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ちょっと 洋風の物も
シンプルなサーモンのオーブン焼です
レモンとトマトの薄切りをサーモンの切り身の上に並べて オリーブオイルをかけて さあ 今から オーブンへ!
03 août 2004
一般的 という 発想



つい 先日 母と電話で 会話をしていた。どういう経路の話だったかは 覚えていないんだけれど 話をしていて 日本にいたときのように スムーズに話が進まないときが 時折 でてくる。その先に話を進めたいけど まずは そこにある違いを説明することから はじめないと いけない。説明しているうちに 私も しだいに愚痴っぽくなっていく。情けないけれど これも本音。今までなら 日本での一般的という発想で お互いにおなじ基準で考え 見えてくるものが ここフランスでは そのフランスの一般的な 基準というより その 基準自体が ないに等しく いろんな部分で 捕らえにくいということを 痛感させられ そういう感覚の違いから 会話の展開が 思わぬ方に 進んでしまうということが 起こってくるように思います。日本のように 日本に住んでいるのが ほとんどが日本人の場合 一般的としてしまえるものが ここフランスでは それが まず 大きく違う。はじめて出会う人同士の会話でも あなたの 国籍は? と言う質問が 展開して 生粋のフランス人かどうかということから どことどこの血が混じっている ・・ という手の内容に展開し  ヨーロッパの歴史にまで 行き着くことが珍しくない。父が 大阪で 母が 福井県出身 というのとは レベルが違う。日常 少し困ったことが 起こったときに それを わたしのまわりの誰に聞くかによって その答えは かなり違うし 聞いたことによって 余計わからなくなってしまうことも多く 結局 それらを ヒントに 自分で 判断した方がいいようなこともでてくる。要するに決りごとというのは 一例であって その以外の 例外と 区別するだけの物であって 一般的とされるものと例外の力関係も さほど 重大視されないような気がする。追い詰められその理由に困った時に フランスでは こうするのが普通で!す と 苦し紛れに 食ってかかってくるくらいで その説得力は かなりお粗末な感じがします。少し慣れきたときというのは どこか 不満な部分も 具体的に見えてきて 気がつくと いつも愚痴を言っているみたいな気がしてくるのも 悲しい。と そ〜んな やりどころのない気持ちで いるとき 空を見上げて 深呼吸をするのです。パリの空は ほんとに 美しい・・ と 今見ているものと 感じている現実のギャップに しばし 時間が止まってしまう そんな 今の私です。



去年の名残
小さな写真でわかるでしょうか?
これは 去年の夏の猛暑の影響ではや枯れてしまいかけたマロニエの木です
もうだめかと 思いきや 生命力の強さというのか ちゃんと 新しく青葉が 顔を覗かせ始めました。あちらこちらで こう言う木を見かけます


ちょっと 洋風の物も
シンプルなサーモンのオーブン焼です
レモンとトマトの薄切りをサーモンの切り身の上に並べて オリーブオイルをかけて さあ 今から オーブンへ!
出来上がり!
ふんわりと やきすぎない程度に 火を通して 出来上がり!
ごはんをそえて バジルの葉っぱで 彩りよく仕上げ。いただきまーす!








最近 いつもにも 増して 食べ物の映像が 多いような・・
もう少し 視点を変えたほうがいいかしら?・・
夏は やっぱり冷やし中華!
高校の時の 同級生がロンドンに住んでいて 日本に帰ったお土産にと たくさんおいしいものを 持って パリに遊びに来てくれました。これはそのひとつ。神戸らーめん(ここをクリックすると 神戸らーめんのページに 行くよ!) の 生麺セットです。いよいよこれで 最後 ! オットには 悪かったけれど ぜ〜んぶ 一人で こっそり いただきました。ごめんなさ〜い! 
ウヒヒ・・ 
なんか 最近 漬物とか こう言うのばっかり・・
 ん? 

名残惜しい 最後の4枚
私の これまた 好物の ゴーフル
ノルマンディーに 家族が住んでいる友達に 教えてもらったお菓子で 本来は ベルギーのお菓子ではないかと思うのですが ちゃんとフランス産とあります。歯ごたえのある食感と バターの風味が 絶妙!これも 食いしん坊の私は 発見しました。ここのホームページです。 工場で 作っているところが いっぱい見れます。なんでだろう? こういうの 嬉しくてたまらない!!
Biscuiterie La Dunkerquoise
08 août 2004
我が家の 大・大事件!





