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突然通うことになった フランス語の学校
初めて体験する さまざまな出来事に ときには 笑い ときには 考えさせられる日々
私にとっての貴重な体験として ここに 約3ヶ月の 学校生活を 記録したいと思います。


日付順に 並んでいます






05 Fev. 2003
   只今 学生中


こんなに土曜と 日曜が 待ち遠しい生活なんて 今まであったことがない。そのくらい私の生活が 一転した。2月のはじめの午後 電話がリ〜ンと 鳴る。 ちょうど その1週間前 要求していたフランス語のクラスに空きが出来たら 連絡するということになっていました。それで その空きが出来たという連絡 でした。簡単な試験をそのときに受けて 現在の私のフランス語のレベルを チェックされ レベル的に可能なクラスが 2種類ということで 連絡があったのは 短期集中型のきつい方だった。朝9時から 夕方5時というスケジュールに ついていけるかどうかにも 少々 不安を持ちながらも ほかにも 待っている人がいるので 今日あと1時間までに連絡がない場合は 別の方に まわしますと かなりの勢いでした。私は まさに ところてんのように 自分の意志が 固まりきっていないまま押し出された状態で このチャンスを逃すと こんな機会は なかなかないかもしれないという気持ちだけで OKすることにしました。5分しないうちに返事をし その40分後には 事務所に着き 必要書類を渡され 明日朝 9時に 学校に 行き 学校側の手続きをしてくださいといくつかの 書類を渡されました。細かい内容については 直接学校で 聞いてくださいと あっけなくわずか電話があってから1時間半の間に 話は決まってしまいました。 迷っている暇などない 勢いでしたが、人生には こういう勢いが必要な 場合が あるのかもしれないと その日は そのあと あっけにとられて ボーっと過ごしてしまいました。 


今日から 学生


06 Fev. 2003
   こともあろうに・・・


さすがに 夜は 緊張して 寝付けなかった。自分がこれほど小心者だったのかと 驚くほど いろいろ考えてしまい 今思っても情けない自分です。まだ 寝ていた旦那様も記念すべき第一日目ということもあって 眠い目をこすりながら 激励の言葉をかけてくれて 背中をぽーんと 押されて いざ 学校へ・・・  と行くはずが それが そう簡単には行かなかった。いきなり バスのストライキと かち合ってしまった。全く動かないならともかく 掲示板には 不定期と 出ている。この時間にバスを利用することが今までなかったので さらに勝手がわからない。いつも利用しているらしき人たちは その掲示板を見て またか !というような顔をして 徒歩で 目的地にむかっているようす。私も 4つや5つくらいの 駅なら歩くのだけれど 普通の車で走っても 40分かかる距離を歩くわけにいかず、待つことにした。待つこと 30分。(この左の写真は バス待ちのとき取った 記念の一枚 2月6日 朝 8時の Paris)ちゃんと並んでいたのに 扉が開くと あっけなく列は崩れ 順番かまわず 自分の体を 押し付けて乗り込む。わたしは ここでも フランス女性の強さを見せ付けられる。ほんのわずかの間 その光景に圧倒されていた私は 危うく 乗れない羽目に合いそうな きわどい状態になり 彼女達を見習い なんとか 両足を バスの中に押し込めた。日本でも 経験したことのないほどの 満員。とまる駅とまる駅で 時間がかかり 学校に着いたときには すでに 40分も遅刻。なんてこと!! そして まず 学校の 受け付けへ・・・? でもどこが受付で 誰が 学校関係者かもわからない。やたら人が あちこちにいて 何がなんだかわからない。ようやく それらしき女性に クラスを受けにきたことを 告げると ちょっと待っててね と ひとこと。この ”ちょっと待ってて” で今までにたいへんな思いを 何度したかを思い出し 1時間かな? 2時間かな? と開き直り始めた。すると 15分くらいで その人は戻ってきた。前日 預かってきた書類を渡すと 別の用紙を渡され これに必要事項を 書き込んでくださいと別の部屋に連れて行かれた。そこには すでに10人ぐらいの人がいて 会話を聞いていると みんなフランス語は ぺらぺらなので 私とは目的の違う人達だということは すぐにわかった。私は 渡された用紙に書き込みをしようと集中しようとするのだけれど まわりの人たちの 会話が 激しく なかなか集中できずに 書き込むのに 随分時間がかかってしまった。 そして 私は書きながら こんな記述が 読めて 簡単に書けるくらいなら こんなとこに 来てないよ〜! と 心の中で 何度も叫びました。なんとかやっとの思いで書き終えました。実は 私の入る予定のクラスは すでに 始まっていて 4日遅れて 合流することになっていたので 私は 少しでも 遅れをとらないように できるだけ早く そのクラスに いれてもらいたいと 少し焦っていたのです。でも それをよそに 手続きは ゆっくりで 結局 その日は その後 一人の 先生に もう一度 レベルチェックの意味も含めて 面談し 今日は帰っていいですよ といわれてしまった。 なぁ〜んだ。とちょっと拍子抜けの 1日でした。 結局 遅刻しても しなくても 同じ結果だったということなら まっ いいか! と いよいよ明日からは クラスを受けることになるんだと 気分も 新たに  正午前 学校を出て 家に向かいました。


