images/topics.gif  
突然通うことになった フランス語の学校
初めて体験する さまざまな出来事に ときには 笑い ときには 考えさせられる日々
私にとっての貴重な体験として ここに 約3ヶ月の 学校生活を 記録したいと思います。


クラスの紹介は こちら
日付順に並んでいます
 






3.Mars. 2003
   今日は 月曜日、曇り、お雛まつり、そして 私達の 2回目の 結婚記念日
灯りをつけましょ ぼんぼりに〜 ああ〜 お雛様なんだぁ〜 今日は・・・
フランスは この月が 一年のうちで 一番雨の降る季節だそうだ。日本の梅雨と違って 湿気はないから 不快感は それほどではないけれど 寒いときの雨は あまり いただけない。昨日 二人で 明日は 結婚記念日だね、シャンパンでも買って お祝いしようね と話していたので 帰りのバスの中で いろいろと ご馳走も考えて 意気揚揚と 家に戻ってきて 唖然としてしまいました。3週間ほど前から 始まった うちの家の 上の階の改装工事の関係で 水道管や ガス管の傷んでいるのを 修理して欲しいと以前から 管理人に交渉していたのと 作業が重なることから ついでに私の家の方の工事も いっしょにしてもらえないかという 交渉を 主人が 今日することになっていたので 今日は話だけかと思って 家に戻ると すでに 台所のものは移動され 大工事になっているではありませんか・・・ありゃー! なかなか話の進まない フランス人でも こんなことあるの?と 2重の驚き!!!これじゃぁ お茶も無理って感じです。せっかく張り切って ご馳走と 思っていたのに お預けになりそうです。ああ 残念!!  でも 考えてみると 今年は 台所を 改装しようとしているのでこの ガス 電気 水道の 設備が 整っていると 作業が進めやすいので よいチャンスといえばそうなのですが 何も今日でなくてもいいのに・・・ちょっと 見て楽しいものではありませんが 工事前 工事後の 記録のため 写真を撮っておきました。かなりの古さです。この写真の 赤い管が 取り替えた部分です。明日は 台所の 天井部分に通っている ガス管も 全部 新しいものに取り替えるので 台所のものは 隣の部屋に 移動することになりました。2,3日かかるそうです。本当に いつ何が起こるかわからない。まさに 毎日が TOPICS!です。話は戻って 今日の授業は 前回の 授業に続いて 冠詞を使いこなす練習というので 3人のグループで 家に人を招いて 料理をご馳走するのに メニューを決め 必要なものの 買出しに行くという設定で リストを作るところから始まりました。クラスには 子持ちのお母さんもたくさんいるし 料理となると みんなそれぞれ アイデアもいろいろで 会話が 弾みました。私のグループは 私が今一番 仲良くしているマリオラと コロンビアの男性 アンリです。結局 メイン料理は 私が昨日作った パエリアに決定!前菜は 生野菜をメインにした アントレの盛り合わせ デザートは これも私の 案のバナナフランベ に決定。3人で この組み合わせに 満足して いざ 買い物リストを作るとなると たとえば 日本語で 一束 とか 一盛り 一掴み といろいろ 量を示す 言葉が出てきます。そういうのを この中で 勉強しました。話が 生活に結びついているので それぞれの選んだ料理の作り方にも 話が及び お互いに質問が飛び交います。フランス語のクラスというよりも 料理のクラスといった方がよい感じでした。先生のマルチーヌは なかなか食通と見えて いろんな地方の産物のことや なぜこの料理が 生まれたかとかのエピソードも 教えてくださりためになります。料理も フランスといっても ヨーロッパがつながっているので 外国との結びつきが たくさんあり 面白いのですよ。フランスで言う ビストロという呼び名も 日本でも 随分、普通に使われるようになっていますよね。現在では フランス語のようになっていますが もとはというと ロシア語なんだそうです。戦争の時に ロシアからフランスに流れてきた兵士達が 空腹を満たすために 人目をしのんで 塀をのぼり レストランで ”早く早く!”と 店の人に せかして飲み込むようにして 食べて 戻っていたのか いわれで 早く早く! ビストロビストロ!と 言ったそうです。さすが ロシア人の エレナは 先生のこの話の途中で ロシア語であることがわかったらしく 彼女も驚いていました。こんな具合です。 授業が終わった お昼には みんなおなかが ぺこぺこになってしまいました。


そして今年も またこの日がきました

突然始まった 家の水道管工事
04.Mars. 2003
   Chouchou 頭 こんがらがる 文法攻めの1日
この写真は 先日 主人が 買って来てくれたラナンキュラスの花です。文章の内容と 切り離して 少し ヒーリング効果を狙ったつもりですが どうでしょう? つぼみが 開きはじめ とても綺麗です。日本で一人住まいをしていた 最後の3年間は 自分にしたら 少し贅沢な ゆったりとしたマンションに住んでいて お気に入りのベランダには この花を必ず 植えていたので懐かしくもあります。さぁて 今日の 授業は 私の一番苦手で 早口の 文法の先生 Caroline の クラス。私だけではなく まわりのみんなも 質問攻めにでもしないと どんどん先に進んでいってしまって さっぱりわからないと 文句が いろいろ出始めました。確かに 文法の 規則的なことを 教えるのは ある意味機械的な 部分があるので 先生もたいへんだとは思うのですが 初めて 習う私たちにとっては  重要なことになってくるので 私達の集中力も 普段以上です。たとえて言うと お経を 何かの作業をしながら 口ずさんでるみたいに 時々 先生の 話す内容に 気が入っていないことが あります。そういうのは 聞いててわかるので なんか 先生! もっと伝えようとして 欲しいなと 思ってしまいます。それに面白いけど クラスには 揚げ足を取るわけではないけど この先生のちょっとしたミスに 目をつけるのが 早い クレーム魔がいるのです。たまにはもうええやん! 誰でもちょっとくらい間違うことあるやん!と 思うのですが 考えてみると これもすごい才能かもしれないと 感心してしまいます。彼女は かなり 文法的な説明を するのが好きなようなのですが、そのときに 彼女は 自分の知っている限りの むずかしいフランス語を たくさん使って わざわざ長い文章を話すのです。どこにでもいそうな タイプですけれどね。みんなも あっ 始まったという感じで 彼女の話を聞くわけですけれど それで たとえばそういうことを クラスのみんなで 直接 彼女にぶつけたりするんです。” ねぇ マリオラ あなたって どうして そんなむずかしい単語ばっかり使うの? って すると そうかなぁ 〜という表情でも みんなの 思ってる感想を 受け止めているようで ちょっと可愛かったりします。この際 言葉の学習にきているという意味では 話はまわりくどくならず聞いていても 素直な感じで いいです。日本なら とりわけこういう 状況だと ねぇねぇ・・・−−さんって こう思わない?と 本人をのけて 話になりそうですよね。お互い同士 聞きたいことは 先入観なしで 素直に 相手に 聞いてみるというのは 以外に新鮮で よいものだなと 思います。私は 一度 クラスの また別の一人に 何であなたはそんなに早口で話すの?と聞いたことがあります。考えてみると 彼女は 発音のクラスになると 先生に ストップをよくかけられて 発音をなおされていますが 普段の会話では 問題なくフランス人のようなテンポで話しているのです。聞いてみて 正直な 彼女の回答に 思わず うなずいてしまいました." なぜ 私が早口にで話すか、それは ゆっくり話すと 発音のまずさが 目立ってしまって 会話がが途切れるからだそうです。そうか・・・そんな風にも 持って行けるわけかー。これまた感心してしまいました なんでも 言ったもん勝ち! ということになるんでしょかね。