やーやー ほんとに人騒がせなヤツです  → → → → → 
今日は 我が家で起きた 一大事件を 図解写真満載の サービス版で お届けいたしやしょう!

まぁ 毎度の話題で申し訳ないのですが うちのミシュカは アパルトマンが 1階ということで パリに住んでいる 猫にすれば 夢のような 優雅な暮らしができているというわけで 好きなときに 外出し おなかがすけば 家に戻り 疲れたなーという時は 布団の上で 一日ごろ寝をしているわけですが それでも 一緒に生活をしていると 彼女の行動パターンというのが だいたいわかっているわけなのです。で 8月4日の朝 待てど暮らせど 外出からもどってこないのです。うん? オットと これは いつもではないなーと ??? こんな感じで 午後まで戻ってこない時は なにかあったのかもしれないということで とりあえず 私たちは 仕事に出かけたのです。午後4時ごろ どんどん心配になってきた私は 急いで 一度家に戻ってみると 帰った形跡もなく いよいよこれは 何かがあったと 察したわけです。きっと オットは 私ほど 心配していないだろうと 思っていたけれど 連絡すると やっぱり 僕も 25分くらいで 戻るから ミシュカの 特徴が よくわかる写真を いっぱいコピーするように言われ 半べそをかきつつ 私は 作業をはじめる。私が心配だったのは 事故にあったのではないかということ。どこかの 穴にはまったとか 知らずに 誰かが鍵を閉めてしまったドアの中とか もしくは 怪我をして 動けないとか・・ こうなると どんどん 心配がふくらんでくるわけです。珍しく 時間よりも早く戻ったオットは 刷り上った写真入のコピーに手書きで ミシュカの特徴を書き 連絡先に 私たち それぞれの 携帯電話の番号を入れ 約30数枚。 オットは 準備周到に 広告専用の 糊まで買ってきていて 刷毛で 貼れることが可能な場所に 手当たり次第に。私は このあたりの人が よく行く スーパー パン屋 ピザの宅配店 Cafe  などに頼み 許可をもらって 貼らせてもらう作業を分担して 行動開始。この作業は Chouchou がするほうが みんな同情してくれやすいのではないかという オットの判断です。私は それ以外にも 近所のアパルトマンの管理人に頼める状態のときは その入り口にも 貼らせてもらい できる限りのことをして またそれぞれの仕事にもどったのです。貼りおえた後の 通りは これが見えぬか!と 言わんばかりの 目立ち様でしたが これが 日が暮れると どんなものかと またしても心配が 深まるばかり。まぁまぁ 皆さん あきれると思いますが この内容見てやってください!この下に 図解入りで 私たちの 涙ぐましい努力を 記録しました。今となっては 笑い話ですが もう 私は情けないほど 傷心しきっていました。(親ばか丸出し!!)内心 今の世の中 こんなにしても 人は 興味をしめさないのではないかと やるだけやっても 心は 期待できないと 言う気持ちで 不安は つのるばかり・・。どうか どうか 怪我だけは していませんように と 手を合わせる気持ちで なんとか 仕事を 終え 急いで 家路に向かいました。







わたち おうちが わからないの!
事件の 張本人
私の選んだのはこの写真
大胆にも バス停に
こうなったら どこでも 貼るぞ!
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想像していなかった結末
はっきり言って あんなにまでしたけれど 運良く ミシュカを見た人が この猫探しのチラシを見ているとも限らないし, その時の 気分次第で 行動することの多いフランス人が どこまで 注目してくれるかという思いもあって 半ば 期待しないでいるほうがいいという気持ちでいる私でした。と その時 私の携帯電話に メッセージが入りました。もしや!と そのメッセージを聞くと お宅の猫のことで 電話しました とあります。祈るような気持ちで すぐに 折り返し電話をしたのが もう夜中の12時まえ。住所を聞くと なんと 次の道を曲がったところ そこに住む女性が 今 ここに お宅の 猫ちゃん いますよ!と 言うではないですか!!! もう なりふりかまわず無我夢中で その方向に 向かう私・・ すると 驚くこと 反対側から オットも 駆けつけています。その表情は かなり 嬉しそう!その女性は 私たち2人に 連絡していてくれたのです。親切にも アパルトマンの 入口で ドアを開けて その方は 待っていてくださいました。私は それまでの 傷心振りと打って変わって 思っても見なかった早い結末に 正直 ちょっとびっくり。そして 劇的な 対面となったわけです。結局 犯人 いや!ミシュカは 朝方 散歩中 に このお隣のアパルトマンの 誰かが ドアを開けた瞬間に 中に入ってしまっていたようでした。パリのアパルトマンの入り口は コード番号があって それを押さないと開かないようになっているので 一度入ると でる時も ドア用のボタンを押さないと入れないしくみになので 閉じこめらっれている状態になってしまったわけです。女性の案内で その場所まで 連れて行ってもらうと 情けない表情のミシュカが 階段の隅っこにちょこんといるではありませんか。・・・・ 言葉がない このとき私は ただただよかった!と思うばかりで その女性に お礼いを 何度も言って 3人で(このときは もうミシュカは1匹ではなく 家族の一人という状態)家路につきました。ほんとうに 親切な人に 発見してもらえて 運がよかった! こんなふうに 上手くいくことばかりではないとは思うけれど 無事でよかったと 思うばかり。 
想像できると思いますが 家に戻ってからは ミシュカを前に 2人で どこにいてたん? なんで あんなところまで いったの? の 集中攻撃。答えるはずのない猫を相手を前に 2人で 苦笑い! そして 疲れもピークに達した私たちは ウイスキーでも飲もう! 一緒に飲んで 眠りにつきました。

