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毎日出会う 
人 もの そして自分 
いいときばかりではないけれど 
いつも 素直な気持ちでいたい 
そんな思いを込めて 


28 Avril 2004
新鮮な風



今日は こんなことがあった。
鼻筋のすぅーっと通った北欧系の涼しげな顔立ちに 少し癖のある髪を 男の子のように 短くカットしたその女性は、凛とした態度で 前を見据えていた。いつもの場所で バスを待っていた私達は 一人の男性が バスは いつもより前の方から 発車するみたいですよ!と 知らせてくれたので みんなぞろぞろ そのバスのあるほうへと移動をはじめました。と言っても 待っていたのは約10名くらい。私は 天気もいいし 見晴らしのいいところにと バスに乗り込むと 運転席の 横、一番前の席に座った。少し年配の女性が  今日は どうしてこんなところから 発車するの?という質問に 今日 はじめての勤務で 細かいことが わからなかったのだ とそのショートカットの女性は答えた。質問をした 女性も そうだったの・・。という表情で それ以上 何も言うこともなく 全員が席につき いざ 出発。私は このバスは 彼女にとって はじめて乗客を乗せて運転をすることになるんだと思うと、ちょっぴり はらはらする思いがした。と同時に その彼女の 記念すべき初仕事に乗車することにうれしさも感じていた。もちろん 運転は 安定していて 不安を感じることは 全く なかった。逆に この小柄で華奢な女性が この大きなバスを 自在に 操っていることが 頼もしく思えた。ところで この私の乗るバスというのは 少し複雑に 行きと帰りの コースが 違い 微妙に クロスする場所が あるので 乗るときにも 注意しなくてはならないラインなのです。とは言え バスに乗っているほとんどの人たちは 日常 乗り慣れているのでコースは 身体で覚えている状況 さぁ 次の 大きな 通りにくると 今度は 左折・・と 無意識に 思っていると なんと 右折をしてしまったのだ。運転席のすぐ横にいたのだから 私も その瞬間に 反対であることを 言ってあげられたのに と思っても 後の祭り。仕方なく そのまま 方向転換可能な場所まで 進むしかなかった。次の駅で 降りようとしていた 乗客が 思わず 運転席に近づき どうかしましたか? さっきの場所は 左折のはずなのではないですか?との質問に 彼女は 素直に 間違えました と答えました。平静を装いながらも 実は とても 緊張していたのだというのが 横にいて 手にとるようにわかった。そのころには 乗客全員が 彼女は これがはじめての 仕事であることが 伝わっていたようでバスの中には みんな 見守るような暖かい空気が流れた。つい 先日 勤務態度というタイトルで バスの運転手の ひどい例をあげたところところだったが 今日の内容は まるで違う。パリらしい 人間味のある気持ちの通う 私の大好きなところでもある。言葉には出さないが みんな 大丈夫だよと 勇気づけているような雰囲気。少しでも 早く方向転換をしたいけれど 大きなバスとあっては 簡単には行かず 結局 1km近く 先まで いってしまった。その間 バスに備え付けれている電話で バスをコントロールしているセンターの人と 状況の説明と 対処の仕方を やり取りしている。話の内容まで詳しくは聞こえないが 彼女の表情が こわばった表情から 苦笑いに変わった瞬間で すこし 自分を取り戻したかな?というほっとした気持ちになった。 そのセンターの人からも きっと 冗談交じりに皮肉った 激励の言葉をかけられたのだろう。ようやく やっとの思いで 軌道修正し もとのコースに戻れる状態になった瞬間、彼女は 運転席から からだを乗り出し 私達に向かって ほんとうに すみませんでした と 一言。すると それぞれ なんでもないよ! がんばるんだよ! と 声をかけています。次々に 降りていく人も ちょっと短いお散歩だったわ!などと 短く 激励をして 降りていきます。こんなことは 日本では ないでしょう。まず 道を間違えるなどとは もってのほか!!とばかりに 苦情を 言いつけ そうでもなければ 何も言わない。それぞれの立場が優先で 人間同士の やり取りというものが こんなふうに 自然には できないのではないかと いう気がします。やっぱり不思議な魅力のある場所だなという気がします。きっと このことは これから 彼女の忘れられない思い出になることだろうという気がしました。 
パリ郊外のある街の夕暮れ
25 Avril 2004
歳を重ねること