主人の買ってくれたラナンキュラス

開きかけたつぼみ
5.Mars. 2003
   有名人発見!
バス通学は なかなか面白いものがある。地下鉄よりも 人との やり取りに 生活が 感じられて 親近感を感じる。運転手の人柄にも バラエティーがあって ユニークです。乗車の際に 顔をみて 一人づつ Bonjour!と 気持ちよく 声をかけてくれる人や やる気の感じられない無表情の人。 できれば 朝一番に 外に出て 挨拶を交わすなら 気持ちいいほうが いいけど そのあたりに関しては 取り繕うことをせず その日の気分を 素直に出すのが フランス人風ということなのだろうか。今思うと 日本のデパートの エレベータガールは お人形のような気がしてしまう。その笑顔は 本物なのって? 思ってしまう。
今日は 学校の近くの 中国人の多く住む地区を バスが通過するとき すぐそばの歩道を 日本の 有名歌手としておきましょう 彼が 彼女らしき人と その中国人街の スーパーの 袋を いっぱい持って 歩いていました。私にするとかなりインパクトがあるのですが 日本の有名人という類の人たちは 日本では 外出しにくいのか こうして パリなどに羽根を伸ばしにくることが めずらしくないようです。全く 普通の人と変わらず 特別おしゃれをしていなかったりするので 発見したときには 間違いかと思うことが多いのですが なんだか そういう気持ちがわかるような気がします。いつのまにか まわりの作るイメージに 自分を合わせなくてはいけなくなるようなことが あるのかもしれませんよね。有名になったことから起こる不自由というのがあるのかもしれません。そういえば 以前にも 地下鉄で ある俳優の方が 乗ってらして 思わず私も 同じ日本人という感覚で 話をしたことがあります。すごくフランクで まず日本では考えられないかもしれませんね。
今日の授業は 昨日に 続き 文法のCarolineの クラス。朝一番の9時に いきなり ダッシュで 笑ってしまうほどの 大量の 情報を とまることなく書きつづけ 説明も その間 続き クラスの半分以上の人は 先生元気だねと あきれ顔。お昼の休憩直前には 作文を 要求され お昼休みどころでは なくなりそうでした。昨日の Topicsで書いたように 今私の家は 台所が使えなくなってしまったので お弁当が 作れなくなって しばらくは 外食か 何か買うかと思っていたのですが 今日は いつも主人と行く ベトナム料理の店が 学校の近くにあるのを 思い出し なんとか ここなら 急いで戻ってくれば 間に合いそうな距離と 即、そこへ 向かうことにしました。レストランについて 席に坐ろうと 見回すと えっ?!なんとうちの旦那が 友達と 来ていて 何か食べ始めているではないですか。こんな偶然があるものでしょうか。思わず 私は ラッキー!!と いきなり 午後の授業までに完成しなくてはいけない作文を みてもらえる! 私には 天の助けのようでした。早速 作文の 内容を説明し 私の作った 文章が 間違っているかどうか 見てもらうことにしました。ありがたいには 違いないのですが うちの旦那 私の質問に 答えてくれるだけならいいのですが ほかにいろいろと 面白いこと 加えてみたり 例外の話をしたり たくさん 言ってくれるおかげで 聞き終わったときには いつも 何がメインかが わからなくなってしまうのが 悩みの種です。サービスのつもりで 勉強を 楽しくしてあげようと 思っているみたいですが これが私には ちょっと 迷惑!だったりして よく口喧嘩になるのです。それでも何とか 熱々のスープを すすりながら 作文も 形になり 危機一髪 学校に戻り 授業にも 間に合いました。まぁ こんなことは もうないと思いますが 今日は そんな1日でした。そして 今日の Parisは 今年一番の 暖かさで 17℃。きていたコートが 厚く 汗をかきました。


庭の アイビーが 伸びてきました
6.Mars. 2003
   電話の ベルが恐い !電話のやり取り
写真は 私のお気に入りCafe。 よく こうして 予習復習の場所に 使っています。長居しても こちらの Cafeは 平気なので 自分のお気に入りという場所を 作るのは 楽しみでもあります。それで、今ちょうど 学校から戻ってきたところなのですが 帰りのバスに 中国人の夫婦が途中で乗ってきて その 奥さんのほうが ものすごい大きな声の中国語で話すので バス中に響き渡り かなりの不快度でした。それも 何か文句を言ってるのかと思ったら そうでもないさそうだったり やっぱり これは確実に怒ってるぞと言う雰囲気だったり・・・ まわりの人は 私が怒らせたのかと ちょっとビビッて いたりして みんな言葉の内容が はっきりしないので その人の 興奮状態の 原因が つかめず 変な空気が 流れつづけました。でも考えてみたら そばにいた ご主人 影薄かったなぁ・・・ この雰囲気には おしゃべりの パリジェンヌも たじたじのようでした。言葉の違いということから 誤解を招き とんでもない方向に 展開し トラブルに巻き込まれるというのは めずらしくはないのです。そういう点 日本人は 旅行をする場合 たいがいの人が 旅行会社のパックツアーに 入って 移動をするので やはり いろんなことになれていない人には そのほうが いいような気がします。その上短い滞在で 要領よく 観光しようとするのは テクニックが いりますからね。まぁ ともかく さっきの おばちゃんは すごかったという話。そして 今日の授業は 電話の応対 その2 (その1 は先週 電話で 病院の予約という設定で 話すというのを やりました) 今日は 留守番電話のメッセージがテーマ。 なかなか実用性の高い おいしい内容です。先生は いろんな設定を 作り 即興で 私達に ぶつけてきます。ちょっとした単語の聞き取りが出来てないために 会話がトンチンカンになって アレレレ・・・ 。先生は 芸達者で 今風の 若い人の 崩れた 話し方や 逆さ言葉 短くした言葉など 聞きなれていても 意味のわからない言葉が 満載です。 いろんなタイプの人を演じてくれるので それも 臨場感がでて みんな こんなこと あるある と口々に 先生に こういうときは  どういったらいいの?と 話は やみません。たとえば 自分の印象が よいか悪いかで 影響してくるような 事務的な 決り文句などは 使い慣れてないので つい 友達相手に話しているトーンに なってしまい それは・・ それは・・ 言わない方がいいよとか 先生も 突然何を言い出すかわからない 私達の会話に 言葉をなくす瞬間が よくあります。でもこうして 生活に結びついていることを勉強するときがあると 苦手な 文法の勉強が いかに大切かもわかるというわけです。でもね・・・でもね・・ やっぱり気が重いよ〜 もう いやぁ〜ん! だって ほんとにいっぱい変化するんだもん 食べるという単語ひとつ使うのに 主語が 変わることで 最低6つもの 変化を覚えなくてはいけないのです。そういう意味での英語は もっと 単純明快で これだけ 多く話されるのが もっともな気がします。電話が鳴ると 留守電に 切り替えたくなる私。 こんなことではいけない!!今日は ちょっと試しに 誰かに電話でもしてみるかな・・・