翌日 私は チラシを貼らせてもらった お店に お礼と報告を 言いに行きました。どの店の人も 私が お礼を言う前に みんな どう?なにか情報は?と心配して聞いてくれる人ばかり。私が 「親切な女性が このチラシを見て 知らせてくれて 夕べ もどってきました」。というと みんな それはよかった!と 同じように 喜んでくれて 今までになかった 暖かみを感じました。ちょっとやりすぎたかなと思うほど貼りまくったお陰で この結果になったと あらためて やれるだけのことをやるということの 大きさを感じました。絶対 効果は ある! それに考えてみると フランス人は 動物好きの人が多いので こう言う話題は 結構 親身になってくれる部分があるのかもしれません。チラシを貼っている最中も その作業を 見て 近寄ってきた女性が これあなたの猫なの? まぁ かわいそうに 見つかるといいわねーーと声をかけてくれたり スーパーに そのお礼を 言いに行ったときも ある女性が 私も このチラシ見たわよ 私も 気をつけて 見たりしてたのよ! 見つかってよかったわね!と 声をかけてくれたり・・その方も ご近所さんでした。

結局 この事件で ミシュカの 顔は 一躍 有名になり これから お散歩しても ちゃんと 家に帰るのよ! と ご近所さんに 言われるのではなかな・・ それはそれで この子 あそこんちの子 で 知ってもらってると 便利かも・・

ただひとつ 
本人の 反省の色は あまり なさそうなのが たまにキズ
もう こんなことに ならないでよね お願い!

わたち 疲れた〜〜
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反省の色なし
 
やっぱり おうちがいいわ〜〜 といっているかどうかは わかりませんが 何事もなかったかのように もどの状態に戻ったというわけ。
今回の 私の教訓
惚れたら負け!

14 août 2004
Petit voyage (1)



ミシュカ 行方不明事件(08 août の Topics 参照) の結果次第で あきらめなくてはいけないかと 一時は 真剣に考えていたのですが 無事の戻ってきたので 予定通り 友達と小旅行に出かけることになった。南フランスまで 行こう!と はじめは 話していたけれど かなり暑いと聞いて 気が引けてしまい 近場で 涼しげなところがよいと Reims というところに行くことにした。シャンパーニュ地方にあるこの街 この名まえのとおり 市場に売り出されている シャンパンは すべてここで作られたものとされています。それに忘れてはいけない 世界遺産に認定されている 大聖堂が ランスに あります。ということで 今回の 2泊3日の旅は このワインセラーと 大聖堂を堪能することになりました。




宿泊ホテルも 目的地までの交通手段も すべて ネット上で ものの30分くらいで 手続きが済み 翌日に 確認のメールが届いて こーんな 簡単でいいの?という感じ。往復のチケットが 直通便で 約30ユーロ 宿泊費も 2日で 80ユーローを切る安さ。その分 これで 美味しい食事を堪能し お土産に 美味しいシャンパンを買うことができるぞ!と いよいよ 出発前日。ネットで見つけた いろんな資料と 知り合いに教えてもらった 極秘情報などをプリントアウトし 私は 当日の 汽車の中で 食べる お弁当の仕込みに入るルンルン!
(中身は 右の写真 参照してねん!) 