昨日で 48歳になった。
はじめて日本を離れ パリで生活をしたのが 24歳。
実に単純な計算だが あれから ちょうど 倍の年月が過ぎた。
正直な感想は 基本的には 生き方そのものに 何も変化もないということ。
このページを通して 自分の生活を中心に 自分の感じること 経験することを日々書いているけれど 考えてみればこのネットの世界も 嘘を書くことも 簡単だし何でもありということが ないではない。今ここで 48歳という自分の年齢を 書いても たいしたことでもないし それよりも 人生年齢ではないということを 心底 実感している今 こうして歳を重ねることの 楽しみも あるわけで。今のところ 幸か不幸か 年齢を 気にするということが あまりない。まぁ からだ そのものにも 歳を感じるということが まだないせいかもしれない。単純に 元気ということだろう。うん それと きっと子供がいないということも そう思える原因になっていると思う。子供がいる幸せを 味わえない分 ある意味の自由を 与えてもらっているのかもしれない。まぁ たとえ いろんな衰えが感じられるようになったとしても 自分から 歳を取ることもないと思っている。まぁ かわいく 歳はとりたいものである。きっと 日本にいたなら 一般的に 歳相応を 無意識に 要求されるところがありそうなので 自分からではなく それを感じさせられる場面がきっと もっとたくさんあるんだろうなと思う。たとえば 仕事を捜すにしても 年齢制限は 完全にひっかる歳だし それも 何を やるかによって かなり差はあるにしても フランスに来て ますますそういうことに関しては 日ごろ 忘れているといったほうがいいだろう。(念のため:フランスでも 年齢制限が ないということではありませんが 日本よりは 随分、寛容な気がします)元気な 中年 高年が 幅を利かせているこの国では 人に譲るよりも 自己主張をして 自分を表現することの方に エネルギーを 要求される。ほんとうに よく遊ぶし 元気な人が多い。
あぁ それにしても 48年 健康で いれることに感謝です。
お母さん 生んでくれてありがとう

知ること

理解すること

受け入れること

共存すること


日々いろいろなことが起こる中で 自分なりに感じている 今の私の 生きているなかでの テーマは こうではないかと思うのです。
日々 微妙に いろんなことに 刺激を受け 同じような毎日を送っている中で 今までとは違う何かを どこかで 感じているとすると・・
はじめの 知ること と 理解すること には すでに 大きな隔たりがあります。日本で生活をしていると わかってあたりまえという 日本の中での共通の価値観があるので その両者の距離感は かなり近いものに思われますが、異文化の中で 生活をすると まずこの知ること と 理解すること との 違いが 大きくあります。なまじっか 半端に生きていない(内容ではなく長さが)ため 自分なりのポリシーや 価値観があったりするので 知ったとしても 理解するのに 時間がかかるというケースが 多くあります。そして 受け入れるということ。ここフランスでの場合、社会的な面で 体勢・制度が いろんな部分で 受け入れているように思わせるけれども 一人一人に目を向けると かなり閉鎖的な 印象があったりするので 実際に生活をしてるという角度から見ると これを 一概に 受け入れているとは 思えないものがあります。理解すること のあとに 無関心 放置される というような 印象を受けることがあるとき ふと 理解さえされていないのではないかと いう気持ちにさせられます。理解することには 一方だけということが 可能かもしれませんが受け入れるという作業には 互いに 存在する 違い を 認めるということになるのではないかと思います。ですから ここでむずかしいのは 理解すること イコール 受け入れる ということではないこと。時には 受け入れる という行動のなかには 止むを得ず そうしなくてはならない時や 反対する理由が見つからない ということがありますから 微妙です。このあたりの 問題などは 国同士や 家族の中などでも いろんなところで起こっているのではないかと言う気がします。 いずれにせよ この作業は 忍耐が要求される。そんな気がします。
そして一番 大きな テーマ 共存する ということです。このような 大きなテーマを述べる資格は ないように思えるのですが これは ほんとうに 大変だけれど 考えなくてはいけない気がします。目を向けることから はじめないと 何も変わらない気がします。