行きつけの Cafe
7.Mars. 2003
   Chouchou パリ症候群寸前!!
今日は 午前中の クラスでは 受身の表現という テーマで 授業が進みました。先生が クラスの中で ”一度皆さんの 母国語の紐を解き 勉強しなおすことも 今後このフランス語を 学んでいくのには ためになるかもしれません” と 言われました。 そういえば 日本語を習いに行ったことはないし、細かい言い回しが 語学を学ぶ人たちにとって どういう分類で そういう方向で とらえ 説明されているのかは 全く知らないですから、一度見てみたいと思います。生徒の中に よく 自分の国の言葉には そういう文法はありませんと言い切る人がいて 実際は 使われているのに 本人に自覚がないということが 結構あるのだそうです。一度先生は ご自分が スペイン語の勉強をしているときに フランス語の生徒のスペイン人の一人にそういう人がいて そういうものなんだなと あらためて思われたそうです。なんでも思い込みは いけないのですね。日本語の場合を考えると たとえば 今日の 受身の表現は 丁寧語の 言い回しと 同じだったりすることが あるみたいに これを 日本語を知らない人に 説明するのは 難しいことです。たとえば ”言われた” と 言っただけでは 誰かがそう おっしゃたのか 誰かに言われたのかは 理解できません。まぁ こんな風に 先生も 簡単な質問ほど 困るみたいです。クラスが始まって 日数的に ちょうど1ヶ月。クラスの雰囲気は チームワークが 感じられるようになってきて 先生との やり取りも 家族的な雰囲気で そういいう意味での 緊張感が 和らいで みんなでがんばろうぜ!と 盛り上げたり なだめたり ときには あんた!しゃべりすぎ!なんていっても 後に いやなものが残らず 適当に どこかで 本音も出して 生きた勉強と言う気がします。学校の全体のクラスのなかでも 私達のクラスが 一番 年齢層が高く 国籍の種類が 多いだけではなく ある程度の人生経験や 職種も 多彩なので 先生も それを 楽しんでくださっているのが わかります。むずかしいことを勉強した後には 手の指を どう使って 数を数えるかを それぞれの 国の方法で やってみて みんなで真似したり ジェスチャーの 違いで 経験した失敗談、ちょっとした 小話 とか みんな ネタがたくさん持っているので それも面白い 息抜きです。 でも今日の Topicsの タイトル ちょっと 深刻。  どうしてかというと 午後のクラスで 私は がっくり疲れ果てて 逃げ出したくなってしまったのです。ことは 私は学校に通いい始めた時に戻るのですが 他の人たちより 何日か遅れて合流したので ちょうど私のいないときに 先生からの 説明で クラスをグループ分けして 研究発表を することが 大きな課題として与えられていて その詳しい説明のときにいなかった私には 今 ひとつ理解できていないところで話がすすんでいるのです。私のグループは 最終の 4月はじめなので まだ余裕があるのですが 今日は その研究発表の 第1日でした。今日のグループのテーマは Logement Publique フランスの住宅事情 とでも しておきましょうか。どのグループも テーマに添って 軽く 歴史上の流れを調べ どういう構成で成り立ち そして現在 どういう問題が起きているかなど を 発表していきます。で 私の落ち込んだ原因 その1. 発表する人の 言葉のなまりが きつく フランス語には思えず 何を言っているのか さっぱりわからないにもかかわらず まわりは 理解できているようなところ。実際に 質疑応答をしているというのは ある程度の理解が出来ているというベースが 成り立っている話で 私は 聞きなれない スペイン語のようなフランス語の 聞き取れた数少ない単語を 必死でつないで それらを書き取るので 精一杯。原因 その2. クラスの ほとんどの人が この住宅問題で 実際に 問題や 疑問を抱えていることもあって すでに説明されていることの おおよその 事情を知っていると いう差。私は 幸か不幸か 主人の 住んでいるところに 移り住んだので いくつかの簡単なことしか知らず フランス事情というものには ほとんど 知識のないこと。日本で 一人住まいをしてたときも恥ずかしながら それほど いろんなことを知っていたわけではないし 住宅事情といっても フランスほど 複雑では ないような気がします。それほど 日本で 日本人が 生活をすることに関しては 複雑さはなく 言い方を変えると いろんな補助金のようなシステムが 少ないのかもしれません。何しろ フランスという国では 毎年毎年 いろんな変更が 多く 情報を得ておかないと とんでもない目に合うというケースが 多いのではないでしょうか。この学校に限らす 普段の生活で 政治の話 世界情勢の話題が 必ず 出てくるのと 有名人のシスキャンダル記事や 流行の話 食べ物の話題のあふれ その横で 少し戦争の話題が 加わる日本とは かなり差があり ここにいると いろんなことを知らない自分が 情けなくなってしまうのです。 踊りのことなら わかるんだけどなぁ〜と 天と地の差を感じてしまったとい言うわけです。ほんと情けないけど 遅いということはないなら 今からでも 勉強するしかないんだと思います。仕方ないですね ここは日本じゃないですから・・でも 帰りに 仲良しの マリオラと話したら なまりのある発音で 長文を読まれると さっぱりわからないことに関しては、私と同意見だったので 私だけではなさそうだったので 2人で苦笑いをしました。でも私達も きっと 同じように 思われるのかもしれないねと また2人で 大きくため息をついてしまいました。やれやれ それでも 今日で 今週の授業は おしまい。せめてもの慰め・・・ か?・・ 明日 あさって うんと 羽根伸ばすぞーー” 
”写真ーー 学校の帰り道 うちのアパルトマン近くで 撮影。 春を感じさせる青い空に 鶯の声が していました。

パリ症候群の 意味がわからない人は Petite Histore その34 見て下さいね


家のそばを 歩いているときに 見上げた青空

歩道のあちこちにある マンホールの蓋 
9.Mars. 2003
   Chouchou Mamanに 電話 Allo? Bonjour!
せっかく 学校で 電話のかけ方まで習ってるんだから 実践しなくちゃ!!ということで ちょうど 主人が 家のサロンで 夜に 親しい友人と チェスを始めたので この間に 主人の お母さんに電話することにしました。めったに電話を私からすることはなかったので これを機会に ときどき話をするように したいなと 思っています。そばにいて 顔を見て話すのは 気も楽ですが 電話となると如実に レベルが わかってしまうものです。テレビを 見ていたらしいママンは(私は こう呼んでいます)まぁ  どうしたの?と第一声! 別に用事ではないのだけど 学校で習ってるので 練習にかけて みたことを言うと それはいいこと! と喜んで 話を始めました。相談事があるわけではなく 学校のようすや 家のことなどを簡単に話すつもりが なかなか それが軽い乗りで 伝わらなかったのか いちいち それはどうしたらいいかしら?何とかしなくっちゃ! と ママンは 私の話をさらに 膨らましてしまうので 話しているうちに そんな 大げさなことではないんだけどと 思っても 私の語学力では 手遅れ。 結局 心配させてしまったみたいです。クラスの内容が すごく私には むずかしくて 家にもどると もう ぐったりなの というと あんまりむずかしすぎるんだったら 何とかほかのところに変えてもらうとか出来ないの?と返ってくるし、毎日学校にいる時間に 知らない単語を習っても 家で それを記憶して覚えるところにまで 行かないうちに また次の日がきて それに すぐにその単語を使うといっても 日常で使う単語はしれてるから なかなか 実践には結びにくいし 知らない情報が得られることは うれしいけれど せめて半分くらいは 理解できているならいいけど そこまでも 行かない気がするので 常に 追われている気がして 結局 身についているのかは 疑問だというと 今は 理解できてなくても 学ぶというのは こういうものだと思うわよと 言ってくれたり・・・私も なんというか 誰かに思っていることを言って 一度吐き出せば 楽になると言う感覚で 少し甘えたのが まずかったのか ひどく心配させてしまったみたいで 電話が なかなか切れず 苦肉の策で でも ママン ! これは前のこと 今は随分楽になったから 心配しないで! というしかなく やっぱり気持ちをつたえるのはむずかしいなと 思ってしまいました。でも 結局 電話で 30分以上話してたんだから そういう意味では 進歩かもしれない。うん? 甘いか? 失敗恐れてなるものか。 


鳴かない鳥?! 
10.Mars. 2003
   また 1週間が始まった
毎日 何が 起こるにせよ 朝起きたときに 天気がいいのは なんとなく縁起がいい気がする。今日は そんないい天気。天気予報では 日中18℃ を予想していたが もう少し高い気がした。今日は午前中だけというのもあってか 気持ちにも 余裕が 感じられる。まず 学校に着くと みんなと挨拶を交わして どんな週末を過ごしたかを 習いたての 文法も交えて 会話をする。友達同士でも 使い方の むずかしい文法を取り混ぜて 話せると ポイントが高く ブラボー!と ちょっと大げさに 誉めあったりする。休み明けで なかなか頭が回らないので 少し 思い出してきた頃に もう お昼。 今日の授業は これで終わり ということになる。でも今日は 担当の先生の Martine が 一番 間違いが多く ”私は 月曜日が 苦手だ” と 連発。私にでもわかる間違いを 何度も されて みんなに 指摘されまくっていた。逆に 生徒の私達にとっては 先生でも こんな間違い起こすんだと 思うと 気が楽になったりするもんです。言い訳はともかく 今日の授業は 先生の質問にも すぐに答えられたし 私にしては なかなかよい滑り出しだったようなきがします。今日の 内容は 代名詞の 使い方 ”そこの あれ 取って!”のような 文章の表現の仕方でした。 話は変わって 明日から うちの主人は バルセロナに 5日間の予定で 出かけるので 家のことも 少し手が抜けそうなので 少し楽かな?と思います。いないと困ることも たくさんあるのですが たまに 距離をおくのは いいことですよね。そのことを マリオラに言うと いいわねぇ 自分の時間を 有効に使うといいわね といってくれた。家族と一緒に生活をしながら この学校のスケジュールを こなすのは なかなかたいへんなのです。やっときた 休みの日には たまっている家の用事を 片付けなくてはいけないので  実際には休みにならないのです。ところで 夫は元気で 留守がいい! なんて 言い方 ほかの国にもあるのかな?また誰かに 聞いてみよっと。でも 昨日の私は このホームページの今月の写真を撮るのに 朝市に出かけ ページを編集するのに 時間を使ってしまったので これには言い訳が出来ませんね。 現在 のところ ホームページを更新するのが 私の 一番の気分転換になっているようです。 