朝の8時は まだ暗い


07 Fev. 2003
   また 遅刻!!
前日に ちょっと拍子抜けした 私でしたが いよいよ今日は クラスに入れるとなると また少し緊張。前日の バスのストライキの 教訓も得  もし 今日も ストが続いているようなら 遠回りだけれど 地下鉄で 行くしかないと 予定よりも 早く 家を出ました。バス停に着くと 残念ながら 昨日と同じ状態。仕方ないので 地下鉄で 行くことにし まずは OPERAに向かい そして 乗り換え。 そして ここで またもや 延々と 待たされてしまい またもや 遅刻になってしまいました。だいたいパリの 地下鉄のホームには 時計などというものは ないのです。あっても 意味がないし 時刻表も 一応は あるみたいだけど ないようなもの思っていたほうが 堅実なようです。 結局 学校に着いて 受けつけで遅刻理由をいい クラスに 入ってよいかを尋ねると もう始まっているので 途中で 入ることは 出来ませんといわれ することもなく 廊下で 次の休憩まで 待たされてしまいました。仕方なく 外から様子を眺めていました。教室は ガラス張りなので 外からは 見えるので 先生が黒板に書いていることを見て だいたいの見当をつけてと 心の準備をしていました。やっときた休憩時間に 担当の先生に 紹介され いよいよ 仲間入りになりました。 教室の 正面に黒板 先生の 机 コの字型に 輪のような感じで 15人の生徒が 坐る形になっていて 私は 少し隙間のあった 左奥の 角の 両側の人に 承諾を得て 椅子を置き やっと念願の クラスに入った形になりました。 ほかの人よりも 5日遅れたことになるので まずは 自己紹介のような形で 先生が 国籍を聞かれ 日本から来たことを言うと みんなから ほんとに このクラスは バラエティーに飛んでるねと 声が聞こえてきました。 数えると 15人中 2人のスペイン人3人のポーランド人以外は 全員 違う国籍 それも アジア人が 私を含めて 4人で なかなかすごい顔ぶれです。そのあと フランスに来てどのくらいか 日本にいたときに なにをしていたか などを 答えました。残念ながら 出遅れた私は ほかの人の自己紹介は 聞いていないので ちょっとお預けになりました。初めての授業は 発音のアクセント記号の種類と 注意みたいなものでした。今まで 自分で勉強していたのは 日本語で書かれた フランス語の教科書が多かったので 説明のフランス語が すでに わたには むずかしく わかっていることも わからなくなってしまいそうな 感じでした。午後は 先生が変わり その日の 新聞の記事の 切抜きのコピーを 渡され 内容を 把握するという 課題でした。私の想像どおり かなりレベルの高いクラスであることを この時点で思い知らされた感じでした。わからないときは いつでも質問しなさいといわれていたけれど 何がわかっていないのかさえ いえないほどで その日は これから先のことを考えると ついていけそうにない気がして かなり落ち込んでしまいました。


       くつろぐ瞬間 お気に入りの場所            


10 Fev. 2003
   みんなの顔ぶれ
今日は 朝 学校に着いて 次々に到着するクラスメイトに 自分の名前を 私のノートの 裏表紙に 書いてもらうことにした。この日は 6人書いてもらいました。読み方を カタカナで 打つと それをみんなめずらしそうにみています。発音を 聞き取り カタカナに直そうとしても 日本語にない音は 表現しにくく 四苦八苦です。声を出すという時点で 人間には いろんな 可能性があるものだと 感心してしまいました。今日の 1時間目は 一番苦手な 文法のクラス。先生が黒板にかかれることを 書き取るので精一杯。説明を聞こうとすると かけないし 書くと 聞けない、の板ばさみ。たった1時間半で ぐったり。なんだか まわりのみんながわかっていそうなところが 不気味に思える。月曜日の授業は お昼までで 終わり。休み明けで ボーっとしているのもあるし 昼間に しかできない用事もあるので とても助かる。