話がそれますが、昔は良かった という気持ちになることが 最近あります。それは お互いに 知らないですむ 距離間が たくさんあったからです。便利に いろんな情報が いろんなところから 得ることができるようになったことは 言い換えると 知らないで済まされなくなったり 知りたくないことまで 聞かされることになったからです。昔 家に初めて 電話が ついたとき、ものすごい感動かあり、それでも なにか重要なことがない限り 頻繁に使うものではなかった時代。機械などとは 縁遠い 祖母が 必死の思いで ダイヤルを回したのだろう、勇気を出してかけてきた電話の受話器をとっても しばらく返答のなかったあと こわごわに聞こえたその声。子供心に 感動した記憶がある。必死の思いで ボーイフレンドに こっそり電話をしたのも 今では 懐かしい思い出になってしまった。今や 家族一人づつが携帯電話を持つ時代になりつつある。若い人たちは 時間かまわず 相手かまわず 好きにやり取りができる。羨ましいという思いは あまりしない。そういう時代なのだなという感じかな。24年前 パリに 1年間住んでいた間に 日本に電話をしたのは 2回だけだったと思う。伝わる声にも 何秒間かのずれがあり 会話が 途切れ途切れだったりする中で 必死で相手の様子を 伺おうと 耳をすませて聞き漏らすまいとしていたことも よく覚えている。ほんとうに貴重だった。そして 手紙を 毎日のように書いた。日記も分厚いノートに4冊ほどにもなっていた。こんなことでもなければ もらうこともなかったかもしれない 父からの手紙も 今となっては 貴重だった気がする。どこか 今よりも豊かだったと思えるものがあるのはどうしてだろう。なんだか 便利になったことは どこか 人を殺伐とした思いにさせている気がするのは 私だけだろうか。情報が飛び交い 海外でのことが 手に取るように映像が流れる中 見た以上 知った以上 無視できないものが でてきます。共存ということに関しては もう少し私も成長しないとなー と 正直に思います。
これから 間違いなくやってくる 老化も 自分なりに 知り 理解し 受け止め 共存しながら その時に 自分に可能なことを見つけ 好奇心のおもむくままに やっぱり人生 楽しみたいなと 思います。

オットは どうしても ニューヨークに行かなくてはならない用事があり 24日の早朝 出かけていったので 今年の私の誕生日は 一人で向かえることになった。それで ということはないけれど 今日は 1週間に一度の休みというのもあって ちょっとゴージャスに 午後ゆっくり お寿司を いただくことにした。お皿も ちょっと 上等のもので 盛り付けしてみた。お天気が とてもよく 庭から 入ってくる風が 心地よい。軽く冷やした ロゼワインと一緒に ゆっくり 味わいました。お刺身は トロ 中とろ 大トロ 鯛 鮭 ホタテ タコ 海老 サバ と みんな 勢ぞろいです。寿司飯は 丁寧に炊き 大きな団扇で 扇ぎながら つやつやに仕上げ、卵焼きも 自分で焼きました。辛口のロゼワインが よくあって のんびり 舌鼓を打ちながら 堪能しました。これが パリなんだからね〜 やっぱりすごい! なぁんて かなり自己満足の世界です。でも やっぱり 日本料理は よろしゅうございまする。フランス料理を食べた後の 重たい感じとは 随分違い 最後に おいしいお茶がほしくなるというのも からだに流れている日本の習慣というものなのでしょうか。そして このあと 知らないうちに うたた寝。これもまた 極上の贅沢というやつ。オットがいると このあたりで 映画に行こう! となりそうなところも 今日は一日 家でゆっくりということにして 恐れ多くも こうして 今 人生などというものを ちょっと 語ってしまっているわけです。
これから10年後、ちょっと楽しみになってきました。
このホームページも続いているんだろうか・・・
乾杯
日本で最後に出演した舞台のときに 生徒たちが プレゼントしてくれた ワイングラス。
今も大切にしています。
祝いの善
すんばらしい青空が まるで 
祝ってくれているよう!
贅沢の極め
激写!
アップでどうしても撮りたくなった大トロ
そして・・
やっぱり これは欠かせない
新緑
最近のお気に入り
台所の 調理台の下のところに 雑然と並べていたものを ちょうどぴったり入るサイズの籠を見つけたので 5つ並べて 入れ替えました。収納できる量も 増え 見た目もすっきりで 気に入っています 
たとえば こんな感じ
頻繁に使う じゃがいもたまねぎは
こんなふうに
17 Avril 2004
勤務態度