 透き通る 若葉の緑 みんな一緒に はーるだよ!
枇杷の木に 芽が出てきました
12.Mars. 2003
    それぞれの想い
クラスのみんなとの 話も 話題に事欠くことなく それぞれ環境の違いから 学ぶことも多い。今、緊迫しているイラク戦争の話題でも 日本は どうなの?と 質問されることが 当然としてでてきます。クラスのメンバーの国籍が まるでサミットのように 混ざっているので まるで  私の意見は 日本を代表しているような気がして 答えに 戸惑ってしまいがちです。やっぱりこうしてみると 日本の本当の姿というのは アメリカに見え隠れして はっきりしないという印象がしてします。まぁ この話題は 置いておいて、今日はクラスで ちょっとしたやり取りの とらえ方の違いから 授業が 途切れてしまい 先生も含め 考えさせられる場面が出てきました。いつも 私がここに 書いていますが、同じクラスの中でも 当然 よく理解できている人 そうでない人が出てくるわけですが、今日の授業で 先生の出題された練習問題を 一人づつ回答していくという 場面で たまたま 数字を読むのが苦手な マルガリー が その数字のたくさん入った長い文章にあたってしまい 読みはじめて 数字の部分になるたびに 不安げな顔で 横にいた ルーズに 助けを求めたのです。まわりは 誰しも 授業の内容についていけているわけではないのは 当然のこととして その彼女の 様子を もちろん批判することもなく 逆に 見守っているつもりでした。そして その彼女が 横のルーズに 尋ねるたびに 恥ずかしそうに 尋ねる彼女のしぐさが とっても可愛かったので 緊張している彼女の 気持ちをほぐして あげようと言う気持ちもあり クスクスと どこからともなく聞こえ始め 緊張した空気は 少し緩んだかのように思えました。 それが しばらく続いたときに 横にいた ルーズが 突然 怒り出したのです。みんなのとっている態度は マルガリーにとっては 屈辱以外の何者でもない!! というのです。確かに 考えてみると 彼女の言うことには 一理あると思いました。日常 自分の母国では なんでもなく出来たいたことが フランスという国に移り住み始めたことで、普段の生活の最低の次元のことまで 自分で責任を持って 行動しきれないことに ときには自身をなくしてしまいそうになり わからなくても当然と 開き直って 頭で理解しているつもりでも 思わぬ人の言動に 過敏で 神経質になっているものなのです。私も 今でこそ ましにはなりましたが 以前は よくあり そのたびに 言い返したいと思っても 限界があるので あきらめるしかないということがよくありました。逆に 今に見ておれ! という 気持ちにさせてくれるときもあるのですが そういうときばかりではありません。私から見ると マルガリーは とても 控えめで 感受性の豊かなタイプで クラスでも 誰かひとりでいたりすると すぐに 元気〜? 声をかけて まわってるようなタイプなのです。そういう彼女を見て 私は 実は 彼女は 自分も人に そうしてもらいたいのではないかなと思ったことがありました。人のすることって だいたいそんなものではないかと思うのですが。マリガリーをかばって みんなに楯突いた ルーズの態度に 彼女は 今にも泣きそうに涙をためています。もしも まわりのとった態度が 彼女を傷つけてしまったのなら 気をつけないといけないと思う反面、みんなそれぞれ この壁は 自分で乗り越えるしかないんだという気持ちが 私には して複雑です。人間的に 人を見下げているようなことは していないつもりでも 必死で生きている人にとっては なんでもない人の態度が 優越感に浸って 人を 威圧しているように感じさせているものかもしれません。自分が 本当に ちっぽけで 何の価値もなく感じてしまったりするのも 若い時期ならともかく 結構な歳になってからのことですから それ以上なの かもしれません。怒りをぶつけた彼女に対して まわりは そんなつもりは全くなく 逆に 見守っているつもりだったといっても ときには そう取れないこともあるということなのです。すると 今度は イクワンが 私は みんながクスクス私のことを 笑っていたりすることを知っているけれど、そこで とまっていても 何も変わらないと 思うようになってから ほんの何秒間かは 辛いけど 忘れるようにしてると 話しました。みんな話さないけれど それぞれに感じているのですね。最終的には 当の本人 マルガリーは自分をかばってくれた ルーズに対しても、そして周りの人が 決して 数字が読めないことに対して笑ったのではなく 気持ちをほぐそうとしてくれていたことにも 申し訳なく 思ってしまったみたいで かわいそうなことをしてしまいました。でも 私は こういうことを 表面に出したことによって お互いに 認識できたことが よかったと思いました。やっぱり努力して 言葉を話せるようになること いろんな意味で強くなくては いけないことを 感じました。そうして こんなことのあった 授業の後の 休憩の時間 今度は さっきの会話で 発言した イクワンが クラスの一人と 話しこんでいます。さっきの話の 展開から 聞いていると 今 彼女は 自分の家族のことで 本当は 学校どころではないようです。自分の娘が 少し厄介な 病気にかかり、どこの病院に行っても 適当に扱われ あげくの果てに 処方箋を貰って試しても ひどくなる一方で 子供が 病気で苦しんでいると思うと 辛くて眠れないと いうのです。聞くと その病気は 遺伝性のものらしく 結婚前に ご主人から そういうことは聞かされていなかったらしくそういう意味でも 辛い立場のようでした。昨日も 休み時間になると 机で 顔を隠すようにして寝ている彼女を見ていたので 私はよほど疲れているんだなと 思っていました。一時のことですが 彼女は こらえていた涙を 流して たまっていたものを吐き出したかのようでした。きっと家でも 泣くこともできずにいたのではないかと思いました。それで 解決することではないけれど 話を聞いていた 何人かから 病院や 相談にのってくれるところなどの話が 出てきて みんなで 何とか 彼女を勇気づけようと次の授業の始まるまで 話をしました。今日感じたのは 人には 性格の 強い弱いがあるなということ。そして 理解しあうというのは 戦いであり 思いやりなのだなということ。


先週買った文法のテキスト すぐれものです 
13.Mars. 2003
   教育とは?
フランスには 移民として在住している人たちがたくさん住んでいる。このことだけとっても 日本とは随分違いますね。最近 同じ学校で 新しいクラスが始まったらしく 若い人たちの姿が 多く見られるようになりました。活気があるといい方もできますが これが なかなか 扱いがたいへんなようで 先生達は いつもピリピリしています。見たところ18歳くらいから 22,3歳くらいといった年齢のようですが 彼らは当然 フランスで生まれたわけではなく アフリカから来ている人がほとんどのようです。学校には 読み書き 簡単な計算を 学ぶ レベルになっているようです。学校側が 毎日 必要事項を 壁に 貼り出している黒板も 字が読めないので すでにここで いろいろと問題が 起こります。彼らには 私用と 公の区別が 付かないようで 平気で 私達のクラスにも ちょっかいを出したり 予想の付かない行動をするので 驚かされることが たびたびです。先生達が 一番手をやいているのは 彼らの モラルというレベルでの 意識にかけていることを どのようにして 伝え自覚させることだそうです。若いうちに 人間関係に 常に不信感を持ち 素直に 受け取ることが出来なくなっているとしたら これは本当にむずかしいことだと思います。生活水準を 理由にはしたくないけれど そのことが 及ぼす影響というものは やはり深刻なものがあります。今日 クラスで 習った フランスのことわざにも 人は誰しも 自分よりも下の人間が 必要だ という意味のものがあって どこかで それと 重なる気がしました。