 Un cafe au lait ,s'il vous plait.
11 Fev. 2003
   ついていけるかな??
1時間目 今日も 文法のクラス。始めに 今日も新聞の記事の切抜きのコピーを渡され それを使っての勉強。もっと簡単な記事にしてよ!!と 思うほど むずかしい。辞書を引きまくって なんとか わかる程度。フランスで 肺がんにかかる人の比率を分析し 女性の喫煙の 定年化の影響が 問題視されている中での 記事です。・・・が ・・% に対して ・・・が ・・・% というような数字も たくさん出てきて 最終的に その記事にかかれていることを 要約してみるという 方法で 進められて行きます。この日ぐらいから 私には かなりむずかしいと感じることが いろいろと出てき始めました。それは ほかの 生徒の人たちの 発言が 聞きとれないのです。かなリ理解できている思われる人ほど 早口で 何より ひどい国なまりなのです。 先生は よくあれが聞き取れるなと思うほどなのですが、私には 先生との質疑応答が 重要なのに それが聞き取れないのが たいへんなのです。これでも 慣れていくものなのかな と 思いながら ほかの人にしたら私のフランス語も なまっているんだろうなとも 思う。そして やっとお昼。休みは 1時間 。私は おべんとうです。ほとんどの人は 近くに住んでいるので 家にかえって 食事をし 戻ってくるみたいですが わたしは 遠くて 無理なので 朝早く起きて お弁当を作ります。早起きは苦にならない方なので幸いです。 サンドイッチか おにぎりと おかずのパターン。高校以来の 懐かしい 時間です。この日は うちのダンナも OBENTOU ! ボクモタベタイ! というので 2人分作りました。これがその お弁当の写真です。ああ おなかいっぱい!!! そして 午後は 教室も変わり LABO ラボと 呼ばれる 発音専用の教室。先生は 私の一番好きな カトリーヌ。ちょっと一見 不良っぽいところが 魅力。目の合ったときには いつでも 誰にも 一言声を掛けてくれて 励ましてくれます。体育会系で 声もデカく クラスの雰囲気をぱっと変えてしまうそんな 先生です。お昼ご飯の後の 眠気も お陰で 引き締まります。今日の午後は 発音の 練習で 時間が あっという間に たってしまいました。


おべんと おべんと うれしいな!


24 Fev. 2003
   他人事ではない!!
今日は 月曜日なので お昼まで。昨日の日曜は 少し風邪気味で 今日中に治さないと 来週1週間が たいへんになると思い 用心して 家でおとなしく していたお陰で なんとか ひどくなることもなく 元気を取り直した感じ。今日は Martine クラス。 この間から 習ってる 句読点の 使い方という ところを勉強しているのですが、これが私は苦手なのです。よくかんがえると 日本語でも 同じようなことがあると思うのだけれど、点のある位置で 意味が全く反対になったりするから 簡単ではないのです。答えも 当てずっぽうで なんとなくわかるけど 理由を言わないといけないときは 苦しいのです。家で 主人に 質問すると C’est comme ca!! なんでって こういうもんなんだ!なんて 全く答えになっていない回答が返ってくる。巧みに言葉を使えるようになるには 小さいときから 話しているか もしくはこうして勉強するしかないようだ。今日は時々 クラスの中で起こる 現象をひとつ。 文法の 勉強をしているわけだから 文章の 内容にかかわらず 肯定の文章 否定の文章が 出てくるわけですが、その文章の内容によっては 無意識に 自分の感情が 入って しまい ややこしくなってしまうということが起こります。たとえば簡単な たとえで言うと あなたは魚が好きですか?にたいして 私は 魚が好きです 私は魚が好きではありません という答えを 言うときに その人が 魚がほんとに嫌いだったりすると 好きですという答えが 自分にとっては うそになるので 言えなくなるというような 落語のネタのようなことになっていきます。このたとえは 簡単だから 問題ないけれど 少し複雑になったり 政治の問題や 文化の問題が 混じってくると 個人の意見の違いが出てきて 元が何の話だったのか わからなくなりそうになります。それから 国籍ひとつにしても クラスには ジプシー という 言い方になる 人もいます。すなわち 定住することない 民族ということになります。だいたい ここで言うジプシーは フランスとスペインにまたがって 移動している人たちがほとんどと言われるそうです。私には そういうことさえ 想像を越えるものがあります。この間のクラス中に 自分の国の 料理の話になって 私の番になったとき いまや世界中日本料理と いうと お寿司 焼き鳥 という感じになっているので 食卓を囲んで みんなで 鍋を 食べるというのが 冬場の 日本の家庭では ポピュラーなんだと 説明すると いままでの印象と違ったみたいで すごく興味を持たれました。中でも しゃぶしゃぶは 高級で なかなか食べられないけれど すごくおいしいんだというと ジェスチャー付きで 説明すると 妙に盛り上がってしまいました。 