日本なら 完全に クビ だな! という 勤務状態の人を よく見ます。スーパーのレジのおねえさん。バスの運転手。銀行の 受付穣。言い出したら きりがありませんが そんなことしてたら あんた いい人生送れないわよ そのうち バチがあたるわよ! と思わず こっちもブチッときてしまいます。先週 通勤に乗ったバスの運転手。バスが ちょうど 駅に着くときに 反対車線にいた私は 道路を渡りきれなくて 危うく 乗れなくなるかと あきらめ半分のところ その運転手は 私を見つけ いきなり 道路の 真中あたりに バスを止め 私を 乗せてくれようとしたところまでは うれしかったのですが、ものすごい拘引な 止めかたをしたため ほかの車が 立ち往生。それでも 平気でどうってことないって様子。私はほかの車に 申し訳ないやら はずかしいやらで とりあえず バスに乗り そして びっくりしたのは その運転手のとっている体勢。運転しながら 両足を伸ばして ハンドルの両横に乗せて バスを正面から見ると 靴の裏が 見える状態。これにはちょっとびっくり。ブレーキとかは 足元にないのかな?? どうやって コントロールしてるの? そう思いながらも バスは発進!今度は 次の駅で 降ります!の合図のボタンを 押して 降りる体勢を整えている、杖をついた足の不自由な年配のご婦人のいるまま その駅を通り越し その後婦人は 慌てて 降ろして下さい! と叫ぶと 謝りもしないで 駅の 200mも先で ドアを開け 勝手に降りろ!と いわんばかりの態度。残された私達 乗客も このあたりから 異様な雰囲気を察し 運転手の様子を伺い始める。今度は 前を走っている 同じバスを 追い越そうと 猛スピードで 威圧しはじめ 前のバスの運転手も 何をするんだ!という顔で驚いている。それでも懲りずに とうとう 大きな 交差点で そのバスまで 追い越して まるで カーレースのよう。乗っている私達は 生きた心地がしませんでした。もう早く降りたい!一心で やっと 私の降りる 最終駅につき 乗客は 冷や汗と一緒に ほっとため息。まぁ 信じられない勤務態度です。こういうのは 苦情を言っても 仕方ないものなのでしょうかね。一般的に フランス人の 車の運転は あまり自慢できないひどい人が多いと聞いていますが、これが バスの運転手となると もう お手上げです。バスも 運転手を見て 選んだ方がいいのでしょうか? もう愛想が悪いくらいはいいから むちゃをしないでくれぇ〜〜!
Tarte aux fraises
この苺の粒の大きさ!
そして艶、この台は アマンディーヌ風で 香ばしいと しっとり感のあるものでした。
13 Avril 2004
鬼の霍乱