マロニエの木に 芽が出てきましたよ
14.Mars. 2003
   研究発表 あの続き・・・
今日は 先週 私が 落ち込んだ 研究発表の続き。 夕べ わからないなりに 先週書き取った説明のところを もう一度 確認していたのが 幸いし、それに今日は 少し 反復した説明も してくれたので 随分 理解するのが楽になっていた。あきらめてはいけない ということですね。このグループ発表は 全部でテーマが5つあり 毎週金曜日に グループごとに発表していくことになっています。各グループは3人で 構成されています。各テーマごとに 発表が 終わった時点で 彼らの用意した 10題の 質問に 答えなくてはいけません。それもいっさいの書き取ったノートも辞書も 使えません。これは先生の アイデアで こうでもしないと 人の発表しているときに みんな 眠りそうだからだそうです。これは ごもっともです。さすがー 先生! ちゃんとお見通しです。お陰で みんな 眠れないどころか いつも以上の 集中力で 発言し 聞いています。問題の解答用紙は 他の人同士で交換して 採点します。私は 10問中 9問 正解! 残念なのは その1問も 読み違えていたので 本当なら 全問正解というところでしたが まぁそれでも 一安心でした。 といっても ここでの授業の内容から 成績をつけるということはしていないみたいだし、落第もなさそうなので もう少し気楽に考えてもよさそうだなと 思い始めています。甘いかな? 手を抜き過ぎないように 気をつけよう!


こうして ここで今年の桜を紹介できるのは とてもうれしい気がします。日当たりの良し悪しで ずいぶん つぼみの膨らみ具合が 違います。ここは とても 日当たりのよいところなので 真っ先に 咲きました。青い青い空に やさしい色が 溶け込んでいます。
17.Mars. 2003
   パソコンの時間
今日は 初めての パソコンのクラス 特別教室には 約20台のパソコンがあり いつも 使えるように 設定されています。とはいっても 以前あったような 盗難事件が 起こりやすいので 厳重な監視のもとに 私達に開放されています。今日は EXCEL を使った 操作の仕方で 簡単な 表計算と それらを いろんなグラフに書き換えると言う作業を 勉強しました。私は 家にこうしてパソコンがあるお陰で かなりほか 人に比べると なれているので 先生の説明を聞いて フランス語では こう 言うんだ・・と パソコン用語の フランス語の 勉強という感じでした。全くパソコンとは無縁の人もいるので いきなり いろいろ言われても むずかしいだろうなと 思いましたが、みんな適当に ペチャクチャ しゃべりながら いろんな色をつけたりして お絵かき教室のようでした。すでに 使い慣れている人は 少し他の人を手伝って みんなで 教えあいながら 先生の出される課題をこなしていきました。増えていく計算は楽しいけど 減ってくのは 気が進まないなぁ〜 。今日の授業は 私には 少し退屈な クラスでしたが お昼で 授業は終了。 家に戻って ゆっくり お昼を食べました。さあ 明日に備えて 復習でも しようかな。


::::写真の説明::::
おとといの土曜日に、上手くはないけど 先生達の名前に 漢字を当てはめて 筆で書いてみました。ちょっと発音に 無理のあるものあるけれど、とても喜んで 貰ってくださいました。上左が Martine 右が Catherine
下のは Caroline 始めは 最後のリンのところ 鈴 という字を当てはめていたのですが この 鈴 という意味の単語は フランス語では 人を少し馬鹿にしたときに使うらしく 急きょ変更しました。ひとつづつ 漢字の意味も添えました。



18.Mars. 2003
   いち・に・さん
今日は 午後のクラスで 数字の書き方というのを 習いました。フランス語での 数の数え方は かなり特殊なので 慣れるには 少し時間を要するのです。たとえば 70 という数字は 60プラス10 80は 20 かける 4。 90に至っては20 かける4 プラス10などという 不思議な数え方なのです。それに 小切手を使う習慣があるので これらの数字を ちゃんとアルファベットで かけなくてはならないので ここで生活をするのならば 必須条件になるわけです。日本でも 旧仮名遣いで書く 漢字の数字があるのと 同じことですが、この組み合わせが 複雑なだけ 神経も使うことになります。慣れるしかない ということですね。がんばりまーす!


書いている文章とは 全く関係ない これは パリの あちこちに設置されている空き瓶専用の ゴミ箱です。
19.Mars. 2003
   Chouchou 日本の文化 伝える!
タイトルに書いたほどたいしたことではないのだけど 昨日のクラスで フランスの年中行事というのがテーマで いろいろと 教わり、先生から 明日は 皆さんの国での 慣習や めずらしいものなどを紹介してくださいね と 言われていたので 夕べ 家で いろいろ調べてみて 何がいいかなと 迷ったあげく 私は フランスにはない習慣として 大晦日のことを 話そうと 思いました。毎日 こうして フランスのことばかり 教わっていると よけいに 日本のことが恋しく感じるものです。私は 日本では大晦日に 年越しそばを食べる習慣があること そして その由来や 除夜の鐘のこと 初詣のことなどを 紹介することにしました。私だけではなく 他の人たちも それぞれ自分の国の話をするときと言うのは どことなしに 誇らしげで 少しいつもと 表情が違う気がするのが 印象的でした。建国記念日というのも もちろんどこの国にもあるわけですが 植民地から 独立したという説明が 思った以上にあり その複雑な国の情勢というのが また 浮き彫りになるような気がしました。いつのまにかこうして みんなと 毎日一緒に過ごしていると 国籍も 年齢も なく接しているので あらためて 私の知らない国で 生まれ育ったクラスメイト達の また違う顔を見て 今過ごしている時間の貴重さを感じました。 


あたらしい シャンパンの 広告
なんとなくおしゃれ
上手い具合に ガラス越しに周りの様子が 見えます
20.Mars. 2003
    Chouchou フランス語で 因数分解に挑戦!
いやいや まいったなぁ〜 今日は 数学の時間だった。フランス語の 文法用語を 頭に入れるのも たいへんだったけれど ちょっと慣れたな と思っていたら それにも負けないくらいの量の 新しい単語が続出! 鼻血が出そう! 分数の読み方や 分子分母 etc・・ いったいフランス人の頭は どうなっているのだろうと思うような回答の方法にも 驚かされる。答えが一緒だから いいじゃないと 言いたいところだが 言葉を理解するためには この方法で やらねば 全く意味がなくなってしまうので 仕方ない。でも でも ちょっとだけ なんだか懐かしくて 正直言うと 楽しかった。分数の 掛け算や 因数分解。あったなぁ〜 こんなの。 みんなの 反応も いろいろで 意見の交換をすると 国ごとに 方法が少し違っていたりして それもまた 興味深い。先生も 数字だけでなく 数字を 買い物に置き換えて どうしてやりくりすればよいかという 例をあげてくれるので 臨場感がでてくる。面白かったのが 割引ということで 実際に払う金額を計算する時の説明で フランス語では この割引にも 3種類の単語があり区別されていて 一括現金払いのケースで 値引きしてくれる金額、キズあり商品として 値引いてくれる商品の 値引き額 常連客 もしくは 大量に購入した場合の 値引き額という ものが存在するのです。便利といえば便利ですが 覚えるのは たいへん。でも ここでも数学は 生活に結びついたことを 中心に教えてくれるので この因数分解も 昔 学校で習ったときには 大して役に立っているようには思えなかったけど これなら 料理のレシピの分量を増やすときに使えそうだなとかいうふうに 身近に感じるし やる気になってきます。終わってみると かなりエキサイトな授業で 頭も いつもとは違うところを使った感じで かなり疲れました。 今週は 明日1日で もうおしまい。時間のたつのがだんだん早く感じる。明日もがんばろう!