シャンゼリゼの マグドナルドで 一服
25 Fev. 2003
   遠い道のり・・・・
なにが理由なのかわからないのですが 今日は 学校までの道のりで 通行止めになっている場所があって 行きも帰りも バスは満員で すごい渋滞にあった。それになぜか 乗ってくる人乗ってくる人 お年より 身障者が 次から次へ こんなこともあるんだと 驚くほどで やっと坐れた席も 譲らなくてはいけなくなった。フランスには ちゃんと 優先して 坐ってもよいという 許可証が それにあたる人たちは 持っていて、見せることによって 安心して 交通機関を利用できるようになっている。でも今日みたいに こんなに たくさんお年よりと身障者が乗ってくることもめずらしかった。以前に このホームページのPetite Histoire でも書いたことがあるけれど こういう 事態に遭遇したときの フランス人の対応は 興味深い。みんな 知り合いかのように 会話を始める。今日などは バスの運転手が そばにいた人の会話に 加わって のんきなもんです。こんな渋滞のときに 焦っても仕方がないといえば そうだけれど あんまり話し込まれてると いい気はしない。乗客の中には それに対して ぶつぶつ文句を言い始めている人も出てくる。そんなことは 全然 気にしない運転手 。いい勝負のような気がした。途中で私が席を譲った 年配のマダムは 私に のろのろ運転で時間かかりそうだし あなた ここに一緒に 坐りなさいよ! と 少し ふとめの体を 窓際に寄せ 隙間を作ってくれた。お陰で 重たい辞書や 教科書のはいたっ鞄を持たずに 体勢を変えられたので 随分楽になった。そういうことから なんでもない会話が始まり 親しみを感じる。困ったときは助け合って という 連帯感は この国には とてもあるきがする。これも学校のクラスの中での先生の話。フランス人の 話好きも 田舎のほうに行くと さらに すごいことになり 乗り合わせた バスの中で 初対面の人に あなた 南の方の 顔立ちね! どこからきたの? から始まって 話が弾むと 一人の人が 降りる際に 話が終わらないからと 一緒に下車して 話を続けるなんてことも めずらしくないらしい。 のんびり のどかでいいなぁ と言う気がしますよね。 、で今日の授業は 午前中 超超 むずかしかった 作文。 小説の ”オリエント急行 殺人事件”の 一説の 探偵が その場に居合わせた 乗客の一人に 質問をするところで 問題用紙には 質問に対しての 答えの 部分の 会話が 書いてあり その文章を見て どういう質問に対しての 答えかを 考えるものでした。むずかしすぎて もう訳わからん!! でも仕方ないないから 書かないことには・・・・  それでも何とか 20題 くらいの質問に 苦しいながらも なんとか 書き込んだ。文法的にも 内容的にも 許せる範囲なら 3ポイント 会話の内容にかかわらず 自分の思った文章に 文法が間違っていなかったら 1ポイント。 こうして 自分の書いた答えと 回答を 見比べると 自分の苦手なもの わからなくなってしまうパターンがあるような気がする。まだまだ 私にはむずかしいと思いすぎているのか よく考えると わかるものもあったりするので これも あきらめずに 挑戦するしかない。話は変わるけれど 先週 家で 久しぶりに バナナケーキを焼いて わりにうまくいったので 学校の先生や友達に 少し持っていった。ただそれだけのことで 昨日は もう その日からずいぶんたっていたのにもかかわらず、先生の一人が ” ハルミ!! あのケーキのレシピ 教えてくれない?” すっごい おいしかった!!と 言ってきた。 おいしいと 思ってくれてたんだと ちょっと安心して、昨日は 今まで使っていたレシピを フランス語に直すことにした。今日 それを渡して 2枚同じ物が入っているので 1枚は 私のフランス語の間違いを 直してくれと 頼むことにした。明日 もらえるかな? 