当日 Gare de l'est で 待ち合わせ。駅で 飲み物を買って 乗車。 ほぼ 出発と同時に お弁当を食べ始める。もう 外の景色は どうでもいい! 誰も邪魔しないで!そんな感じで わき目もふらず食べきる。味覚というものは いろいろなものを思い出させてくれるもの。ここはいったいどこ?というのも しばしの 楽しみと 場所を忘れて 楽しみました。そして ちょうど 食べ終わり 落ち着いた頃 車窓から見える景色は 鮮やかな 葡萄畑。ここは 軽井沢でも 伊勢でもない シャンパーニュ なのだ! 青々と ひろがる風景に 一瞬 言葉がない。美しい!(極端な2人)。でも このぶどうの収穫は 大変やー 気が遠くなりそう!腰痛の人 多そうー と 私の感想。面白かったのが 走っている電車と 葡萄畑の葡萄の植わり方が 直角になっているので 窓から 見ると ドミノたおしを見ているような目の錯覚が 起こり変な気分。
そのくらい 一面が 葡萄 ぶどう ブドウ・・。

Reims 到着(所要時間:1時間半)
駅を出ると そこは 大きな公園になっていて ほっとする。いたるところに ベンチがあって 寛げるようになっている。もっと長時間の旅なら ここでまず一服というのも悪くなさそう!私たちは まずは 駅近くにとった ホテルに向かい 荷物を置き 大聖堂のすぐそばにあるという 観光案内所を目指し これからの予定を決め まずは 大聖堂から 行ってみることにした。

ノートルダム大聖堂 CATHEDRALE NOTRE-DAME

13世紀のゴシック建築で、内部天井の高さはフランス一。西側正面には2300体以上の彫像があり、なかでも「微笑む天使」像は有名。1825年まで歴代の国王25人の戴冠式もこの大聖堂でおこなわれていた。シャンパン製造工程をモティーフにした祭壇背後のステンドグラス、シャガール作のステンドグラスも必見。
時間 7:30〜19:30 休み 日曜ミサ(9:00~10:30)


ここに入ったとたん 友人は 「中世の匂いがする」 と ポツリ。私は その言葉が 異常にうけてしまい おかしくて笑いがとまらなかった。 「あんた!中世におったん?」


トー宮殿 PALAIS DU TAU

ノートルダム大聖堂に隣接する元大司教公邸。現在は、戴冠式で使われた宝物や修復前の大聖堂の彫刻などが陳列されている。
電話 03-26-47-81-79
入場料 28F
時間 10:00〜12:00、14:00〜17:00
(11月15日〜3月15日、ただし土・日曜日は〜18:00)、
9:30〜12:30・14:00〜18:00
(3月16日〜6月30日、9月1日〜11月14日) 9:30〜18:30(7月1日〜8月31日)
休館日 1月1日、5月1日、11月1日、11月11日、12月25日


観光客も少なく 私たち2人だけで ほとんど他の人と出会うことがないまま ゆっくりと 見ることができた。13世紀につくられた高さ6メートルの彫像というのがあり それを 間近で 手で触れることができる。(ほんとは ダメだったのかな?でも 何にも書いてなかったよ)美術専攻している友人は 驚くほどいろんなことを知っていて 私は無料ガイド付で 得した気分。その巨大な彫像は 異様に頭でっかちで たとえにするには 悪いけれど 日本の歌舞伎役者のようだった。 彼女曰く 昔は 人々が この彫像の足元に 近づき 下から見上げるようにしてみたらしく その位置からのバランスを考えると こうなるのだそうだ。ためしに そうしてみると 遠くから見るとは かなり違って見えたので そうかーー そういうことも考えられてたわけや。と そういうことを 知っている彼女に感心する。ここには フランスで もっとも豊富なコレクションをもつといわれる宝物殿があり これも 見所満載なのです。すごかったね!王様の マント。本物や!他に人のいなかった私たちは 大阪弁丸出しになっておりました。豪華さもさながら 重そう!というのが 第一印象。これを着て歩くのには 練習がいるね!王さん(王様ではなく 王さんと呼んでしまって いいんだろうか・・)も練習したんやろうか やっ すごい王冠 すごすぎて 安もんに見えるのは私だけ?この王冠、中に帽子みたいに布が貼って 一体になってるんや! これなら 王さん禿げてても 大丈夫やな!やっぱり印象 大事やもんね。・・見て!これは 他のと違って ガラスケースに入ってるね! ほかの物は 巨大で 持てそうにないけど このくらい小さいと こうでもしないと 持って帰る人いるんとちゃう? ええぇー 持って帰るかーー。まぁーね こっちの人 物を盗むの 結構 平気やしね。・・・ねぇねぇ それより 私こっちの 指輪がええわ! 思わず 値段は? などと 途切れることなく 会話も弾み 一通り見てまわったが この後も やっぱり 見に行こう!と 3回も 来てしまった。それだけ価値のあるところということ。ばかな話もいっぱいしたけれど 私は その友人のお陰で 今まで知らなかった キリスト教や 旧約聖書のことなど 話してもらって そこに 展示してある物が いかに 貴重であるかを 知ることができ 内容の奥深い(笑いあり 涙あり)ものになりました。