これは 映画の半券
いったい何本の映画を見たんだろう?
21.Mars. 2003
    みんなで合唱 Bon  Anniversaire!  Monsieur Raphael !
今日は1週間の最終日で 研究発表の日です。先生が 教室に入ってきたときに 確か今日先生の誕生日だったことを 私は思い出し そばにいた人に そう言ったのがきっかけで どこからともなく ハッピバースデーを 歌い始めました。先生は 以前なにかの話の折に チョコッと自分の誕生日のことを話されたのをなぜか私は覚えていたのです。で、先生も 突然の 私達の お祝いの歌に 照れながらも とてもうれしそうにしていました。歌い終わると 一人が ” 先生! 今日は こんなに大切な日、勉強は 今日は少し置いておいて 近くの公園にでも言って 楽しく過ごすというのは どう? なんて ダメなのはわかりながらも 交渉。みんなも それがいいそれがいい!と 雰囲気を盛り上げましたが そうできればいいんだけど 無理だよ!!と 困った様子。でもそのときの 先生の態度は 本当に 心からやさしく 人のよさの出ている対応で 私達もこれ以上先生を困らせてはいけないなというので そこで この話は 終わり 授業へと 戻りました。今日のテーマは フランス国籍 です。ヨーロッパの中でも 真っ先に 外国人を受け入れることを 前向きに捉えてきたフランスでの このテーマは 想像以上に 複雑で 説明を聞いていると 柱になる法律はあるものの 例外が 山ほどあって、結局、どんな状況の人も あたって砕けろ! ということになるのではないかという 感想を持ちました。 ちなみに 私は 日本国籍のまま結婚していることになっています。国籍を 変えることは可能ですが、ほとんどの日本人は そうしているようです。でも だんだん フランス人日本人カップルの 子供達も大きくなってきて 少しずつ こういうことにも 変化が 起こってくるのだと思います。ぺらぺらの大阪弁を フランス人の顔で 話されると やっぱり 驚いてしまいます。でも こうなっていくんですね。フランスのテレビの クイズ番組にも 日本人が 出るようになったら かなり変わってきたと 思えるでしょうね。


うちの主人は 友達と よくチェスをします。
この間私は ゆっくりできるので おいしいのです。
24.Mars. 2003
   夫婦揃って 健康診断 の日
今日は いつもと同じく お昼までの日。今日の先生は 先週の金曜日が誕生日だった Raphael 先生。彼の担当は 総括というクラスになっていて、今まで習ったところまでで わからないことを質問し もう一度 確認すると言う内容になっていますが、今日は 彼がいろいろと私達のクラスの進み具合を確認したところ、私達がこなさなければいけないとされているカリキュラムに不足している部分、というか このクラスが終わる予定の日までに それらを 全部消化することができるかと言う見通しで どうしても やらなくてはいけないところを 今日は やることになりました。今日の 内容は 原因と結果という二つの要素をつなぐために 使われる言葉を中心に 同じ文章を いく通りにも言い替えることができるという 練習です。文章に位置を変えるだけですむというものではなく、表現する角度によっては 言い換えなくてはならないものなどがでてくるので かなり高度な 内容です。私は 恥ずかしいけれど 拒否反応が起こっているのか 頭痛がし始めたので 苦痛な時間でした。それでも 何とか 無事今日の授業は終わり、今日の午後は 先日 予約していた 健康診断に 主人と一緒に行くことになっていて 学校まで迎えに来てくれた主人と 一緒に 午後でかけました。目の検査 歯の検査 耳の検査 肺のレントゲン 心電図 身体検査 などなど 迷路のように 診療室を まわり 好奇心旺盛な私にとっては 興味津々の初体験になりました。目の検査のときに 片目をふさいで この文章を読んでくださいといわれ渡された文章が かなり難しく "先生 むずかしいです"と 言いましたが そのあと 見えなくてむずかしいという意味に取られたと思って 見えないのではなく フランス語を勉強中なので 見えるけど読むのがむずかしいですというと、”まぁ そうだったの? フランスに来てどのくらい?” ”だったらこれだけ読めたら 上等上等!”と にっこり笑って フランス語まで誉めていただきました。でも 日本でも こんな文章を 読ませることって ないと思うけどなぁ〜。 でも ちょっと面白かったです。気が付いてみると 以前は 何かことあるごとに 初めての人と話をするときには ドキドキしていましたが 今は 学校に行き始めたお陰か 全くそういうことはなくなっています。これだけでも 大きな効果です。医療用語の専門用語集というのを もって行きましたが 使うこともなく 何とか話せたのでホッとしました。あとは 肝心の検査結果に 問題ないのを願うばかりです。  


今日の気温は 20度を 上まりました。
ミシュカは 陽のあたるところを追いかけて 
ご覧とおり ぐっすりおやすみ
25.Mars. 2003
   パリ殺人事件:::私が 殺した?!
今日の午前中のクラスは 久々に Caroline の担当。相変わらず 口の回転もなめらか あらためて 彼女の 早口に 感心してしまう。そんな 流暢なことをいってる場合じゃない。今日のテーマは なかなか すごいぞ! どうなるかは 明日までお預けの状態なのですが、すごく面白いクラスなので ぜひ紹介したいと思います。多分、フランスの学校では 小さいときからこういう授業が あるんだと思うのですが。
まず先生が 黒板に 書き始めました。 
3月17日の 月曜 クルベル通りで 学生の Pierre Malvel ピエール マルベル が刺し殺されているのが発見された。情報として わかっているのは 彼は 法律を勉強している 大学生で  彼は 同日 友達のエリザと 夜の9時に 会う約束をしていたことになってたことです。