学校の教室
学校の廊下から見た様子
26 Fev. 2003
   たった一人の目撃者
きょうは 学校で ちょっとした騒ぎが起こりました。 お昼の1時間の休み時間中に 2階にある職員室の一人の先生の 個人の持ち物である ノートパソコンが 盗まれてしまったのです。警察が来たりして 午後の学校は ちょっと 異質な雰囲気が漂いました。 私は なんとなく おかしな雰囲気だな と感じながらも まわりのみんなと同じように 午後の授業を受けていたのですが クラスの終わり際に クラスの一人が 先生に 何かあったんですか? と 聞いたので 先生が 実は・・・・ ということで 話されたのです。なんとなく聞いていたのですが ふと そのお昼のことを思い出すと 少し引っかかることがあったので 先生に申し出ました。というのは 私は その日 お弁当を食べた後 少し風邪気味で あまり気分がよくなかったので 2階の その職員室に一番近い教室で 坐って うとうとしようと思っていたのです。すると ものの 2分たつかたたないかくらいで 見慣れない 若い黒人の 2人が 妙になれなれしく 話し掛けてきて、先生の名前を私に聞いて 探しているようすだったので お昼は 先生達も食事で ここには いないと思うよと 言って、私は また うというとしかけたのですが なんだか眠れそうにもなく 顔を上げると その二人は まだそのあたりにいる様子で そのうちの一人は 一箇所に 立ち もう一人は 職員室の前で 窓越しに 先生の机を見ているところまでは はっきり見たのです。不信なのは その奥には 女性用のトイレしかなく そこを行き来する必要はないことと 私には 妙になれなれしかった感じが よくパリの地下鉄で 出会う スリの 感じに似ていたので 少し 用心したのを覚えていたのです。その時間帯に 2階にいたのは もうひとつの部屋にいた 2人の女性 と 私 そして その2人だけだったので 私はしっかり覚えていました。 盗まれる可能性のある時間帯と場所を絞っていくと どうも 私の見た 二人が 怪しいらしく 先生達は 私の証言の前に すでに別の理由で この二人に目をつけいたらしいのです。私の目撃したしたときの様子を ディレクターに もう一度 話すことになって 2人の先生が 私に付き添ってくれました。私は 目撃した 唯一の証言者になるようでした。えらいこっちゃ! 目撃したということと その状態を フランス語で うまく説明できるかどうかの 緊張のダブルパンチです。 そうなると 今授業で習っている 半過去の文体と 複合過去の文章との組み合わせで まさに その実線ということに なるんだ、なかなか これは すごいタイミング!こんな臨場感のある 授業はないぞ!という感じです フランスで フランス語の勉強しているならではの チャンスだとも思いました。そんな事情であるにもかかわらず おかしかったのは 私が証言している間 先生は私の横にいて 笑いながら 間違ってるフランス語を 小声で 訂正してくれて お陰で 緊張していた私も 気分が楽になったのです。話した後 私が話をした二人というのが 先生達が 思っている二人と 同じかどうかを 遠くから 見て 確認して そこまでで 今日は かえって 言いといわれたので 家に戻りました。 いつもと同じ1日が 随分長く感じられた日でした。