いやいや せっかくの 昨日の休みは 一日 寝込んでしまいました。と言っても 目まいがして 吐き気が ともなっていたため 仕方なくという感じでしたが。これも神様が こうでもしないと じっとしない私のことを 読んで わざと しかけたな?!というような 一日でした。お陰で このところ 自分の店のことで 頭がいっぱいの オットも ちぃーとばかし 気遣ってくれ せっせと なにやら片付けてくれたり 私の大〜好きな 苺のタルトを買ってきてくれたりして 内心 私はそれだけでもヤッター! 儲けた! と布団の中で 含み笑いをしておりました。現金な奴であります。それにしても 買ってきてくれた 苺タルト 苺が旬というのあってか 甘酸っぱさが カスタードクリームと なじみあい タルト生地の 香ばしさとバランスがとれていて 最高の お味でございました。具合が悪いといえども しっかりと 味わっているくらいですから こりゃ たいしたことないな・・うふふ・・ たまの病気は いいもんだ!ミシュカも 今年に入って 私達は 外出ばかりで ほとんど家にいないときが多かったので うれしいのか 一日中 私の布団のうえで ゴロゴロしてうれしそうだったりして いつもにもまして だらだらでしていました。珍しく パソコンにも いっさい手を触れず なぁ〜んにも しない日。お陰で その目まいも 一日で回復。今日は もう しっかり 働いてまいりました。でも やっぱり元気で働けるというのは 結構なことです。と つくづく・・。日に日に マロニエの 緑が 鮮やかになってきています。春風が さわやかで気持ちが いいです。仕事場に行くと まわりからは そろそろ 今年のヴァカンスはどうするの? という話題。そうなんです。夏の休みの長い フランスでは ヴァカンス計画も もうそろそろ 具体的に 考えた方がよいという感じなのです。そういう意味では 私は未だに日本モード。まだピンときません。でも友人が チュニジアの人なので 一度 私と一緒に ヴァカンスを 一緒に来れば? といってくれていたりします。考えてみたら 行くところがたくさんあるんだし もったいないですよね。この間 一緒に食事をした人は LYONから来ていて 話を聞くと 行ってみたいなぁ〜と 思い始めています。でもどうなるんだろうなぁ〜 今年のヴァカンスは・・・




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お待たせしました!!
オープンした お店情報を Top Page の Information から 見ていただくことができるようになりました。パリや パリ近郊にお住まいの方 ご旅行で お越しになられる方 是非 お立ち寄りください。



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先日行ったお店の デザート
ソンブレロのような形にしたクレープに グレープフルーツの ゼリー寄せ それに自家製苺のアイスクリーム どれも トロピカルで 楽しい デザートでした。
もちろん お味は グー!
マグドナルド モーニング
好んでいくわけではないのですが 
この モーニングセットは さすが おフランス。
ミニサイズの
クロワッサン、パンオショコラ、パンオレザン と Cafe
 がセットで 2ユーロしません。お得です。
通りから見えるワインボトル
サンジェルマンに久しぶりでかけ お散歩。
古びたお洒落な ワインバーを 見つけました。
一人で ゆったりと
たまには こうして 一人ゆったりと 
食事もいいもんです。
05 Avril 2004
あたらしい春のはじまり



こちらでも 予告していましたオットの店は 先月3月に 何とか無事にオープンをし こちらに もう そろそろ 案内を 載せてもいいかな? という感じになってきたので 只今 そのページの 構想中です。そんなことで 自分の仕事に プラス この店のことが 同時進行しているもので なかなか時間の余裕がなく 時間がたっています。少しづつ 暖かく春らしくなってきているこの時期に オープンできたのは よかったなと 言う気がしています。少しづつ 馴染みのお客さんも増えてきて お店らしくなってきているようです。私は 今のところ なにか特別なことがない限りは お店に立つことはありませんが でも いつ 手伝わないといけなくなるか わからないので 少しづつですが いろいろ教わっています。一度やってみたかった 生ビールの注ぎ方も 随分慣れてきました。普段は もっぱら グラス拭きと 灰皿の掃除くらいしかできませんが、カウンター越しに お客さんと話をしたりするのは 新たな発見があって 面白いものです。ますます フランス語を もっと 話せなくてはいけないし こうなると話題の豊富さも 大切だなと言う気がして 今またさらに プレッシャーが 私を襲っています。 これから どんな店になっていくんだろうという という気持ちで 見守っています。


