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Ballet Top



Mon Histoire
   
     
Prologue

踊りが好き 踊ることが好きと 自覚するようになってしばらくたった頃から 私は 人
に 『 バレリーナ 』という呼ばれ方をすることに 抵抗を感じるようになっていた。
今でもそうだが バレリーナとは 生まれ持った条件的にも 才能的にも 特別に秀でて
いる という意味か もしくは 言われるとおりにしか 踊れない人形とい言う両極端な
イメージがして 自分はどちらにもそぐわない気がしたからです。言われてうれしいのは
ダンサーという呼ばれ方だった。今では ダンサーにも いろんな人がいるというのがあ
たりまえのことになってきたけれど、ひと昔前なら ダンサーといえば 見世物小屋の 
ストリップダンサーのイメージが強かった頃を思えば これも変わってきたといえること
かもしれない。見ている分には この世のものではない妖精の世界は 夢見ごこちでいい
けれど 実際の練習というものは 汗まみれになっての 肉体労働。妖精になれ!って 
どうせい!言うねん! まさに現実と 夢の世界の葛藤。きっとそんなところから ダン
サーといわれる方が カッコええ!!と 思うようになっていたのだと思います。踊りに
は関係のない人と 出会ったときに職業を聞かれると いつも 肉体労働者です と答え
ていたのも そんな理由からでした。( ここで 断っておくと わたしの中では スト
リップであっても Tutuを着て踊っているバレリーナも 体を通して表現することに
おいて 同じだと思っています。) 
そして そう今から 10年ほど前に 酒飲み友達になったある男性から『君は 限りな
く芸術家に近い一般人だな! 』といわれたことがあり、今でもこの表現は なかなか 
的を得ていると 感心し 気に入ってもいるものでもあります。残念ながら まわりの見
方と 自分の感じ方とが合致することは なかなか ないもので まわりは お世辞のつ
もりで言ってくれている言葉が 私には あまり うれしくなかったこともあったりして
愛想笑いにも 次第に慣れてきたことも 事実でした。
ここで、なぜあえて はじめにこんな話を書いたかというと たいした障害もなくこうし
て踊りつづけてきたなかで 私にも それなりに 山はあったわけで その都度 自分ら
しくいたいと 自分に問いかけるときにこのふたつのエピソードに含まれる要素に 少な
からず 「私」という存在を見出すことができたような気がするからです