に 普段は気づかなかった 自分の中に息づいている 大和魂のようなものを あらためて感じずに入られない気がしました。渡辺謙と トムクルーズが 同じくらいの比重で 役柄の 重さを出していたのが 見ていて 気持ちがよかった。(日本では 渡辺謙が主役という感じになっていたらしいですが、フランスでは トムクルーズが 知名度から先に 名前が出ているという感じでした。)監督をはじめ 役者達の この映画に意気込む熱意が ダイレクトに伝わってきて それも 嬉しかった。アメリカ映画なので 日本でのシーンにも 英語の場面が 当然 多く そういう意味で 不自然に思うこともないではなったけれど よくここまで お互いが 理解しあい この映画を完成させたなと 感動せずにいられないというのが まず はじめの感想です。映画は オリジナル ヴァージョンの 英語版で 下に フランス語の字幕がでると言う私にとっては 難関なもの。恥ずかしながら 一瞬 日本の昔の言葉遣いが わかりにくく フランス語で 確かめるなどと言う 今までには考えられないこともあったりした。今は 英語よりも フランス語のほうが わかりやすいと 言っても 文字を 早く読むと言うことになると少々辛いものがまだある。それに 時代設定が 昔の 日本とはいえ そこには 私の故郷と言う感情が どうしても 入って見てしまうので どこか 興奮している自分が そこにはある。このあたりは 日本で生活をしている日本人とは 少し反応が 違うのだろうという気がする。久々に見る 景色に 見とれてしまい 字幕スーパーを 目で追っている余裕がなく いらいらしたりもした。特に 山の風景には 日本の美しさが よく現れているように思う。(実際には オーストラリアかどこかで 撮影をしたとか 聞いていますが。フランスの山は もっと なんだかごつごつしていて なだらかな感じがしない。大きな岩という感じがする。)映画が始まるまでは 声の吹き替えがあると 残念だな 日本の私の知っている役者の声が 聞けないかもしれないと ちょっと 不安でしたが フランス語の字幕スーパーには 疲れはしたけれど 実際の声が聞けたのは まず よかったです。(謙さんの 英語には ほんとに驚き どれほどの 努力をされたのかと それもまた感動でした。)それで 映画を見ながら 気になっていたのは フランス人の反応です。戦いの場面や 終わりのシーンなどになると また アメリカ映画か! というような雰囲気を正直感じました。確かに 戦いの場面などは ちょっとしつこいかな? という気はしましたが、とことん やりたいという気持ちもわかるような気もして フランス人ほどの反応ではありませんでした。オットに どうだった?ときくと 悪くない! じゃぁ よくもないってこと?というと 今までにない 切り口で もうちょっと 楽しませて欲しかったというような反応が返ってきました。そうなんだー ・・ 私は 映画そのものというよりも アメリカ映画が ここまで サムライ(日本の心)を 出そうとしたということに対する 評価なのかもしれない 映画そのものとしてみると よくできているが 特別という気はしないという反応も あってもおかしくないのかなという気がしてきた。私にすると 日本で 放映されている 日本のよい映画もそれを 海外でも通用するというか それを 万人に楽しんでもらえる映画として考えた場合に ギャップがあるということ。私が こちらで生活をしている中で 時折感じるものと同じなのですが、話さなくてもわかるというような日本人の感情が こちらの人には 確かにわかりにくく 一から十まで説明しないといけないところに 少し戸惑ってしまうそれと同じようなものを感じるので 何でも 思っているよりも 大ばぁに表現しないといけない不自然さを感じるのです。仕方ないのですが・・。一歩ひくとか 相手を尊重するというようなところは 非常に わかってもらいにくいものなのだろうという気がします。日本の武道や 禅などに 関心を持っている フランス人も こういう中に 息づいている 日本人の 心と言うものを理解するのは 難しいのかなという気がした。笑うところではないでしょ?と言う場所で 周りのフランス人が共通して おかしいと感じているらしい場面では ??? マークが 私の頭の中を過ぎりました。そんな まわりの反応は さておき 2日続けて 見たいと思わせたこの映画 私にとっては すごくよかった!!!!ということになるでしょう。まだまだ 余韻が残ってます。 

ひとつのことから とてつもなく いろいろと 自分の思いが ひろがっていく いつもの私ですが、ここで少し 父のことを思いました。戦争を経験している私の父親とは その戦争の話も あまり 聞くことも 話す機会もあまりないままなのですが ふと この映画を見て 父が 戦争のために 日本を離れたときに どんなことを思ったのかなと そんなことを 聞いてみたくなりました。3年前 私が 日本を離れるときの 最後に 父が 一言 「日本人であることに誇りを持って がんばってください」と 私に言ってくれたのですが そのときは その言葉を もらったうれしさとは 裏腹に 実感として感じるところに至っていなかったのが いま少しづつ その意味が 感じられるようになってきているような 気がしているのです。言葉数の それほど多くない父が 私に 最後に何か一言だけ言おうと 考えてくれたのだろうと あらためて そんなことを 思い返している私です。 
古伊万里
京都に行くと 好きで
何枚か集めていたなかのひとつ
振袖
2つのガラス瓶
デッサンのクラスではじめて描いたもの
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移民と現代フランス
(集英社新書)
ミュリエル・ジョリヴェ
鳥取絹子 訳
定価 ¥840+税 のものが 19Euros 90 
(計算したくはなかったが 日本円で 2300円 もしている これも現実!)