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今週の花
昨日 久しぶりに出かけた朝市で 買いました
やっぱり好きだな〜
ラナンキュラス。
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一足先に
ちょっぴりその店の様子 おまけです
今まで うちのサロンにあった絵が お店を 飾っています
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食いしん坊バンザイ!
おいしいワインに合わせて
 おいしい料理が自慢の17区にあるこのお店
友人に招待されました
さすが と思わせるアイデアは この床。
ワインを詰めてある木箱を利用して はめ込んであります。
01 Avril 2004
Poisson d'avril



エイプリルフール
フランス語圏ではpoisson d'avril(poisson=魚 avril=4月)と呼びます。何故「魚」なのでしょうか。 子供達を中心にまわりをかつごうとするのは日本と同じですが、フランス式なのは『わーい、ひっかかった!!(釣りから連想)』の意味で『poisson d'avril!』と叫ぶことと、相手に気づかれないように紙で作った魚を相手の背中に貼ることです。  始めの頃は ピンとこなかったのですが、「魚」というのは、フランスでは マイナスイメージがあるようで、日本で「子供の日」に鯉のぼりを飾るというと言うと皆一様に怪訝な顔をします。鯉というのは、いつも水の中で口をパクパクしているだけで「間抜け」の代名詞のように使われているからです。国が違うと とらえ方も随分違うものですね。

むかしむかし、
ヨーロッパの厳しい冬が去って自然が再び活動し始め、人々の心にも明るさが戻ってくるこの時期、笑いはつき物なのでしょうか? 古代ギリシア時代には『笑いの神』に奉納する『歓喜の日』があったそうで、直接これに由来するかわかりませんが、16世紀半ばまでフランスでは4月1日が1年の始まりだったそうです。 新年の祝いが春の歓喜に結びついていたのですね。 1564年にシャルル9世の勅令により1月1日が元旦に定められました。そのために、それに附随する伝統や習慣も移動することになり、その一例としてお年玉(プレゼント)を贈るのも1月1日だけとなり、4月1日にはお年玉のまねごと、ウソの噂話、相手をビックリさせるようなプレゼントでその代わりをするよ うになり 暦が変わっていると相手に錯覚させてからかうことが、罪のないウソを信じ込ませて面白がる伝統に定着したと一般的にフランスで解釈されています。これが、ポワソン・ダヴリルの始まりらしいです。 何故このような言われ方をしているのかは諸説ありますが、最もポピュラーなところでは、毎年この時期になると、どんなエサを付け てもサバがジャンジャン釣れるようになることから、誰にでも釣られる魚→おマヌケさん、というようなことで、このような例えられ方 をするようになったのだという面白い いわれがあります。    ただ、ポワソン・ダヴリルは単にウソやイタズラをして人をからかうだけではなく、さまざまな解釈で発展的分化をしているようです  このチョコレートについては、日本で言う『バレンタイン』のような意味も持っているらしいです。つまり、4月1日にお魚のチョコを 意中の人に贈る→実らなければ、それは「冗談」として軽く流せることにするし、見事実れば、それはウソから出たマコトとしてステキな 恋に発展する・・・というような思惑があるらしいです。 ところで、カトリック教徒にとって4月1日は四旬節の後半です。 キリストが荒野で40日間断食したのに従い、この期間中の信者の食事は肉も卵も禁止され、来る日も来る日も野菜と魚のみ。 見るだけで飽き飽きしてきた魚をからかいの材料にしたのは当然の成り行きかもしれませんね。 こういうう習慣も 調べてみると 面白いものですね。

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すみません また食べ物です

最近見つけた イタリアレストランに
すっかり はまった私。
デザートの テラミスは 多い!
と思いながら いつもたいらげてしまいます
どこを見てもチョコレート
たまごの形をしたものや 今日の Poisson d’Avril にちなんで 魚の形 など 動物をかたどった楽しいチョコレートで いっぱいです