こんな地図見つけました。 ベルギー スイス オランダも すぐそこ!
これじゃ 戦争の時に 巻き込まれても しかたないなー っていう位置です

                     次回は シャンパンのセラーを見学した お話ですぞ !
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旅といえば
お弁当でしょう
ってことで ちゃんと 前日から仕込みました。

おにぎり: しその葉 と ちりめんじゃこを混ぜたごはんに しいたけ昆布入り
鶏の煮付け:軽く表面に焼き色をつけ オイスターソースと 砂糖で 軽く甘味をつけてから醤油で 煮汁がなくなるまで コトコト・
だし巻き卵:お弁当の定番 今日は ほかの物が 辛めなので 甘めに仕上げました
和え物:いんげんと 鰹節の和え物
お漬物:白菜付けと 明太子を和えました
 
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Offce de Tourisme de Reims
こういうところが おフランスのすごいところ
ツーリストのための案内所の外観
大聖堂(この写真右が大聖堂の左側側面です)の存在を邪魔すくことなく 溶け込んで 一見 見分け気がつかないほど・・まずは ここで 観光する場所の確認と内容を見る 
 

これで ランスとわかった人は 通です
そんな人 いないだろうと思ったら 
日本の 友達にいました。
やっぱりすごい人は どこにでもいるのですね
で、どうでもいいけど 何やってんだろうね。わたし。つい こういう写真を 撮りたくなってしまうのね。このランスで はじめて飲んだシャンパン おいしかった! 幸せ!でも このときは まだ 味を比較できるところまでいってなかったので このあと いろいろなシャンパンを飲ませてもらって こんなにも 違うものなのかと あらためて 思った次第です。まずは1杯目!

ランス大聖堂の中
世界遺産なのに 無料? 
という発想は おばさんでしょうか?
まっ 教会だからね 
それも朝7時半から 開いてます
でも 正直 びっくり タダだったから という理由も 多少あり(・・・)連日3日 通いました。 
シャガールのステンドグラス
このブルー まさしくシャガールといいたくなる色合いで 存在感がありました 
24 août 2004
我 故郷 日本 考
(長編になってしまった)



 前回の Topics で シャンパンセラー見学 のようすを!と 予告したにもかかわらず 今日は 下書きのつもりで 書き始めたら 止まらなくなったので 話題 変更です・・