学校の 校舎の天井は 光が通ります
27 Fev. 2003
   ちょっと自信が持てた!!
昨日の授業は 冠詞の使い方というところでした。英語で言うと The や aというのと同じ種類のものです。まあこれが 状況によって たくさん変化する 厄介ものなのです。英語の場合は それでも まだ そんなに複雑ではないのですが フランス語では女性名詞男性名詞なども 関係してくるので もうたいへん! 日本語には なく なじみがないので 非常にめんどくさく感じてしまうものです。説明をされた後は わかったと思っても いざ生活の中で 実際に使うとなると いちいちひっかっかてしまうのです。先生曰く フランスでは この使い方を 子供が言葉を覚えだした初期の頃に 家庭で 親が しきりに この使い方を 指導するのだそうです。だから 今私のクラスのみんなが 間違ってしまうレベルは フランスの子供レベルといいうことになるみたいで 私達の会話が 先生には 幼い子供と オーバーラップするらしく 間違いをすると 子供相手の会話のように 変えて ちょっと面白がって 苦笑いをされます。このクラスの後 みんなで これは使って実践していくしかないね、と意気投合してお互いの会話の中で これを使い慣れるように がんばろうというので 短い会話のなかで 冠詞の使い方に注意するようにして みんなで 直しあいながら やり取りをするように しています。生きた会話という意味では これほど 効果のあることはありません。私も 今までに はっきりと していなかったせいか 使う回数が少なかったのが 随分 整理が出来て 使いやすくなった気がします。これが昨日の授業。そして今日は 初めて 機械を使った 発音の授業で 一人づつ ヘッドホンをつけて 先生の声と 自分の声を 聞きながら 勉強します。 先生の作業が かなりたいへんなので いつものクラスを 半分に分けて 8人で受けます。まずは 今日のテーマの 鼻音の の3種類の 入った単語を 先生に続いて 発音し 自分の好きなところで 先生の声と自分の声を聞き比べることが出来ます。これは生徒が一人づつ好きなペースで 練習します。その間 先生は 機械を操作しながら 一人づつの 機械に つなぎながら 突然乱入し アドバイスに まわってきます。いろんなボタンが 付いていて 先生を呼びたいときには いつでも 合図できるようになっています。かなりのすぐれものです。初めて はっきりと 自分が話しているフランス語を聞いて ちょっと 恥ずかしいやら うれしいやら。実は 私は 小さい頃に 中耳炎をわずらってから 慢性になっていて 何かというと 耳に関することには悩まされてきたのですが、私の 耳は 音の強い弱いで言うと 聞こえにくいようですが 質的に 音を聞き分ける力は かなり優れているようでした。ちょっと自慢できることが出来て うれしい!!! 聞き取れないと 声が出せないということです。私の場合 生活の中で 日本語は全く使えなくて フランス語だけでやり取りをしなくてはいけないたいへんさも、こと聞きなれるという意味では この環境に 感謝しなくてはいけないのかもしれません。私のクラスには 12カ国からきた人が いるので なまりは かなりすごいものです。私が聞いていて きついな〜と感じるのは ベトナム人のフランス語と 理解はできるけれど 疲れるのが 英語なまりのフランス語です。それぞれの言葉によって 顔の筋肉の使う部分が かなり違っていて このクラスは 体育に近い ものに感じます。先生も 生徒達に 印象付けるアイデアや 楽しめるように 大奮闘してくれます。体の動きも加えて みんな子供に帰ったように 無我夢中です。そういえば私も教える立場だったせいか いろんなことを思い出します。グループで 授業をする場合 比較的 スムースに流れについていけるひとと そうでない人とが出てきますが、とくに 後者の方の場合の人たちにには 見守っているという姿勢を 根気よく 持たなくてはいけないと 感じます。彼らは クラスのほかの人と自分を比較してしまうことが多く 悲観的になり それが  どを超えると 言い訳に走るようになりやすいです。私はできるだけ その人自身の 以前と比較して よくなっているかどうかを 指摘するように 気をつけていたように思います。今回の私のこの発音の こともまさにそれで ほかの文法のクラスでは劣等性で かなり落ち込んでいたのですが ひとつでも 自信を持てることができると こんなに気分が楽になるものかとあらためて感じます。少しづつ がんばろう!!


いい香り・・・ミモザの季節
28 Fev. 2003
   はや 今月最終日
2月は そういえば 28日まで なんと 今日で 2月終わり? みんなで 私達って 進歩してるの????と 時間の流れの速さに 圧倒されてしまう。朝のバス通学にも慣れてきて いつも 同じ時間にバスの乗ってくるおじさんとも 一言 声を掛け合うようになってきた。 ちょっと パリジェンヌしてるかな?毎週金曜日は まとめ として この1週間で 勉強したことの中で よくわからないところや 疑問のあることを 持ち出して 解決しようという クラスです。唯一の 男の先生で 彼は コートジボアールの出身の 黒人の先生です。(そうこの間 パソコン盗まれた先生です。その後どうなったのかは 私までは 届いてきませんが) 10代の女性の相手なら まだしも 彼と同じか もしくはそれ以上の おばさん集団相手とあって 先生もたじたじ という風景に 出会います。質問内容とは 別に 私は 先生気の毒!と つい同情してしまいそうになります。そのくらい みんなの 迫力はすごいのです。何でこれが間違いなの!!と 強気の質問には 思わず聞かれた方が 誤りたくなるような 勢い。 やっぱり どこの国でも 女は強いのかな?


ちょっと一服。私の定番 コーヒーにチョコレート