おととい パリのジュンク堂で 見つけて買った本。タイトルだけを見ると 少しむずかしそうだけれどというか 確かに内容は 単純ではないのですが 実に上手くわかりやすい説明で 今のフランスを 語っています。最近になって フランスで暮らし 日常に感じる疑問も わけわからん!という状態から なぜ?どうして?と言う疑問へと わずかですが 成長し始めているなかで もう少し詳しく知りたいけれど いったい どこから手をつけて勉強したのものかと 思っているところで たまたま 目に飛び込んできたのが この本です。筆者は フランス国籍のベルギー生まれ 上智大学外国語学部フランス語学科教授。パリ大学では 日本語中国語を 学び 奨学金を得て 学生の頃にも日本に滞在する経験を持っている。この本の内容には 特別日本との対比で 表現されていうるところはなく 彼が 今までに 出会ってきた 移民として生活をしているさまざまな人たちの現状や意見をもとに 今のフランスというものが 書かれています。どうしても 日本語訳とつくと 表現に どことなくぎこちないものになりがちなものが その彼の 日本での経験と その訳をされている 鳥取絹子さんの深い解釈による翻訳が 読んでいて つい筆者が 日本人なのかと錯覚してしまいそうになることが 時折起こってしまいます。実に 読みやすいのです。そういうことなのかと 周りで起こっていることとあわせて読むと 実状が 見えてくる感じがします。正直 日本にいたら こんなことなぁ〜んにも 知らなくても 何ともないのに・・・なんて 思ったりしながら・・・。じっくり 読みたいと思っています。
フランスの実状
25 Janvier 2004
ありゃ〜



昨日見た 日本の新聞の記事

「私の父はフランス貴族」と詐欺容疑 北新地の元ホステス
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「私の父はフランス人の貴族」とうそをつき、勤めていた大阪・北新地のクラブのママから70万円をだまし取ったとして、大阪府警天満署は京都市上京区御前通今出川上ル、元ホステス○○○○容疑者(45)を詐欺容疑で逮捕した。「金は返すつもりだった」と容疑を否認しているという。  調べでは、同容疑者は02年11月から03年2月にかけて、「フランスへ一時帰国する。航空券は父から送ってもらったが、小遣いがない」などと言い、雇われていた店のママ(56)から3回にわたり計70万円をだまし取った疑い。  大沢容疑者は「フランス人とのハーフで、京都の大学で建築を学ぶために来日した」などと、でたらめを言っていた。「ドゥ・ラ・パヌース・フランソワーズ知子」と名乗り、年齢も実際より19歳若く偽っていた。仏語が堪能で客も話を信じこんでいたという。  大沢容疑者は以前、フランス人男性と結婚していたことがあるが、現在は1人で暮らしている。ママは「顔立ちも西洋風だったので信じていた。美人なので店の人気者になり、すぐに返してくれると思った」と話しているという。
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年齢を19歳も偽っても それが怪しまれなかった。というのもすごい!フランス語が 話せるとそれだけでも ちょっと違うイメージになるんだろうなー! 日本人が フランスに対して持っている 憧れている よいイメージというのが 向きを変えると こういうことにもなってしまうという例かもしれない。20代の頃に パリに一年間住むという経験をして 日本にもどってきてからは そのことを言うと ほとんどといっていいほど その相手の反応は同じで 「いいわねぇ〜」 「羨ましい」 「すごい!」 「あなたらしいわ!」 「何か他の人と違うと思った パリって感じがするわ」 とか 言われるたびに その意味が よくわからない気がした。いいわねぇ〜 の後ろには 日本を出られるだけでも ・・・という意味が含まれるのか 単純に パリの 風景を頭に描いて そこに 住んでいたという表面的なイメージで いったのかは わからないけれど どちらかというと この後者のほうが ほとんどなのではないかと言う気がする。もちろん そういう彼らに対していやな感情をもったりすることもなかったけれど、現実と イメージの差というものを 感じずに入られませんでした。実際に生活をするということになると 自分の意志で 日本を出ると決めた以上 周りに弱音は吐けないと言った気持ちもあって 辛いことは なかなか 言えないもので 自分自身も 辛い目に会っても こういうことが あとでみると よい経験になったというふうに プラスになっていくんだろうと言う解釈をし その場を切り抜けていたりするので 即座に 「羨ましい」と 言う反応が返ってくると 複雑だったりしたものです。どこにいても 人間自分が基準になって まわりの環境との バランスを とっていくものだと思うので 日本にいて 外国に行きたい! もしくは 日本を出たい!とは 口先ではいっても 実際に行動に起こそうとするかどうかで その人の 真剣度が 違ってくるんだろうという気がする。言い方を変えると そういう気持ちにならなくてすむ人が 羨ましいとも言える 気がする。

この事件の彼女は よほど フランスでいやな目にあったんだろうか?当然 フランスに住んでいたときの感覚のままでは  日本では通用しなかっただろうし そこには 大きな違いが出ていたというのもあるでしょう。複雑だけれど いろいろ 思ってしまいました。でも 
いけません。やっぱりこういう事するのは やめましょう。
発見!
久しぶりの早起きで 朝の7時半に 家を出る
まわりは まだ真っ暗なのわかるかな? すると、いつもの野菜と果物を売っている店先がいつもと違う!!!店の始まったときにはこうして綺麗に りんごもみかんも 並べて摘みあがっているんですね。知らなかった!今まで私が見ていたのは この姿の跡形がなくなっているものだったのですね。
初めての試み
これは昨日のエッフェル塔です
シャンゼリゼ通りで 今日は 
中国の新年を祝うパレードも 盛大に行なわれ
夜には こうして このエッフェル塔も 赤い光で 輝きました