仕方のないことかもしれないけれど 普段のなにげない生活のなかの出来事を 無意識の中で 日本と比較してしまうことが よくあり そのことに気づき あっ また 比較している! と 自分で 思ってしまう。そういうのも いい加減 自分でも いやになってしまうというか 比較しても 答えはないことだと わかっていても 結局は 目の前の現実を それなりに 受け止めようとするために 自分にとっては 違和感があるけれども ここで 逆らってもしかたがない、ならば 自分の中で それらを うやむやにしないで 整理しておきたいと 思う気持ちが こう言う結果になってしまうのだろうと 思われます。すごく 大胆なイメージで 以前は フランス人は 大人 というイメージを持っていました。今 思うと その意味は 自立している、自分のことを 他人任せではなく 自分で 管理できる。この言い方も 語弊がありそうなので 加えて言うと 事務上の 処理の間違い 手違い、書き間違いなどの ミスが 非常に多いフランスでは 作業をした人間ではなく 確認しなかった自分の責任 ということになってしまうので まず 信用する と 言うこと そのものに ハードルがあり 自分で 管理するのは そうしなくては”相手の いいようにされてしまうから 自分でしなくては 誰も助けてはくれないから ”なのです。日本では 人にゆだねることの ベースには 信用 すなわち ”間違いはあってはならない” と されるのがごくあたりまえで そこに さらに サービス 思いやり などという 表向きのイメージに お金を使い いったい それらがどうなっているのかが たとえ 本人が わからなくなっても 大丈夫です! 心配無用!と 信頼を売る。それが 事業として 成り立っていくという フランスでは見られない システムが 存在する。フランス人は 便利だからと言って 簡単には 利用しないだろう。自分でできるし それ以上の おまけはいらない と 言い切ってしまいそうだ。やっぱり 日本は 楽チン! 正直に そう思う。でも フランスにいると 自分で 生きている実感は 確かにする。日本にいると 自分はスーパーに並んでいる 卵ケースの のような気分がする。(変か? この表現! でも 当たってる! フランスにいると 自分は 道の 雑草のような気がする。 せめて 都忘れ くらいにでもしておこうか・・いや 笑ってる場合じゃないぞ!)非常に 複雑なのでありまする この わ・た・し。結局は どの職業も  押しの強さ  自己主張の強さで 動かされているところがあるので ”他人任せ” などには 絶対にできないのです。海外で生活をしているという 角度で考えると日本人でありながら かなり フランス人と同じ対応もしくは ものによっては かなり 援助してくれる機関はあるといえるが それも 決して 甘くはなく 入口 だけ。後は 自分で何とかしてくださいよ!という感じ。なので 当然 自分で何とかしないといけない。この部分だけを 日本と比較すると 何か特別な才能があって 日本に住んでる外国人を除いて ごく 一般の日本にいる外国人は もっと もっと 大変なのかもしれない。それに フランスでは ある年齢になると 親子であっても 個人として扱われることが多い。例外として かなりの お金持ちにおいては 親まかせにできる人もいるようだが それらが 非常に稀なのに対して 日本では さらに それほどの金持ちではなくても 親元から 離れず過ごしている独身は かなり多いような気がする。(もちろん 子供離れできない親も含めて。)とにかく 自立することが 自分で自分を管理するとすることだとすれば その日本の お助けサービスは その構造が 非常に わかりにくくなり 実際よくわからないということになるような気がする。行き過ぎると もともと持っている能力を 奪ってしまっている気がしないでもない。(言い過ぎか?!)たとえになるかどうかはわからないが フランスでは 病院で レントゲンを採ると そのレントゲンは それぞれ本人が 管理し 保存をするのが普通のようだけれど 実際 日本にいたときに 何度か採った 自分のレントゲンを 自分で見たり 保存したりと言う経験はなかった。医者を信用すると言うことは 全部預けると言うことになるのかなと なんだか わかるようなわからないような しっくりこないものを感じたのも うそではない。

日本では 大人  子供 という言葉の使い方を いろんな場面でよく使う気がする。フランスでは 考えてみると そういう言い方は あまりしない。あくまでも その人 個人である。今まで 私の描いてきた ”フランス人は大人”というイメージは 子供という比較対象のなかでの 大人というのではなく 人間生きていく中で最低限必要なこととして自立すると言う意味でのことで 逆に フランス人は 子供だと思うことのほうが 多くなり 昔 抱いていた印象からは かなり違ってきているのは 自分でも 興味深い気がする。まず 自分の感情を 大人だからと言って 抑えることをよいという考えはあまりなく 抑えようとしても抑えきれないくらい 内容は重大として 人は 見ているようだし、自分の考えが たとえ 子供じみていても 正直に言うし なにかの 基準で 自分を抑制しないような気がする。もちろん ぶりっ子という類の ベタベタした物は 存在するけれど その辺は その人の趣味と言う範囲で処理されて 日本で起こる ちょっとした流行のようなものではない気がする。以前にも どこかに書いたけれど この ”流行る” という現象は 特に日本において 特別な要素がある気がする。その内容が ずば抜けて すばらしい物ならば はじめは 流行ると言う表現であっても 2,3年もすると 定着して 流行ると言う範囲から 離れていく気がするけれど いつのまにか 忘れさられていて あの人は今! や あれは どこに? などと タイトルをつけて 目の前に さらされることが珍しくない。ちょっと 哀れな イメージがしてならない。そういうものが ほとんどなのではないかと思う。 ものによっては 完璧に それらを流行らせようとしている仕掛け人達によって 作られ 動かされいるにもかかわらず、それらを 簡単に 信じて 素直に受け止めることが普通とされ、そういう人たちが 集まり うんちくを交わす。それを 疑ってかかると  面倒な人(かなり強引な分け方だが)流行について来れない人などと という レッテルを 貼られてしまったりしてしまったりしていないだろうか。
女の子の大好きなお人形は・・
日本だと どうなんでしょう?もっと 漫画ちっくな かわいいお人形のイメージなんじゃないかなー フランスでは かなり 本物の赤ちゃんに近い 毛の生えていない丸坊主の 赤ちゃん人形が 一般的です。まだ 乳母車に のせられていそうな女の子が 自分よりもさらに小さい赤ちゃん人形を さらに小さい人形用の乳母車に乗せて押して歩いているのをよく見かけます。実際は 乳母車を押しているというよりは 本人が 歩くのを乳母車が 支えているというのが 正しいかもしれませんが・・
今日の朝 一緒にバスを待っていた 三姉妹もこの定番のお人形を それぞれが 大切に持っていました。
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お母さんの真似事から・・
いつも ママンに言われていることを そのまま 人形に 話し掛けているんでしょうね 子供育てるって ある意味 恐い! と 感じてしまうのは 私だけでしょうか・・
でも なにげない しぐさって 女の子なのよね 
ほんとにかわいい!
ん? やっぱり 邪魔だったかしら・・
毎度定番のお邪魔虫 ミシュカの映像 どうしてか パソコンのまん前で わざとらしく伸びをしたり 倒れこむのが 嬉しいみたいで。
自分のほうに 注目して欲しい!とばかりに いろんなことやってくれます。 
カメラ向けたら 珍しく 振り返りました。