いったい何をするの? 私達・・・・?  さぁl ここから 先生の 説明が 始まりました。これから クラス全員で ドラマを作って それぞれが 与えられた役を 演じ 最終的に 犯人を見つけ出すという ちょっとゲームみたいなことを 試みたいと思いますと 言うと みんな 一瞬 どうなるの?という反応。そんな不安も束の間、先生は まず刑事役 2人 新聞記者 2人 を決めますと 進めていきます。ごく自然な流れとして クラスでも おしゃべりの4人が 立候補し無事に 決まりました。殺されたピエールの 身近な関係というので まず 両親(Madame et Monsieur Malvel)、妹のEmily (名前を本名にする人もいれば こうして 好きな名前を適当につけたり自由です)待ち合わせをしていたピエールの彼女 Elisa 、マリオラ 彼女は Elisaと同い年で Malvel家と 昔は 隣だったこともあって 家族づきあいをしていた仲。殺されたピエールとは 昔恋人同士だったが 今は 幼なじみとしての付き合いだけになっている。サリー 彼女は マリオラ ピエールの共通の友達で 幼なじみ。犯行の起こった夜 唯一の 目撃者となった通行人 チムイ 。配役を増やしていくのも 面白い作業です。次に登場するのは ピエールの通っている大学の カルラ教授 (一番よくしゃべる もう一人のマリオラがこの役になった。ぴったりの役!!) いつも控えめな!!私は 自分から 役に立候補することもなく 最後に残ってしまい、適当な感じで 法律を学んでいるはるみは 同じ大学の学生ということになった。さぁ ここまで決まったところで 刑事役の二人には 教室から出てもらい 別の部屋で どういう風にして この事件を解決してくか それぞれに どのような質問をしていくかを 二人で話し合ってもらうことになりました。2人が出て行った後 私達で この物語を 作り上げたところで 教室を 裁判の場面のように机を並べ替え 質疑応答が 始まるという ちょっとワクワクする展開です。さて 問題は この登場人物を全員を出演させて 物語を 完成しなくてはいけません。始めは 単純に ピエールを はさんでの 女性関係の縺れを 殺人の動機にしようとしたのですが そうすると 全員出演させるのが 難しくなってくるので なにか もう少し 込み入った利害関係が いるということで 散々話し合った結果。出来上がった ストーリーは こうです。 
殺された ピエール そして 元彼女のマリオラ ピエールの妹エミールも 同じ大学で勉強している。 カルラ教授の 授業を受け始めた頃は マリオラは ピエールと恋人同士の仲だった。カルラ教授は ピエールとマリオラの関係も うすうす知っていたが 気にとめることもなく しばらくすると 別れたようで 新しい彼女を付き合っているようなことくらいまでは 知っている様子。マリオラは 今でも ピエールに対して 好意をもっているので エリザには 多少嫉妬を感じているという設定に みんなですることにした。みんなで話を作っていく段階で、教授に 殺人の動機を 作ろうということになって 作った話はこうです。教授は 現在あたらしい本を書き上げようとしていて それを ピエールが 手伝っていて 教授にとっては なくてはならない存在になっていた。教授から このプロジェクトの話を持ちかけられたピエールも始めは 喜んだいたが 徐々に 教授が 自分が有名になりたいばかりに 自分を利用していることを知り 距離をあけ始めたことが 教授の気に触り始めた。このあたりまでは みんなでいい感じじゃない?と 進んだのですが、教授役の 彼女は これだけの理由で 私が 直接彼を殺すのは 単純すぎるし 動機になるものが 不足していると 少々 ためらい始める。このあたりまで 聞き役にまわっていた私も もしやと 不安がよごぎったも 束の間、何人かが 同時に 同じことを思いつき、はるみが 殺したことにしたら? どう? どうって? ちょっと待ってよ!・・・あららら・・  私がそんな・・・ でも この話の流れには ちょっと私も 納得。これなら 筋が通るというので 最終的には 教授の下で 勉強している はるみは 個人的な理由で 一年大学を留年しているので 焦りもあり自分の出世のためなら なんでもやるという 野心たっぷりの生徒。そこに目をつけた教授は はるみを利用して 自分の自分の立場を 守ろうとする。てな具合の展開です。
刑事役の2人も 準備ができたところで いよいよ 幕が開きます。机を並び替えただけで 雰囲気も 増し 緊張感が漂います。演技派の 恋人役の マルガリは すでに 殺されたショックで すすり泣きの演技・・・(オイオイ!ちょっとやりすぎだよー! 犯人役になってしまった私のほうが 泣きたいよぉー!) 先生の Carolineは 常に 私達の会話を聞き 文法の間違いや 言い回しを いろいろとアドバイスしてくれながら みんなの発言を書き取っています。もちろん 新聞記者の2人も すべての やり取りを書き取っていきます。事情聴取が始まりました。刑事役に立候補した オードリーは コロンボ刑事と 名乗っています。”では 始めます。悲しみのなか  すみませんが エリザさん あなたは 確か この日 彼と合う約束をしていましたよね。”・・・・こんな感じで始まりました。私は 殺した 犯人になっているので なんだか落ち着きません。でも ここも演技しなくてはなりません。そして 今日の授業は 私一人を残したほかの人への質問が 終わったところで 幸か不幸か 時間になってしまいました。この続きは 明日に 続くことになりました。どうなるのかな?? 今日は なんだか眠れないような・・・
これ 全部 フランス語なんだよなぁ〜 恐いよぉー





刑事 コロンボ(オードリー)
刑事デリック(イクワン)
新聞記者(エレナ)
新聞記者(リネット)
ピエールの両親:::Mme et Mr Malvel
ピエールの妹::::Emily
エリサ:::ピエールの現在の彼女
マリオラ:::幼なじみで 元 ピエールの彼女
サリー:::マリオラ ピエールの共通の友達で幼なじみ
チムイ:::目撃者となった 
カルラ教授:::ピエールの大学の教授
はるみ:::ピエールの通っている大学で 同じ法律を学んでいる学生







今日偶然撮ったお仕事中のおまわりさん
自転車といえば ツールドフランスということで パリの警官は やっぱり違うね?! 
26.Mars. 2003
   Chouchou 殺人犯で 捕まる!!!
今日は いきなり 昨日の 刑事ドラマの 事情聴取の場面から 授業が始まりました。夕べ、私は 旦那様につきあってもらって このリハーサルを しました。こういうのが好きな 主人は 一緒に盛り上がってくれたので お陰で ずいぶん気持ちは落ち着いていました。刑事役の二人は 夕べは なかなか寝付けなかったらしく 少し疲れた顔をしています。かわいそうに・・・ 昨日の授業では 私一人を残して 事情聴取が 済んでいたので まず 私への質問からということで 始まりました。事件の起きた時間に あなたは何をしていましたか?亡くなった ピエールとは どんな関係ですかという 質問から始まりました。私は 勉強熱心な学生で 今は 今度の試験に よい結果を出せるように ひたすら教授について勉強をしていると 強調し、最後まで 教授から 試験の内容を教えるのと交換に ピエールを 脅すことを 承諾し 実行した事実は 隠し通しました。みんなで 作り上げたストーリーでは はるみは 教授との交換条件に従い 彼に会いに出かけ 話始めたけれど 興奮し始めたピエールの方から 自分に殴りかかってきて、恐くなり 持っていたはさみで 彼を たたくつもりが 運悪く 殺してしまうことになったこと 自分は 教授から 強要され どうしても断れなかったということになっていました。実際 演技をし始めると みんなでしっかりと打ち合わせができていなかったことが、 裏目に出てきて みんなで四苦八苦です。少しづつみんなも それぞれの キャラクターを 強調していき 何とか盛り上げ 最終的には 私は嘘をつきとおしたまま 刑事に カルラ教授 と はるみが 共犯で あることを 突き止められ 私は 25年の刑 教授は 10年ということになり 無事 話は終了ということになりました。とってもたいへんだったけど みんなで 作り上げたという 達成感があり あとになると 面白かったね とか 反省も たくさんでてきました。先生の 意図は この例は 極端かもしれないけれど 皆さんが 出会うであろういろんな場面で 発言することが 必要になったときに まわりを把握していなければならないことや たくさんの要素が この中には含まれているので いい経験になったでしょうということでした。言われるとおり 私も 昨日から この役の人物を 自分なりに作り上げて フランス語の文章を作るというより とっさに自分はどういう反応で 答えるのかを試すつもりで いたので とてもいい経験でした。このあと 先生は 昨日から始まった 私達の作ったドラマのなかでの 会話の一部始終を 生徒一人づつに分けて チェックし 文法的な間違いや それぞれにある 文章の組み立て方の癖を 指摘して 直してくださいました。これは とてもためになりました。なぜかというと かなり 普段の無意識に近い時の 会話なので みんな 見に覚えのある間違いばかりなのです。たいへんだったけど 収穫が それぞれあり 好評の クラスでした。またやってみたいなと思うような 内容でした。 刑事役の二人は ほんとうに たいへんでしたが よく がんばりました。
ここ2,3日の気温は とってもよく バスの中では 汗をかくくらいです。この1週間で いっぺんに 景色が 新緑に変わりました。日本も そろそろ 桜前線が 南の方から のぼってくる頃ですね。日本には この時期には 桜の咲き具合を 天気予報で するのだというと へぇ〜と 言われました。やっぱり桜は 特別ですものね。