信じがたいが 今 起こっている どこかの国の テロ事件も 今 はやりのラーメン屋も 同じレベルで流れ それらを まるで 自然現象のように 受け止められている気がする。いや!受け止めている訳ではないだろう きっと 訳がわからないけど これを 現実として 視覚から 受け止めようとしているだけで 決して 実感のわくものではないという 不調和が 起こっているような気がする。見たくないものまで 飛び込んできて 知らない振りをしているわけではないけれど 実際 何もできない事実が そこにはあって そういう 不調和が ストレスを 生んでいる。でも それ以上 知ることもしない。実際 それらのいろんな情報に 必然性を感じて 求めている人は ほんの わずかなのではないだろうか。そして また それらを ”時代の流れ”と 分析する人間も出てくる。客観的なのではなく 他人事のような気がする。実際 その流れの中にいて それらを分析しても あっ そうー? それがどうした ? くらいで 問題意識も 起こらず 最近の話題! 程度に収まる。頭が しびれているのかもしれない。どこで生活をしても  真実は 誰にも つかめないものであるとしても ここフランスでは 何かが 伝わってくる 気がする。それは 一人づつ 自分の表現をしているからなのかもしれない。逆に どれも 本物で 例外ばかりなのが ちょっと 厄介だけれど どこをみても 似たり寄ったりで その本物の姿や 個人の表情が どこかで 制限され 見えにくいという気がする日本とは 随分違う気がする。出た釘は打たれるが 出すぎた釘は 打たれないと 昔 森田健作さん が 言ったそうだが これは うまい表現だと思う。自分を表現すると言うのは 訓練が必要なのであって 才能なのではない と 私は思う。表現力のある人 というのは 自分のことを かなりよく知っていることと その手段を 自分で選んだり それらがどう見えるかということを 客観的に見ることができ そういう場を 必要と感じている人なのだと思う。そう! 表現をする必然性が あるかないかなのである。それも 生きている以上 変化しつづけるものだとすると 敏感であることも 必要かもしれない。レベルこそ違っても フランス人は その自己表現をする訓練を 小さい頃から 習慣付けられるよう教育されているように思う。そして 日本にも 人とは違っていても 自分の感じるものを 大切にしたいという気持ちで 日本を飛び出して行ってしまう 才能を持った人間が たくさんいるのだろうと思う。そういう人が 海外で 評価され 日本にもどると 今度は 手のひらを返したように もてはやされたりして 本人は そこで 面食らってしまう。たとえば フランスでは クリエイティヴな仕事をしている人たちを 援助したり 応援したり はたまた 自分達が 彼らを育てているとさえ思っている人たちが たくさんいる。有名がどうかより 自分の目で 人の才能を 見極めるのです。そういうのは 嬉しいことです。やはり そこにも その人が感じることを そのまま基準にしている 気がする。誰それさんが 信頼している人なら 間違いないとか 海外で認められたから すごいんだとかいうのではなく 自分の目でみたことそのもので 判断するのです。

(思いつくまま書いていると 話がまとまらなくなりそうだけれど  まっ いいわね これも 自分のホームページだからと言うことで お許しくだされ )

日本では 仲間はずれにされることは 最悪なんだろう。現実 海外に住んでいる日本人ということで言うと 東南アジアなどに住んでいる日本人同士の 付き合いと言うのは 日本でも類をみないほど すごいらしい。日本人と言うことだけで そのグループに所属しないと すごい目にあうらしいと かなりその幹部に近い人から聞いたことがある。自分のことは 自分でしろ!と 教わったじゃない?と思ってしまうが そこには どうも 足並みがあって 一人だけが 飛びぬけるのは いけないらしい。そこで 権力を振るうのが お金を持っている人 どこかの えらいさん ということになってくる。まぁー つまらない 話。正直 思ってしまう。踊りの世界も そういうもので なりたっている現実も 世界中に あるみたいなのです。私が 16歳くらいの時から 感じていることは 今に至って その とおりだった!と 確認できたくらいで 残念ながら 改善は されていない気がする。表向きだけ 変えても仕方がないのにねー。 私は 幸い 私に一番合った方法に 出会い ある頃からは 自分の勘だけを頼りに来て 間違っていなかったんだ!と 思えるのは 運がいいのだろうか?そうとは 言い切れない気がする。自分の感じる気持ちを大切にできるのは 自分にしか感じられないことを温め 自分の感じるままに 生きるのがよい と 自然に教えてくれた両親が この私を 育ててくれたのだろうと思う。(こんな書き方をすると 自分はすごいぞ!と言っているみたいになるけど そうではなくて 等身大の自分を堂々と出せることに 誇りをもてるということかな まわりくどいかな?)それが 日本だったから 少し変わった子 になっていたかもしれないが ここでは ごくあたりまえのことであり そういう経路からすると 私が 今フランスに 住んでいるということは 自然の流れと言えるのかもしれない。でも その自分の気持ちに正直にいることと そのことで 回りを 振り回してしまっている(迷惑をかける という表現になるけれど)ことに うしろめたさを感じないと言うフランス人には 少々ついていけない気と思っている自分が 同時に存在している。これには フランス人にも言い分があって 別に頼んだ覚えはないということになる。そこで 感情を 剥き出しにする人間を 目の前にすると ほうって置けないと言う気質が 日本人にはあるのかもしれないと思う。確かに フランス人は 自分がそれどころではないとなると どんなに人が大変でも 自分優先するので 確かに その理屈は あっていると 思ってしまう。じゃぁ 日本人は お人よしなんだろうか? 無意識にうちに 人に迷惑をかけない 助け合うという感覚も 人に 悪く思われたくない もしくは 目立つことを恐れる というような 運びになってしまうのだろうか。まー 難儀なこと。考えると わからなくなるわねぇー。確かに 日本人のもつ 繊細な優しさは 美徳として 日本人同士の中で 成り立っていても 外国では それらは 伝わりにくいことかもしれない。そういう流れからくるのかはわからないけれど 今 流行る物は どこか 分かりやすい 目立つ! 日本の文化の奥底に存在する物と 相反する現象のような気がする。反動 という 見方も できなくはない。面倒くさい!と 言ってしまえることの 多いこと! そう言ってすませられる時代は 豊かなんだろうか? ほんとうにやりたいことと出会っていないと そういうとらえ方になってしまうのも 無理はないと 理解するのがいいのだろうか・・。ちょっと便利! は 必然性に欠ける気がする。 何でもよく流行る 日本を見ていると もうちょっと 自分に目を 向ける場があるといいのにな とそんなことを 思う。日本は素晴らしい国だと 思えば思うほど そう感じてしまう。フランスは そういう意味の自由はあるけど もう少し 協調性があってもいいんじゃないかという気がしてしまうのです。

オリンピックの結果が 続々と伝わってきます。正直に 想像を越える 日本選手の活躍に 目を見張るもがあります。私までもが 心なしか 鼻が高くなっている気がします。でも 結果が 現れると手のひらを返したように 美化してしまいやすい 地道な努力と 葛藤。コーチや監督と 選手との関係。まわりが作るドラマより 彼らが 実際に話す言葉 表情を見て 感じとりたいと 私は思います。最後の一歩は 彼らが自分で 踏んだのだから その一番大切なところを そっと見守って これからも 自信を持って 自分を信じて また 新たな 出会いを 求めていって欲しいと思います。

なんだか たくさん書いちゃった! 最後まで読んでくださった方 ありがとう!