さくら さくら 弥生の空は 見渡す限り・・・・  一人で口ずさんでいます。


学校そばの お惣菜屋さん
ここは 中華専門の店、改装して小奇麗になっています。飲茶みたいに 少しづつでも 詰めてくれます。
店内でも食べられるので 人気。

パリで サンドイッチといえば これ! パリッと焼きあがったバゲットに いろんな 具が詰まってます。上のお店のお隣りです。これは大胆に ほおばって 食べるのが 一番おいしいのです。私達の学校のそばには 大学もあるので お昼には あちこちいっぱいの人になります
27.Mars. 2003
   ニュースキャスター に 挑戦!
先週から なんだかクラスのヴァリエーションが ずいぶん 多彩になってきたような気がします。今日は LABOと 名づけられたし聴覚室で ビデオの画面を 見ながら まずは ニュースの 一場面を 把握し 今度は 自分の言葉に 言い換えて 何も見ないで 話すという また 超難題に 挑戦!!です。 始めは 画面の 音声を 消して イメージだけを 見たところで 想像できる範囲のことを みんなで 書き出して いきます。これも 何度も繰り返して 注意深く 情報を集めます。次に アナウンサーの 声を 聞き取り まずは 聞き取れた単語でもフレーズでも なんでも言いから 取り出して さっきのイメージと 組み合わせていきます。と言っても アナウンサーの 言葉は かなり早く 聞き取るのが 苦しく ほとんどクロスワードをしているような 聞き取れない空間が たくさん出てきます。次は 文章を短く区切って さらに聞き取っていきます。だいたいの情報が 集まったところで 情報の整理です。いつ どこで 何が起こり 現在わかっていること 先の見通しと 必要事項を チェックし 聞きなれない単語や 同じ意味で 違う簡単な表現などの ヴァリエーションを 先生から教わります。そして 最終的に 2人で組んで 自分達の 言葉で 内容を要約します。次は ヘッドホンをつけて 自分の まとめた情報を 読みます。ここで また一人づつ 発音の訂正、文章の組み立てをチェックしてもらいます。この時点で 先生には 自分のまとめた 文章の用紙は 取りあげられてしまいます。最後は 一人で マイクに向かってはなすことになります。今日は これだけの内容を 丸々一日 かけて 何とか終わった感じです。知らない単語が 多くて 私は 文章を まる覚えしなくては いけない感じでしたが、画面の動きや 状況を思い浮かべて 何度か詰まりながらですが OK! を貰いました。ふ〜〜! つかれたぁ〜 でもこれで テレビのニュースも 身近になってくれると やった価値ありということになるのですが どうでしょう? 明日は もう 金曜日 1週間が もう終わってしまう。来週は 4月になるんだ!日本なら ピカピカの1年生ってとこかな?


2月の始め 
学校に通い始めたときのことを思うと 
朝は明るくなるのがうんと早くなり 
マロニエの木にも かわいい芽が
たくさん顔を出すようになってきました。
見えるかな?
28.Mars. 2003
   みんな もっと深呼吸しよう 
朝の通学時間には さまざまな人の様子を 見ることができます。今日は そんな中で 最近よく 同じバスに乗り合わす 親子連れの様子を書いてみようと思います。この間 たまたま 横に居合わせたので 会話が 耳に入ってきました。ご夫婦と子供達で乗ってくるときもあればお母さんと子供達だけのときもあります。今のところ 子供は 全部で 4人いそうです。それで このおかあさんは 目に障害があり ものが見えません。子供達は みんな普通で ごくあたりまえのように 助け合っているのが 自然です。この間 この子供の中で 一番年上の10歳くらいの女の子が お母さんに 学校で 習っている図形の問題を説明し どうしたらいいの?と聞いているのが聞こえてきました。あらためて 目が見えるということが どれほど作業を 楽にしているかが よくわかりました。女の子は 質問のまえに まず 問題を説明しなくては いけません。どうも 台形の形を説明しているようです。向かい合っている辺の長さの対比がいくらで うんぬん・・ それから面積が どうこうと 続きます。私は 彼女が 落ち着いて お母さんにわかるように 段取りよく説明しているフランス語に 聞き惚れ 感心してしまいました。その間も お母さんは 気を抜かずに 突込みを入れています。それも その言い方だと いろんな風に 取れるわよ。もう少し詳しく言える? と こんな風です。どうして 私はこの光景が 印象に残っているのかというと 教える 習うという関係のなかで 相手を思いやりながらも 理解しあうという 基本的なことを  幼いときから 身につけることができているという事実を 目の当たりにしたからです。 (私も教える仕事をしていたせいか どうしても こういうことが 気になってしまって 前にも同じようなことを書いたような気がするのですが) 家族という 一番小さな単位の 集団の中で そういうことを学ぶのは お互いに 根気のいることですから、簡単には いきません。ここフランスの義務教育では 基本的に 躾と 教育というのは 区別されているので 学校は 躾という部分には かかわらないということになっているそうです。その理由には やや日本よりも複雑な 状況があります。 民族や 宗教的な違いが 多く見られるので その部分にかかわってくる問題まで学校側は かかわれないというのが理由です。 今の日本では なんでも 学校の先生任せという傾向にあるみたいですが こちらでは 違うようです。もちろん フランスの家族が この例のように みんなこうだという訳ではないので、どこにいても いろんな人がいると言うことには違いは なさそうですが・・・・ 私は授業中にもかかわらず さっきの あの子 問題できたかな?・・と ふと 思い出してしまいました。 


うちの近くで 引越し作業が昨日から続いています。上の階で エレベーターの 状況によっては このように はしごをかけて 自動で 荷物を 運び上げていきます。引越ししてきた方は よほど 物持ちと見えて 時間がかかっています。大型トラックが何台も止まり そばの 通りは 大渋滞になっています。
雨が降らなかっただけでも 幸い。
31.Mars. 2003
   ココ シャネル という人
どうか 今日の朝の 授業が Caroline でないようにと 心ひそかに願っていたのは 私だけではありませんでした。学校に着くと 来ていた クラスメイトは うれしそうに 今日は Martine だよ!!!!! と いってくれる。Caroline には申し訳ないけれど 確かに 休み明けの ボーっとした 頭に 彼女の早口と 情報の多さには ついていけないものがある。それに比べて Martineは 私達に劣らず ホワーッとしていて 月曜日だから 焦らず ゆっくりいきましょうと 言ってくれるので 気持ちが楽なのです。で今日初めの 授業は 配られた Gabrielle Chanel ココ シャネルとして知られる彼女の 人生を短くまとめた 文章を 読むことから始まりました。彼女は1883年に生まれ 88歳で 1971に亡くなりました。このテキストに書かれている文書とは別に 付け加えて話してくださる先生の話が とても興味深く 今まで私の思っていいた彼女のイメージに また 奥行きができたような気がします。貧しい家庭に育った(らしい)彼女の過去は 本人自身も ひた隠しにしてため かなり謎めいていて 今までも そのあたりを 探って 何人もの人が 本を書いているそうです。 若い頃 ドービルとい高級避暑地で有名な フランス北の 海岸沿いの街で 愛人 娼婦として 何人かの 人とかかわりを持った際に 手に入れた財産を 密かに ためていた彼女は まず この街で 帽子作りを始め 小さな店を構えます。彼女 28歳のときです。かなり長身の細身で 美人だった彼女は すべてに関して多くを語る人では なかったようですが知性的な魅力のある人だったようです。ドービルという お金持ちの集まる土地柄 常に 彼女の交際相手も お金持ちが多く 気が付くと お金だけではなく 宝石 土地など かなりの財産を 物にしていたようです。その翌年には 洋装店を始めます。そのさらに2年後 約4年に渡り 戦争のため 休業します。その翌年 今度は Parisに お店を持ちます。なぜ 香水のシャネルの5番 という名前がついたか 知っていますか?これも 先生が教えてくださった エピソードですが、彼女が 香水の調合を いくつかの 条件とともに 頼んだ際に 7種類 試作したそうです。1番から4番目までは 彼女は 全く気に入らなかったのが この5番目のものが 気に入り そのまま 名前になったそうです。6,7番も 最終的には 残されたそうです。彼女が創作活動を続ける中 貢献した 事というのは その時代にすると かなり斬新なことのようでした。それまでの 女性の服というのは コルセットで締め付け 長くすそをひきずり お世辞にも動きやすいものではなかったものを 彼女は 女性の ごく普通の体のラインを おもてに出すということを 提案したそうです。それが今もなお 彼女のスタイルの原型になっている モデルになります。そして 今やあたりまえになっている ツイードという素材も 彼女が 関係していたらしい イギリス人からの影響で フランスに 初めて 紹介されることになったそうです。そして その時代 女性が仕事を持ち ましてや 自分の(女性の)名前で 店を借りると言うこともそれまでは 例がなく 彼女が 初めて とも言われるそうです。それだけ 男性中心社会だったということですね。ですから 女性が 結婚しないで 生活をするなどということは 不可能に近いことだったそうです。 今とは大違いです。ですから 洋服業界だけではなく 社会的な部分でも 彼女が 貢献した部分の影響は かなり大きかったことが伺えます。